●アマルティア・セン著『人間の安全保障』(東郷えりか訳)/集英社/2006年1月発行
著者は、アジアで初めてノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者。標題の「人間の安全保障」という観点から、人権や教育の重要性、グローバリゼーションの問題点、インドの核武装や環境問題について述べた講演・小論集である。 「人間の安全保障と基礎教育」と題された小論では、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』にみられるような雑駁な文明の図式化を批判しているのだが、そこに多宗教国家インドの学者らしい一面を見出すことができるかもしれない。 文明にもとづく分類は希望のない歴史であるばかりでなく、人びとを狭義のカテゴリーに押し込め、「文明ごとに」はっきりと引かれた境界線をはさんで対峙させ、それによって世界の政情不安をあおり、一触即発状態に近づけるでしょう。(p33) そのうえで、たとえば英国におけるイスラム教、シク教、ヒンドゥー教学校の創設運動に疑問を投げかける。「何を信じどう生きるかについて、充分に学んだうえで選択させる教育の機会は激減している」と憂慮するのだ。 「民主化が西洋化と同じではない理由」も興味深い。 米国の倫理学者、ジョン・ロールズの「公共の理性の実践」の考えをもとに、よりよい民主主義のあり方を追究している。民主主義の定型的な手続きである選挙よりもさらに重要なのは「公共の論理」に基づく議論なのだ、という。 また、民主主義が西洋の歴史に特徴的なものでないことを繰り返し強調している点も見逃せない。アレクサンドロスの時代から数世紀後に、イランのスーサ、インド、バクトリア(北アフガニスタン)などでも、地方レベルで民主政治が行なわれていた事実、ヨーロッパで「異端審問」が続いていた頃、ムガール帝国(インド)のアクバル帝は、多元主義と公共の場での討論を奨励していた事実などを挙げて、民主化=西洋化という一般的な見取り図を斥ける。 環境問題にふれた「持続可能な発展ーー未来世代のために」では、人間を「受益者」という側面だけでなく「行為者」としても振る舞う必要性を静かに訴える。 大江健三郎や聖徳太子の「十七条の憲法」など、日本人の言説もいくつか引用されていることを含めて、親しみやすく平易な語り口で読みやすい。率直にいえば、やや退屈さを覚えないでもなかったが、アマルティア・センの入門書としては恰好の本といえるだろう。
by syunpo
| 2006-11-28 18:45
| 政治
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