●網野善彦著『「日本」をめぐって〜網野善彦対談集』/洋泉社/2008年6月発行
二〇〇四年に亡くなった歴史学者、網野善彦の対談集。対談の相手は田中優子、樺山紘一、成田龍一、三浦雅士、姜尚中、小熊英二。網野自身が巻末に断わっているように、網野の発言はそれまでの著作で論じてきた内容の繰り返しが多く、その意味で新味はないものの、網野史学の精髄がここに凝縮されているということはできる。 全編をとおして、「百姓=農民」と考える旧来の農業中心史観や発展段階論に対して批判の刃が向けられ、「海」「村」「農」の実態を歴史的に見直す必要性が説かれている。日本の農漁村では自給自足の閉じられた共同体が営まれてきたわけではなく、古くから交易や商業が栄えてきたのである。 田中優子との対談は『無縁・公界・楽』をめぐってのもので、二人のリラックスしたダイアローグは本書の幕開けにふさわしく思われる。「鎖国」という言葉は江戸時代の公的文書には一切出てこず、一八〇一年、志筑忠雄がケンペルの『日本誌』を翻訳した時に初めてその言葉が登場した、という田中の指摘はまことに興味深い。 樺山紘一、成田龍一、三浦雅士、姜尚中との対話はいずれも二〇〇〇年に刊行された『「日本」とは何か』を基に交わされたもの。 『「日本」とは何か』は、講談社の〈日本の歴史〉シリーズの巻頭を飾る00巻として執筆され、日本という国号をはじめ国家としての成立を歴史的に見直そうとした野心作である。 対話者がそれぞれの関心に即して多様な読解を披瀝しているのを読んで、あらためて網野の晩年の代表的著作を手に取ってみようとする読者は多いに違いない。 経済用語をめぐる三浦との対話は示唆に富んでいるし、姜が東アジア全体の歴史に引きつけて網野の仕事に言及している点なども彼の立場からすれば当然とはいえ、網野の史観のダイナミズムを一層引き立てるものだろう。 最も紙幅が割かれている小熊英二との対談(小熊英二著『対話の回路』にも所収)では、小熊が網野のテキストをじっくり読み込んだうえでもっぱら聞き役に回り、その思索の変遷を跡付けていこうとするもので、網野史学全般を理解するうえで極めて有意義な対話となっている。 ただ、小熊が例によって「時代精神」との関連を重視する図式的な読みに拘泥し、網野の著作の特質ともいえる多義性や豊穰さが損なわれるような危惧も覚えないではなかった。 さらに、「時代精神」の磁力が発話者に与える影響とテキストの受容に際して働く影響とを小熊が整理しきれないままに網野に批判的なツッコミを入れているのにもいささか疑問を感じたが、それでも丁寧な受け答えを続ける網野の誠実さや歴史家としての基本姿勢がより鮮明になったという点で、小熊の執拗なインタビューも功があったというべきなのかもしれない。 網野善彦の描いた歴史は、日本列島に住む人々の生活や文化の多様性を明らかにした。それ故に方法論的にも従来の文献史学に根本的な反省をせまるものでもある。農漁村の旧家に残る「襖下張り文書」や民具資料・絵画資料などの考古学・民俗学的なアプローチをも重視した柔軟な姿勢は、これからの歴史家の可能性をさらに大きく拓いていくものだろう。 なお本書の原本は、二〇〇二年に講談社から刊行された。
by syunpo
| 2008-07-31 19:11
| 歴史
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