2017年 05月 02日 ( 1 )

他者との共存の作法を探る原理〜『プロテスタンティズム』

●深井智朗著『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』/中央公論新社/2017年3月発行

b0072887_18213173.jpg 禁欲を旨とするプロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神に適合していたという逆説はマックス・ウェーバーの有名なテーゼである。では資本主義の駆動を支えたとされるプロテスタンティズムの倫理とは具体的にどういうものかとあらためて問われて、きちんと答えられる日本人はそれほどいないのではないだろうか。そもそもプロテスタンティズムについて私たちはどれほどのことを知っているのだろうか。

 プロテスタンティズムと一口にいってもその言葉が包含する内容は今では広範で多岐にわたる。元来は「プロテスタント」とは「一五二一年から二九年までに開催された帝国議会で、神聖ローマ帝国の宗教問題の決定に『抗議』した帝国等族(帝国議会で投票権を持つ諸侯、帝国都市、高位聖職者)を指す議事録の言葉、あるいはそこから生まれた侮蔑的なあだ名」であった。それが一般にも普及していったのだが、ここでは「いわゆる宗教改革と呼ばれた一連の出来事、あるいは一五一七年のルターの行動によってはじまったとされる潮流が生み出した、その後のあらゆる歴史的影響力の総称」を指す。結果としてそれはナショナリズム、保守主義、ルベラリズム……などなど実に多様な相貌をもつことになった。本書はそのようなプロテスタンティズムについて初学者向けにわかりやすく概説したものである。

 宗教改革の前史から始まって、ルターがやろうとしたことを跡づけ、ルター以後に出てきたカルヴィニズムや洗礼主義を解説する。さらにドイツの歴史をサンプルに保守主義としてのプロテスタンティズムを論じ、リベラリズムを軸とするプロテスタンティズムの流れをたどる。……というのが本書のあらましである。

 いうまでもないことだが、プロテスタンティズムとは先に紹介したようにマルティン・ルターが創始した宗派というわけではない。ルターは一五一七年に「九五ヵ条の提題」を発表したが、それは議論のための一つの問題提起というほどのものだった。とくに彼が問題視したのは贖宥状の販売だった。贖宥状とは罪の償いが免除されるとして教会が発行した証書で、それが売り買いの対象になっていたのである。

 ルターが考えていたのは教会のリフォームであり、そのための討論を呼びかけた。その提題をただちに大衆が正確に理解し、社会に衝撃を与えたわけではないし、通常ある特定の神学のテクストが突然社会を揺るがすようなことはあり得ない。もちろん知識人のネットワークなどは刺激を受け、動きはじめるかもしれないが、影響はあくまで限定的であろう。(p44)

 しかし時とともにルターの行動の影響は大きくなっていった。もともと当時のヨーロッパは宗教的のみならず政治的にも経済的にも制度疲労をおこしていた時期にあたる。キリスト教が堕落していると考える人はほかにもいた。ルターの行動は、そのような改革の機運が芽生えていたところに「時代の転換のスイッチを押す機会」をとらえたものといえようか。それが宗教改革と呼ばれる一連の潮流を生み出すきっかけとなったのである。

 プロテスタントは当初カトリックとの戦いであったが、改革勢力同士の戦いもやがて始まる。改革を主張していた人々が政治勢力と結びついて安定した地位を得ると、よりラディカルな改革を求める人々との間に対立を生み出したのである。「改革の改革」を主張したものとしては、洗礼主義の運動やスピリチュアリスムスなどがあげられる。

 こうした「二つの二つのプロテスタンティズム」という認識については、深井は神学者エルンスト・トレルチを参照して念入りに紹介している。すなわち、宗教改革の時代のプロテスタンティズムを古プロテスタンティズムとし、そのあとに出てきた「改革の改革」者たちの活動を新プロテスタンティズムと呼んだのである。
 古プロテスタンティズムは、国家や一つの政治的支配制度の権力者による宗教市場の独占状態を前提しているのに対して、新プロテスタンティズムは宗教の自由化を前提としているのが大きな違いだという。

 ……新プロテスタンティズムの教会は、社会システムの改革者であり、世界にこれまでとは違った教会の制度だけでなく、社会の仕組みも持ち込むことになった。それは市場における自由な競争というセンスである。その意味では新プロテスタンティズムの人々は、宗教の市場を民営化、自由化した人々であった。(p117)

 興味深いのは、古プロテスタンティズムはその後、ドイツにおけるナショナリズムや保守主義と結びついていき、新プロテスタンティズムの方はアメリカ大陸においてリベラリズムとの親和性を高めていくことである。

 一八七一年のプロイセン主導によるドイツ統一の時代に入ると、ルター研究の復興がわきおこる。これは「決して純粋に神学的な関心によるものではなく、むしろ国策とそれに呼応した世論の興隆によるものであった」という。

 ……そこで政治的に再発見されたルターの宗教改革は、近代的なヨーロッパの起源であり、近代的自由の思想の出発点であり、ドイツ精神の源流とされたのである。これを「政治的ルター・ルネッサンス」と呼ぶことができるであろう。(p132)

 ルターの思想はナチスにも利用された。ルター派の方も「不遇なヴァイマール期をナチスが終わらせてくれるのではないかという期待を持った可能性がある」と指摘している。

 一方、アメリカ大陸にわたったピューリタンたちのプロテスタンティズムは、彼の地でリベラリズムの担い手となった。新プロテスタンティズムは、国家による宗教の統制に対し、個人の自由な信仰や決定を重視した。そうした彼らの言動は結果としてアメリカのリベラリズムを支える一つの勢力となったのである。

 ちなみに日本に到来したプロテスタンティズムは基本的には新プロテスタンティズムといえるものである。戦後の日本社会にもその影響は少なからず影を落としている。

 ……戦後の日本社会は、本書で見たような新プロテスタンティズムの深層構造を持ったアメリカ社会の影響を排除して成立する社会ではない。経済、政治、文化、学問、どれをとってもそれがよいか悪いかは別としてアメリカの大きな影響のもとにある。そうであるなら、異質で、無関係とも思えるプロテスタンティズムの歴史とその精神を知っていることは、この影響をより正確に理解するのに有用かもしれない。(p199)

 ルターの出来事に始まった、異なる宗派の並存状態やそれゆえに起こる対立や紛争のなかで、プロテスタンティズムは次の問題を考えざるを得なくなった。すなわち「どのようにすれば、異なった宗派や分裂してしまった宗教が争うことなく共存できるのかという問題」である。その問題と取り組んできたこと、これこそがプロテスタンティズムの歴史であるという。
 そうして深井は結論的に述べる。「プロテスタンティズムが現代の社会に対して貢献できることの一つは共存の作法の提示であろう」と。

 プロテスタンティズムの多面的な相貌を簡潔にまとめた本書は、初学者が読んでもわかりやすい記述になっている。その明快さは、著者自身もあとがきに述べているように大胆な簡略化のなせるわざであろうが、入門書とは概してそういうものであるだろう。洗礼主義といった聞き慣れない用語が出てきたりして、一部専門家からは批判らしきものも提起されているようだが、プロテスタンティズムの入門書として読んで損はない一冊だろうと思う。
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by syunpo | 2017-05-02 18:27 | 宗教 | Trackback | Comments(0)