●佐藤卓己著『メディア社会』/岩波書店/2006年6月発行
本書は京都新聞に連載されたコラムをもとに編集されたもので、独立した五〇篇の短文から成る。二〇〇四年一一月から翌年一一月までに生じた個別のニュースを取り上げて、それにメディア論学者としての視点を論述し、問題の考察への端緒を提供する、といった趣である。メディア文化論とは、メッセージ内容ではなくメディア形式を考察するもの、という筆者の認識に基づけば、こうした短文集からメディア文化論学者の神髄を知ることは、ハナから困難といわねばならないだろう。通読した後に、学者としての強烈な主張も個性もついに浮かび上がってくることはなかった。 「メディア」「輿論と世論」「マニフェスト」「公共」などの語句について、学術用語としての歴史的由来や定義に拘泥するのは良しとしても、その後の展開にキレ味を欠き、結果として筆者が何を言いたいのか判然としない、というコラムが多すぎるのだ。 本来、こうした体裁の書物では、学者としての力量よりも批評家・文筆家としての表象能力や話芸を求められるのだが、残念ながら、この筆者にはそのような能力にも不足している。 たとえば、三〇話の「ニューディール・コメディ・二〇〇五」では、二〇〇五年の九・一一選挙の小泉自民党の圧勝劇について、映画『スミス都へ行く』を援用して論述している。小泉をスミス青年に重ね合わせて、『コイズミ靖国へ行く』というオヤジギャグで締め括っているのだが、面白くもなんともない。 あるいは、四七話の「ホリエモンの野望」。ライブドア・堀江社長とフジテレビ・日枝会長の抗争を国盗物語に見立てて、前者を織田信長、後者を今川義元になぞらえる記述なども、今一つセンスを感じさせない。 また「ジャーナリズムの冷笑主義」と題する一文では、「(ジャーナリズムの)政治批判は人々に冷笑主義を蔓延させているだけ」と断じているが、ジャーナリズムの政権与党に対する批判力の著しい衰退が指摘される昨今、いかなる事象をもって、そのように主張するのか理解に苦しむ。 佐藤卓己は、気鋭のメディア文化論学者として売出し中のようだが、本書から彼の良さを感受することはできなかった。 ※このブログはトラックバック承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
こんにちは。佐藤氏の『八月十五日の神話』(ちくま新書)はどう読まれますか?私は、重複的な記述が多いもののとても深い示唆を与えられました。佐藤氏本人を時々お見かけしますが、全然「気鋭」のオーラがなく、逆にそこに好感を持っています。 hiura53さま、 コメントありがとうございます。このところ、ほとんど独り言状態でやっているブログですので、うれしく拝読いたしました。 佐藤氏の本は、今回の本が初めてでそれ以外の著作は未読です。「メディア社会」を読んで、この著者とはこれっきりかな、と思っていましたが、そうですか、それでは一度、書店で「八月十五日の神話」をチェックしてみたいと思います。 お読みになったらぜひ、感想をお聞かせください♪ 『八月十五日の神話』について、拙ブログでは3日連続で 感想を書いたのですが、ちょっと事情があって非公開中です。 また公開しようかな、、、。とにかく、syunpoさまのこのページ も、いつも楽しみにしております。 hiura53さま、
Amazonでチェックしてみたところ、面白そうな本なので是非読んでみたいと思います。貴ブログでの記事も、できれば本書読後に読んでみたいものです。 >syunpoさまのこのページも、いつも楽しみにしております。 ……ありがとうございます。このブログを開設してから、何故か読書量が減ってしまい、おまけに何とか読み終えた本が感想を書く気にもならないつまらない本だったりして、あまり更新できないでいます。これからまたセッセと記事をアップしていきたいと思います。
|
最新の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
カテゴリ
全体
思想・哲学 政治 社会全般 国際関係論 憲法・司法 犯罪学 教育 文化人類学・民俗学 歴史 宗教 文化全般 文学・日本語論 文学(翻訳) 映画 音楽 美術 古典芸能 建築 メディア論 経済 自然科学 ビジネス スポーツ 夏目漱石 論語 雑誌 展覧会図録 ノンカテゴリ 以前の記事
ネームカード
リンク
検索
ファン
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||