国家に過剰負担させないための〜『こころ「真」論』

●高岡健、宮台真司編『こころ「真」論』/ウェイツ/2006年11月発行

b0072887_2119330.jpg 本書は「こころ」の問題を主題とする二つのトークイベントと一つの特別鼎談の録音記録に加筆修正をほどこしたものである。精神科医の高岡健と社会学者の宮台真司は不動のメンバー、テーマごとに特別ゲスト一人を招く、という形でディスカッションが展開されている。
 第一章は、杉並区立和田中学校校長として注目を集める藤原和博を加えて「教育とこころ」について語りあったもの。第二章では、一水会の元代表鈴木邦男を招いて「国家とこころ」をテーマに論じた。第三章は、ジャーナリストの藤井誠二とともに「犯罪とこころ」の問題を考察している。

 私には、第三章が最も興味深かった。
 体感治安の悪化から、応報刑的な重罰化要求と教育刑的な修復的司法要求が、同時に国家に対してなされている現状について、三人がそれぞれの立場から批判的に論評を加えている。
 藤井と宮台との間にやや話の噛み合わない場面が散見されるものの、宮台が「修復的司法のコミュニケーション的実践に行政官僚や司法官僚がかかわるのは、国家を過剰に頼って、社会を空洞化させることにつながる」という観点から危惧を表明している点は、説得力を感じた。

 ……確かに被害者や家族の感情的回復は重要です。被害者や加害者が社会との関係を修復するのも重要です。でも法的執行の機能はマルチです。威嚇による抑止の機能もあるし、法的意思貫徹の機能もあるし、紛争を処理しきって無関連化する機能もあります。被害者の感情的回復だけに注目するのはよくありません。(p217〜218)

 宮台はまた同時に、犯罪者の心の中に注目して「まだ反省が足りない」となれば一生牢獄につなぎとめられるような、統治権力に利用されやすい教育刑的な発想にも警戒心を示している。つまり、いたずらに国家権力を召喚するような世の流れに異議を唱えている点は一貫しているのだ。
 高岡の発言も、精神科医でありながら文学や歴史に対しても豊かな造詣を示し、懐の深さを感じさせる。

 第一章の「子どものリアルと成熟社会」では、和田中学の具体的な実践例が藤原から紹介されていて、教育問題に関心をもつ読者には興味深い内容であるだろう。

 一水会の元代表、鈴木邦男を招いての第二章「おとなの自覚」は、鼎談としては完全に破綻している。相互の発言に刺激されて言葉のラリーが続く、という座談の醍醐味はまったく感じられず、ただ「三人が壁に向かって並んで球を自分だけで打ち合っているような」(鈴木)発言に終始する。とりわけ宮台の講義調の独演は、ひたすら難解かつ生硬な専門用語を繋いだだけの退屈なものだ。ここでは、鈴木の発言部分だけを拾い読みすれば事足りるだろう。
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by syunpo | 2007-03-03 21:26 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)
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