人気ブログランキング | 話題のタグを見る

平岡のJAZZ魂が炸裂する〜『昭和ジャズ喫茶伝説』

●平岡正明著『昭和ジャズ喫茶伝説』/平凡社/2005年10月発行

平岡のJAZZ魂が炸裂する〜『昭和ジャズ喫茶伝説』_b0072887_14333793.jpg 平岡正明の名はあちこちで見聞していたが、私は恥ずかしながら本書で初めて著者と「対面」することとなった。
 ここに描かれた六〇〜七〇年代の東京を、私は知らない。中上健次や浅井慎平のエッセイやらラジオでのトークやらで間接的に知るのみである。それにしても、本書におけるディティールの描写が凄いので、見も知らぬ情景のはずなのに、それを目の当たりするようなトリップ感覚を味わいながら、一気に読み終えたのだった。

 著者は、クリフォード・ブラウンのラッパを絶賛し、コルトレーンの新譜を聴いた感動を昨日のことのように書きしるす。新宿二幸裏「DIG」を語り、銀座「オレオ」で聴いたジャッキー・マクリーンを述懐する。
 平岡の文体には、独特のキレとリズム感がある。イマジネーションの赴くがままに、時にクナッパブッシュのウインナ・ワルツに触れ、吉本隆明の思想を喋る。石ノ森章太郎の漫画を想起し、映画「座頭市」のワンシーンが脳裏に浮かび上がる……そう、それら、すべてがJAZZなのだ。

 通い慣れたジャズ喫茶のオーディオシステムの描写が、やけに細かい。

 アンプは、英国製リークのポイント1ステレオ、ピックアップアームは、国産リオンの質量分離型TA3に、グレースF5Dという針をつけて、野放図に鳴る「汀」の音を、俺は好きだった。(p82)

 ジャズ喫茶で過ごした時代の、みずからが参画した政治闘争の挿話に、おもわず熱がこもる。

 ジャズは、他人と聴くものではない。
 一人で聴き、自分を聴くものだが、闘争の昂揚に比例して耳が鋭くなる。(p76)


 だが、それらにもまして、この本を書いた平岡正明の思いは、次のフレーズに凝縮されている。

 ジャズは、生演奏がいちばんだというのはまちがいないが、生演奏はときどき、演奏するやつが邪魔だ。
 部屋で聴くと、自分が邪魔だ。
 ジャズは、ジャズ喫茶で聴くものだ。(p21)


 これで、決まりだ。
by syunpo | 2006-05-05 14:49 | 音楽 | Comments(6)
Commented by tsukinoha at 2006-05-10 19:58
特に21頁の・・・説得力のある言葉ですね。
頷いてしまいました。
そして猛烈にジャズ喫茶に行きたくなりました。
Commented by syunpo at 2006-05-10 21:08
tsukinohaさま、
こういうちょっとキザなフレーズは、なみの書き手ではピタッと決まりませんね。私も、こういうカッコいいことを言ってみたい。

私は、実はあまりジャズ喫茶には行ったことなくて、本書に出てくる店で行ったことのある店は、四谷の「いーぐる」だけでした。

Commented by silence119 at 2006-05-17 09:42
興味深い本ですね。この著者は確かかなり以前に「山口百恵は菩薩である」を書かれたのでは?勘違いならゴメンなさい。ジャズ喫茶、行ってみたくなりました。
Commented by syunpo at 2006-05-17 10:53
silence119さま、
おっしゃるように、平岡氏は「山口百恵は菩薩である」の著者です。最近は「落語」関連の本も書かれているようです。マルチタレントですね。
コメントありがとうございました。
Commented by fujitakyoto at 2006-05-20 10:24
学生時代、京都は荒神口のChamp Clairによく行ったものです。赤レンガの暗い店が懐かしい。今は花屋の空き地に。そうか、p21か。確かにそうだ。
Commented by syunpo at 2006-05-20 12:40
fujitakyotoさま、コメントありがとうございます。
京都は昔からフォークやジャズなど音楽の盛んな街で、泉州人の私には、ちょっとした憧憬に近い印象があります。
花屋の空き地、とは残念ですね。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 空を翔る画家〜『シャガール展カ... 思わず武満のCDを聴きたくなっ... >>