●中沢新一著『緑の資本論』/集英社/2002年5月発行
中沢新一が侮れないのは、そんじょそこらの学者とは違って、それなりに話芸に秀でていることだ。その当否はともかくとして、面白い説を組み立てる構想力にはやはり非凡なものがある。本書は最後の一文を除いて、米国で発生した九・一一同時テロを契機に綴った文章を集めたものだが、いずれも中沢らしい柔軟な着想で興味深く読んだ。 タイトル論文の「緑の資本論」は、著者自身の言葉をそのまま記せば「一神教の原理を唯物論的に擁護しようとする試み」である。 マックス・ウェーバーは、プロテスタンティズムの世俗内禁欲という倫理観が資本主義を発展させる原動力となったことを論述したが、中沢はイスラーム経済に資本主義批判、経済学批判をみようとする。 九・一一同時テロの発生以降、政治学者や社会学者は数々の論文を提出してきたけれど、イスラームの原理から世界経済に言及した論考というのは、やはりユニークな試みというべきではなかろうか。 イスラーム的一神教は「タウヒード」の論理に貫かれている。タウヒードは、アラビア語で「ただ一つとする(一化する)」を意味する。そこでは増殖性の危険につながるような一切の誘惑が排除される。経済学的にいえば「利子(利潤)の発生を倫理的禁止とという形を通して抑制しようと試み」られてきたということになる。そこで「無利子銀行」のようなイスラーム特有の実践がなされることとなった。ユダヤ教やキリスト教が、必ずしも利子の概念を否定しなかったのとは対照的である。それはとりもなおさず、利子(利潤)を基礎とする資本主義と対立する考え方であった。 本文では、マルクスの『資本論』やマルセル・モースの贈与論などが引用され、かなり立ち入った考察が繰り広げられていて、生半可な読解力では太刀打ちできないことを言い添えておこう。 エピローグとして綴られているスーク(バザール)の話がイスラーム経済を理解する一助となる事例だろう。ハーン・ハリーリーのスークにおける香水商は、ありとあらゆる種類の香水を用意して、多様な欲望をもってやってくる顧客のニーズに逐一応えようとする。「どこかの工場で大量生産されたまったく同じ商品を、違った欲望を抱いてスークにやってくるお客様に押しつけることなどは、商人の道に外れたいかがわしい行為」と考えられる。 資本主義にとっての「他者」は、この地球上にたしかに実在する。イスラームはわれわれの世界にとって、なくてはならない鏡なのだ。(p124) また、冒頭に収録されている「圧倒的な非対照」も独創的な文章だ。 テロリズムと狂牛病をパラレルな現象として捉え、宮沢賢治の作品やサハリン島・アムール河流域に伝わる神話を引きながら「富める者」と「貧しい者」に引き裂かれた今日の「非対称」的な世界に警鐘を鳴らしている。
by syunpo
| 2007-11-14 22:19
| 思想・哲学
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