ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
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俗流若者論を撃つ〜『「ニート」って言うな!』

●本田由紀、内藤朝雄、後藤和智著『「ニート」って言うな!』/光文社/2006年1月発行

b0072887_109412.jpg 「ニート」とは、英国で生まれた言葉「NEET」(Not in Education, Employment or Training)をカタカナ表記したものである。英国における「NEET」とは、一六〜一八歳の学生でもなく働いてもいない人々を指す。それが日本に「輸入」されると、一五〜三四歳と年齢幅が拡大され、同時に「失業者」は、そこから除外されて流通することとなった。
 そのように日本的にアレンジをほどこされた「ニート」なる流行語が、いかに大衆の憎悪や不安と共鳴しつつ、日本社会の本質的な問題を隠蔽してしまったかーー。本書は、その弊害を説得力豊かに記した好著である。現代若者論を語る人には必読の書といって過言ではないだろう。

 構成は、三部に分かれている。
 第1部では、教育社会学者の本田由紀が、「ニート」に関する各種調査に基づき、「ニート」をめぐる言説と「ニート」と定義される若者たちの実像との乖離を指摘して、「ニート」という概念そのものが今日の社会構造を考察するうえで不適切であることを結論づけている。
 第2部では、社会学者の内藤朝雄が、「ニート」という言葉に象徴される歪んだ若者理解が産み出される社会背景について分析を行ない、それに代えて実現していくべき「自由な社会」についての構想を提示する。
 第3部では、現役大学生である後藤和智が、「ニート」に関する言説を個別に採り上げて批判的に検証している。

 内閣府の『就業構造基本調査』では、無業者は、いわゆる失業者に相当する「求職型」、働きたいという希望はあるが、具体的な求職活動をとっていない「非求職型」、働きたいという気持ちも表明していない「非希望型」の三つに分類されている。そのうち「非求職型」と「非希望型」の二つが「ニート」と見なされている。
 「ニート」の増加を担っているのは「非求職型」で、「非希望型」は、この十年間、まったく増えていない。つまり、「働く意欲がない」という通俗的な「ニート」のイメージに合致する人々が増加している事実はない、ということが最初に本田によって指摘される。
 「ニート」の量的な面での実態が大きく変わっていないのに、その扱われ方が大きく変わったとすれば、「ニート」そのものではなく、「ニート」を見る社会の眼差しの変化こそが問われるべきだ、という。

 本田は、「ニート」を生み出した最大の原因は、若年雇用の低迷という労働需要側の問題にあることを、データに基づいて指摘する。それを若者の退嬰や家庭のしつけの失敗といった労働供給側の「自己責任」に転嫁するために、「ニート」という概念が利用された、そう本田は喝破する。
 その上で、政策・教育面での今後の対策として、次のような提起を行なっている。

 企業の正社員採用における新規学卒者の特権性を弱め、『フリーター』などの非典型型雇用や無業と正社員との間の移動障壁を低めるよう、企業の採用方法に対して政策的に働きかけることが、避けて通れない課題となってきます(p79)

 すべての若者に対して『職業的意義』の高い教育をが提供されるよう、教育課程を再編することが必要となります。
 たとえば高校段階については、専門高校を現在よりも量的に大きく拡大することが望まれます。大学教育においても、職業と関連の深い教育内容の拡充が求められます。(p80)


 内藤は、当人たちの甘えに帰すような「ニート」言説を、青少年ネガティヴ・キャンペーンの一つとして位置づける。それは、大衆の憎悪、不安、被害感が、若年層一般に「投影同一化」されたものにほかならない。投影同一化とは、「自分の中の、不気味で不安で耐え難い、自己の崩壊感覚、不全感のようなものを、相手に投影して、相手の中で生き」ることで、「相手の中にある自分の不気味なものを、いつも教育という儀式でもって鎮め続ける必要がある」。したがって、「ニートの増大」を解消するために、若者たちの心の教育の必要性が声高に叫ばれる、という転倒が生じる。

 問題は青少年の側ではなく、「ちかごろの若いやつは」と言っている年配者の側にあります。つまり、さまざまな生き方が社会に不透明に存在することに耐えられない大人たちの未熟さのほうを、もういちど見つめ直して、問題にする必要があるのです。(p199)

 私たちは、理解できない者を徒に非難して、彼らに自分たちの価値観を押しつけたりすべきではない。お互いに理解できない考え方や生き方も存在するのだ、ということを認めあい、他者との距離の調節を自由に繰り返すこと。そうした過程を経て「不透明」な社会を構築していくべきだ、内藤はそのように主張するのである。
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by syunpo | 2007-03-11 10:24 | 社会学 | Trackback | Comments(0)
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