●佐藤優著『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』/新潮社/2005年3月発行
著者は、鈴木宗男と連携して対ロ外交に異能の手腕を発揮した外務省の元主任分析官。二〇〇二年、「国策捜査」により、背任と偽計業務妨害の罪に問われ、第一審では執行猶予つきながら有罪判決を受けた。その間の勾留生活は、五一二日間の長きに渡った。今や言論界の寵児として活躍中の人物である。 本書は、逮捕前夜の外務省の内部事情や鈴木宗男とともに働いたロシアや中央アジアとの外交のエピソードを前段に述べて、その後の自民党政権内部の政争による鈴木宗男失脚と自身を巻き込んだ「国策捜査」の経緯を冷静に記述したものである。 佐藤は、みずからの嫌疑については一貫して否定しながら、心酔する鈴木宗男の政治家像を熱く語る。一方で、田中真紀子元外相の迷走ぶりをはじめ、外務省内部の腐敗の実態を辛辣に批判している。 本書の面白さは、何といっても逮捕後の担当検事との生々しいやりとりの再現部分にある。検事みずからが「国策捜査」であることを認め、時には知的刺激に満ちた政治論・外交論を議論しながら「事件」がつくられていく様は、スリルに満ちて読者を一気に引っ張っていく。 鈴木宗男や自身の逮捕・起訴については、佐藤は大局的見地から次のように分析している。 現在の日本では、内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換という二つの線で「時代のけじめ」をつける必要があり、その線が交錯するところに鈴木宗男氏がいるので、どうも国策捜査の対象になったのではないか……(p292〜293) 本書の核心をなしていると思われるこのような国策捜査の見立ては、たしかに興味深くはあるが、些かアカデミックに過ぎるような気がしないでもない。実際のところは、小泉政権下における政権中枢と旧経世会勢力との政争や外務省の内部抗争など、もう少しせこいレベルでの政治力学が結びついて作動しただけではないのか、という思いが読後も拭えなかったことを正直に記しておく。 著者が高い評価を与えている政治家・鈴木宗男像についても、本書の記述からだけでは、今一つ、その「魅力」というものを感受しかねる。田中真紀子との対立抗争で、鈴木宗男がもっぱら悪役に回ってしまった理由(田中真紀子が国民の支持を集めた理由)なども、単に週刊誌レベルの情報に国民が振り回された結果、と片づけられるようなものではないだろう。 さらに佐藤自身が、たとえば報償費(機密費)の問題について、外務省と国民感情との乖離を軽視している点なども、少し気になった。 とはいえ、本書がつきつけた問題は、やはり深く鋭いものがある。 わが国の司法が、いかに政治的・恣意的に働いているか。外務省内部がいかにつまらない嫉妬や中傷合戦で動いているか。生々しい事件の当事者による書物であるから、すべてを額面どおりに受け止めるわけにはいかないだろうが、現実に保釈まで拒んで勾留されていた筆者のこと、大きな虚偽を記さねばならぬ理由もなかろう。 国家による不当な仕打ちに遭遇しながらも、怨念に溺れることなく、あくまで沈着冷静に状況を記述する著者の強靱さは、驚嘆に値すると思う。
by syunpo
| 2007-02-20 21:26
| 政治
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