暗闇と官能の世界へ〜『感覚の幽い風景』

●鷲田清一著『感覚の幽い風景』/紀伊国屋書店/2006年7月発行

b0072887_10111610.jpg 本書は身体論を得意とする哲学者が、紀伊国屋書店の広報誌に連載したエッセイを編んだものである。人間の身体や感情をめぐる先人たちの思考……ロラン・バルトやメルロ・ポンティ、スピノザのディスクールが、文学的な装いとともに噛み砕かれて引用される。また、モードやファッションについて、ベンヤミンをもとに身体論・流行論的な見地から言及される。
 いささかもってまわった言い回しが多く、時に辟易とさせられるが、章ごとに完結している短文の集成なので、堅苦しさはない。

 「付録」として掲載されている「ファッショナブルな器官」(伊勢丹社内誌に連載)が、私には読みやすかった。
 マニキュアやペディキュアをめぐって展開される指のフェティシズム論は、なかなか面白い。聴覚と理性の関係を論じた「耳の知恵」も示唆に富む。時代の規範となるボディ・イメージを概観して、腰がいかに弄ばれてきたのか、という考察も著者ならではだろう。

 また、本書で強調されているのは「感覚」の能動性である。ベルクソンを足がかりにして、著者は述べている。

 ……ひとが世界へと向けて身を開いてゆくためには、あるいはある齟齬への陥没からふたたび立ち上がって世界との関係を組み立てなおすには、「構え」というかたちでのわたしたちの潜勢的な向性の凝集というものが必要になるということだ。感覚は何かに向かうというところに生成するものであって、けっして何かを受け取るといういとなみに縮減されうるものではない。(p113)

 「感覚はときにわたしたちの知性を歪ませたり、彎曲させたりするが、知性をさらに緻密にするためにそれをしずかに後押ししてくれることもある」という著者の感覚論は、体温を感じさせて独特のものがある。
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by syunpo | 2006-10-04 10:15 | 思想・哲学 | Trackback | Comments(0)
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