したたかでいい加減な存在〜『生きているとはどういうことか』

●池田清彦著『生きているとはどういうことか』/筑摩書房/2013年12月発行

b0072887_18275590.jpg あるものが生物か無生物か、私たちは直感的にわかる。ところが「生物とは何か」と問われてすぐに答えられる人はあまりいない。生物には物理化学法則とは別の「生きもののルール」があるからだ。それはどういうものなのか。本書はその問いに、生物の起源、発生、進化、免疫、性、老化と死といった生命現象から答えようとする。

 生きているとはどういうことか。「生まれてから死ぬまで自己同一性を保ちながら、外部からの指令がなくても勝手に成長して死んでいく、それが『生きている』ことの本質である」と池田はいう。「そういった内と外を分ける『空間』を、われわれは『生物』と呼んでいるのである」。(p45)

 この一連の生命現象を説明するうえで、池田は「動的平衡」をキーワードとして使っているのだが、これは福岡伸一がルドルフ・シェーンハイマーの「生命の動的状態」という概念を拡張して提唱したもの。一般書とはいえ、ここは福岡の名を明記しておくのが仁義というものではないか。

 それはともかく、性と死との関係を述べているくだりが私には最も印象的だった。生殖細胞は不死性を受け継いで、個体が死んでも細胞を残す。新しい個体(システム)をつくれば、自分は死んでもかまわない。これが生物のあり方なのである。

 ……死ぬ能力のおかげで、われわれは多細胞生物になることができ、複雑なシステムを手に入れたのだ。(p146)

 このような認識は私のような生物学の素人には新鮮に響く。哲学者が生や死の問題を論じるときに生物学の知見を引用することは珍しくないが、観念論としてでなく唯物論的に生死の問題を考える態度は大いなる説得力をもたらす。

 生命をもたない物体は初期条件さえ決まれば、決定論にしたがって未来の状態も決まる。しかし、生命は同じ条件からスタートしても行き着く未来は厳密に決定されない、という。そこでは偶然が大きく支配している。

「枠だけが決まっていて、その中では比較的自由度があるのが生命の特徴」である。その意味では本書においては、生きものとはものすごくしたたかで案外いい加減であるという基本認識が貫かれている。肩肘張って生きている読者には絶妙のメッセージがこめられているというべきかもしれない。
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by syunpo | 2017-08-03 18:31 | 生物学 | Trackback | Comments(0)
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