●四方田犬彦著『ラブレーの子供たち』/新潮社/2005年8月発行
オビのうたい文句は「舌と脳と胃袋で考える、食をめぐる実践的文化試論」。 「歴史に名を残した著名な人物や芸術家たちがいったい何を好んで食べてきたかを調べあげ、できるだけその料理を再現してみずから口に運び、かの人の『人となり』に思いを馳せるという作業」の結果、成ったのが本書である。 したがって、ここに掲げられたのは必ずしもデリシャスなグルメばかりではなく、歴史に名を刻んだ人々の個性に見合った珍妙な料理が時にテーブルを飾ることにもなる。 目次を見ただけで、いたく興味がそそられるではないか。 「ロラン・バルトの天ぷら」「武満徹の松茸となめこのパスタ」「アンディ・ウォーホルのキャンベルスープ」「ギュンター・グラスの鰻料理」「マリー=アントワネットのお菓子」「小津安二郎のカレーすき焼き」「ポール・ボウルズのモロッコ料理」「吉本隆明の月島ソース料理」……。 武満徹が死の床で書きつけた「キャロティンの祭典」というレシピ集から作られた「松茸となめこのパスタ」。晩年、長野県に住んでいた作曲家にいかにもふさわしい料理のような気がするが、武満の指示に従って忠実に調理をすすめ、最後にキャビアをトッピングして、四方田は書きつける。 「トッピングというのが武満料理の常套で、いかにもオーケストラの曲で装飾的に楽器を添えるといった感じがする」。 ウォーホルの有名な一連のキャンベルスープの缶を描いた絵画。キャンベルとはアメリカを代表する巨大な食品会社である。その会社が出している缶詰めのスープを調理する。といっても、水で二倍に薄めて温めるだけ。そして、トマト味、スコッチ・ブロス、オニオンスープ、クラムチャウダーなどを次々に試食して、その味わいについて論述していく。「全体的に甘くて柔らかい」「塩味がきつい」「どこか焦げた匂い」……。 ウォーホルは、どこかで言っていたらしい。誰もが似たような考えをして、似たようなことをしている。似たような食べ物を食べているんだ。だからそれを、手っとり早く絵にしてしまえばいい。…… そこで、四方田は述懐する。 キャンベルスープの、どこまでも深みを欠いた風味は、このウォーホルの理想とする匿名性に、みごとに見合っているように感じられる。……(中略)……世界中から差異という差異を消滅してしまえというアメリカ的なるものの意志が、そこには感じられる。ウォーホルがこのスープ缶を素材に選んだとき、彼はそこに自分の哲学がもっとも理想的な形で実現されていることを、明確に見ていたのである。(p55) 芸術家・思想家と食べ物をめぐる四方田の考察は、含蓄に富み、想像力の射程はどこまでもはてしなく伸びてゆくようだ。 小津安二郎の作った「カレーすき焼き」の挿話は、映画史における小津と俳優との興味深い人間関係を浮かびあがらせる。小津組に参加していた松竹のスタッフやキャストたちは、この不味いすき焼きを黙って口にしていたのだが、新たに東宝から参加した池部良は「菓子みたいな味じゃないか」といって、吐き出してしまったらしい。それ以来、小津はすき焼きの味付けに手を出さなかった、という。 イザドラ・ダンカンが飽きるほど堪能してみたいと言ったキャビアとイチゴとアスパラガスとシャンパンという奇妙な取り合わせをめぐる筆者の考察も、なかなか冴えている。 吉本隆明と月島のソース料理をめぐる論述は、日本の近代化についての考察へと飛翔していく。 ちょいとキザな表現があったり衒学趣味がのぞいたりするけれど、それも料理にアクセントをつけるスパイスのようなもの、と思えばよい。かくして、「食」をめぐる実に面白い書物が出来上がった。あるいは「食」を通して記された、もう一つの人物批評とでもいうべきか。 本書のタイトルは、ことのほか食べ物を物語に登場させることを好んだフランスの文学者の名にちなんだものである。
by syunpo
| 2006-08-27 21:02
| 文化全般
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Comments(2)
開城寸前、備中高松城主・清水宗治の最後の晩餐、なんてのも興味深いですね。ネットで調べてみようと思います。
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syunpo at 2006-08-31 18:46
荒川執事さま、はじめまして。
清水宗治、秀吉の水攻めを受けて自刃した武将ですね。 私は不勉強にて、詳しいことは知らないのですが、当時の戦国武将は意外と質素な食生活を送っていたのではないですか。 「最後の晩餐」の記録が残っていたら、面白いですね。 貴ブログを拝見しましたが、独特の雰囲気をもった面白い内容ですね。少し修業を積んで、コメントさせていただきます。
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