●長嶺超輝著『裁判官の爆笑お言葉集』/幻冬舎/2007年3月発行
裁判員制度の導入や映画『それでもボクはやってない』の公開などで、このところ裁判に対する国民の関心も高まってきているおり、本書はまさにタイムリーな企画といえる。一言でいえば、法廷における裁判官の「肉声」を集めたものだ。 裁判官が判決を言い渡した後で、被告人に向けて発する「説諭」は、時折新聞などでも報道されることがあるが、その高みからの説教じみた発言は、しばしば批判の対象にもなっている。裁判官は法の言葉だけを喋れば良い、人生訓など余計なことだ、という声は少なくないだろう。 だが、ここに紹介される裁判官の「お言葉」は、その賛否は別として、無味乾燥だ権威主義的だという判決の言葉に対する世間一般の印象とは随分違った肌合いをもっており、その内容も実にバラエティに富んでいる。 無反省な犯罪者に対する怒りの説諭あり、心ならずも重刑を言い渡さざるを得なかった被告人への激励あり、無罪判決を告げた人への慰労の言葉あり、ストーカーに真の愛を説く忠言あり、オヤジギャグを絡めた被告人への訓戒あり、死者の気持ちを代弁するかのような鎮魂の声あり、裁判官自身のツラい過去の披瀝あり、社会に対する問題提起あり、裁判官としての本音がにじみ出たボヤキ節あり……。 そもそも、判決文朗読のあとに発せられる「説諭」とは、裁判官の気まぐれ発言ともいいがたく、刑事訴訟規則二二一条に定められた法令行為に属する。正式には「訓戒」と呼ばれるものだが、マスコミでは慣例として「説諭」の言葉が使われている。また、判決理由の最後に付け加えられる「付言」「所感」などにも裁判官個人の思いが如実に出ることがあって本書の対象になっている。 〈控訴し、別の裁判所の判断を仰ぐことを勧める〉(2001年6月、宮崎地裁・小松平内裁判長) ……これは、知人二人を殺害した被告人に死刑判決を下したあと裁判長が涙ながらに発した異例の付言。「たとえ極悪人であっても、自らの手で始末することにためらいを感じたのでしょうか」と、著者はその心に思いをはせている。 〈今、この場で子どもを抱きなさい。わが子の顔を見て、二度と覚せい剤を使わないと誓えますか〉(1996年夏、釧路地裁帯広支部・渡邊和義裁判官) ……覚せい剤取締法違反の罪に問われた被告人に対する裁判官による補充質問の際の発言。廊下に出ていた母子を被告人の傍らに呼び寄せて、そう問うたのだった。被告人はその場に泣き崩れた、という。 〈飲酒運転は、昨今、非常にやかましく取り上げられており、厳しく責任を問われる。時節柄というか、そう簡単には済まされない〉(2006年9月、大阪高裁・白井万久裁判長) ……酒気帯び運転で、業務上過失致死罪などに問われた被告人に対する判決理由での一言。飲酒運転に対する世間の批判が厳しさを増す最近の「時代の空気」を意識した言葉だ。裁判官は憲法と法律以外の何物にも影響されてはならないという建前とは裏腹に、司法判断は世論の動向を無視できない、という巷の声を裏付けるかのような裁判官の本音がにじみでている発言ではないだろうか。 〈被害を受けたと申告した女子高生を、恨まないようにしてください〉(2000年10月、大阪地裁・山田耕司裁判官) ……痴漢容疑で起訴された被告人に無罪を言い渡したあとの説諭。映画『それでもボクはやってない』で正名僕蔵が演じた裁判官が言いそうな言葉だ。 〈本件で裁かれているのは被告人だけでなく、介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを、行政の関係者は考えなおす余地がある〉(2006年7月、京都地裁・東尾龍一裁判官) ……認知症を患う実母と無理心中をはかり、生き残った被告人に執行猶予つきの有罪判決を言い渡したあとの付言。献身的に介護しながらも、生活保護を求めた福祉事務所に冷たくあしらわれ、力尽きた末の「犯行」に、検察官論告でも「哀切極まり同情の余地がある」と加えられた異例の裁判。司法の場から行政に向けられた呻き声とでもいうべきか。 また、覚せい剤取締法違反で起訴された槙原敬之を尋問した検察官の「あなたのCDを何枚か持ってます。聴くと元気が出ますよね」という発言も紹介されていて、法廷における知られざる人間ドラマの一端を、本書から垣間見ることができる。 本書を執筆したのは、司法試験に七度挑戦しながら合格叶わず、裁判傍聴マニアとなって活躍している異色のライターである。全体的にやや軽いノリだが、個々の裁判官の人物評など、マニアならではの記述も随所にみられて、なかなか面白い本に仕上がっている。
by syunpo
| 2007-04-09 20:09
| 憲法・司法
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Comments(2)
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go_n_ta at 2007-04-12 19:08
恥ずかしながら、刑訴規則に根拠があるとは思いもよりませんでした。
しかし、刑訴規則は、最高裁判所自身が定めたもの。悪徳弁護士がかなりいるのと同じように、全ての裁判官が、人格的に優れているわけではない。だから、裁判所が身内(裁判長)に対し、被告人の「将来について」「訓戒」をしてもいいよ、と宣言するのはおこがましいことなのかもしれません。若い裁判官のなかには、説諭なしの方もおられ、それはそれで見識かな、と。 一個人として、罪を犯した者に問いかける、という姿勢のほうが心に響きます。東尾裁判官は、そんなスタンスで、いつも謙虚に語っておられます。 「訓戒」を、「個人として意見を言う」に改めるほうがいいかも。でも、それでは軽すぎますか^^
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syunpo at 2007-04-12 19:50
go_n_taさま、
コメントどうもありがとうございます! >刑訴規則は、最高裁判所自身が定めたもの。 ……そうでしたか、それなら職場の内輪のマニュアルみたいなものなんですね。ならば、お説のように、「訓戒」は素人的にもちょっと「おこがましい」感じがしないでもありません(苦笑)。たまに新聞記事を読んで「偉そうに」と感じる時がありますから(笑)。 京都地裁の東尾裁判官とは、当然ながら「仕事場」で相対することがおありなんですね。 引用した東尾裁判官の言葉は、本書のなかで最も印象に残った言葉の一つです。
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