カテゴリ:国際関係論( 20 )

左右の対立を超えて〜『テロリストは日本の「何」を見ているのか』

●伊勢崎賢治著『テロリストは日本の「何」を見ているのか 無限テロリズムと日本人』/幻冬舎/2016年10月発行

b0072887_1852398.jpg 日本の安全保障問題を考察した本はあまた出ているが、本書は類書にない視点を打ち出している。テロリズム対策に重点をおいている点だ。というのも伊勢崎賢治によれば「圧倒的な低コストのローテクで、急速に存在感を増しているのがグローバルテロリズム」であり、その脅威の方が近隣諸国の軍事的脅威よりもよりリアルだからである。

 伊勢崎がとくに強調するのは「核セクリュティ」の問題である。原発は仮に廃炉してもその後の核廃棄物の管理に難題をかかえている。今後日本が国家の安全を考える場合、いかなる電源政策を選択しようとも核の問題を避けて通ることはできない。福島の原発事故で「インフラの破壊という大掛かりなことをしなくても、『電源喪失』だけでコトが済む、という新たなヒントをグローバルテロリズムに与えてしまった」ことは決定的である。

「核セキュリティ」の問題はウヨクとサヨクの対立を超える。喫緊の課題のはずだが、誰も本気で手を打とうとはしない。この問題だけでも一冊分の重要性を有しているのではないか。だが本書ではテロリズムをめぐってさらに根源的な問題へと分け入っていく。

 そもそもテロリストはどのようにして生まれるのか。

 それはしばしば超大国の代理戦争が生み出したものである。たとえば、アルカイダやタリバンは米国やパキスタン、金満アラブ諸国が育成したものであり、シリアのテロリズムはロシアの影響力を受けている。
 あるいは政治力が逆転すれば、これまでテロリストと呼ばれた者が体制側になり、体制側の実力組織がテロと呼ばれることもありうる。伊勢崎が体験した東ティモールの独立で実際に生じたことである。

 テロリズムのラベリングじたいが政治力学の変化よって入れ換わる、という指摘はきわめて重要である。私が本書から得たもっとも興味深い事実であるといっておこう。

 とはいえそのような認識を手に入れたところで、現実のテロ対策には即効的な御利益はないだろう。伊勢崎の考察はさらにすすむ。認識すべきことは「グローバルテロリズムとは、アメリカ・NATOという世界最大の軍事力が勝利できない敵」という点だ。この敵に関しては、アメリカが日本の安全を保障することはできない。それどころか「アメリカの代わりに狙われる」可能性すらある。

 ではグローバルテロリズムに対処するにはどうすればよいのか。本書ではやはり米国のやり方を参照する。

 米国陸軍・海兵隊は、イラク戦争開戦三年目の二〇〇六年に、フィールド・マニュアルというべき「対インサージェント軍事ドクトリン(COIN)」を改定した。そこでは「民衆が自らの安全と将来を任せられる優秀な傀儡政権をつくること」が提案されているという。

 伊勢崎は日本版COINをつくる必要性があると言明する。具体的には「国際(国連)停戦軍事監視団」への参画である。これを日本のお家芸にすべきだというのが本書の提言である。

 むろんそれだけで話は終わらない。米国の代わりに狙われるリスクの軽減として「日米地位協定」の改定をあげている。これはすでに多くの論者が繰り返し指摘してきたように極めて不平等な協定である。そこで伊勢崎が掲げる改定骨子は以下のようなものとなる。

「地位協定の時限立法化、もしくは、米軍の最終的な撤退時の状況のビジョン化」
「在日米軍基地に米軍が持ち込むすべての兵器・軍事物資、そしてそれらの運用に対する日本政府の許可と随時の検閲権、すべての基地、空域の管理権の取得」
「在日米軍基地が日本の施政下以外の国、領域への武力行使に使われることの禁止」(p217)


 憲法九条についても改正の必要性を力説している。
 戦後、徐々に九条の空洞化がすすみ、安倍政権によって集団的自衛権が容認されたいまの状況にあっては「もう大義名分において9条が禁止するものに一体何が残っているのでしょう」と言い切り、改憲案を提示して本書を締めくくるのである。その内容についてはあえて記さない。

 伊勢崎の提言は日本版COINや改憲の内容については賛否両論あるだろう。しかしながら日米地位協定の改定に関してはきわめて明快であり、本書の提言を支持したい。何よりこれは安全保障の問題という以前に独立国としての矜持が問われている問題だろう。

 伊勢崎の語りをライターがまとめた構成にはもう少し整理の余地があるように感じられたが、前段で紹介した提言のみならず現場で実務を経験してきた者ならではの具体的な挿話にも学ぶべき点が多々あるように思う。少なからぬ示唆を与えてくれる本であることは確かである。
[PR]
by syunpo | 2017-12-19 19:05 | 国際関係論 | Trackback | Comments(0)

戦争する国にしないための〜『18歳からわかる平和と安全保障のえらび方』

●梶原渉、城秀孝、布施祐仁、真嶋麻子編『18歳からわかる 平和と安全保障のえらび方』/大月書店/2016年1月発行

b0072887_19112982.jpg 武力によらない平和。それをいかに実現していくべきか。本書では、安倍政権が強行採決した戦争法の批判的検討から始め、安倍政権にいたるまでの戦後日本の平和と安全保障のあり方をあらためてふりかえる。そのうえで武力によらない平和構築に向けての構想を提示するという構成である。執筆者は若手の研究者や活動家たち。

 書名からも察せられるとおり入門的な内容で、とくに目新しい視座を提供してくれるものではないけれど、安全保障の問題を考えるうえで押さえておくべき論点はひとおおり解説されている。

 国連によって認定されていることが正当化の大きな根拠になっている集団的自衛権について「国連本来のビジョンとはかけ離れている」ことに論及しているのは真嶋麻子。「国連発足の際に『集団的自衛権』の文言が国連憲章草案に加えられることとなったのは、東西冷戦の始まりが予兆される時代の、連合国間の相互不信を背景としている」という。さらに二〇世紀後半の大国による中小国への軍事介入の多くが、集団的自衛権の行使を理由とした武力の発動だったという指摘も重要だろう。

 また、軍事組織が存在しないことになっている現憲法において「文民」なる用語が使われているのは以前から不思議に思っていたが、三宅裕一郎はその点に関して「芦田修正」をめぐる当時の状況を解説していて興味深く読んだ。極東委員会は「芦田修正によって『自衛』のための実力の保持が可能となり将来的に軍隊が創設されるかもしれない」と懸念し「帝国議会貴族院での審議の大詰めになって、内閣のメンバーは軍人ではない『文民』でなければならないとする文民条項(憲法66条2項)を挿入するよう強く求め」たのだという。

 日米安保条約や日米間の密約については、布施祐仁の論考が本質的な問題点にふれていると思われる。「日米安保条約に基づく在日米軍は日本防衛のために存在しているわけではなく『米国中心の世界秩序の維持存続』を目的とする軍事作戦のために存在している」ことが未だに広く認識されないのはおかしなことだと思う。

 沖縄に米軍基地が過度に集中するようになった背景には、日米両政府が日米安保体制を維持するために、本土では基地を削減し安保の「不可視化」を進めながら、沖縄にその負担を押しつけてきた歴史があるという現代史の基本認識は全国民的に共有しておきたいところだ。

 日米間の密約にはさまざまなものがあるが、裁判権放棄についても密約があることは恥ずかしながら本書で初めて知った。旧行政協定では、日本の当局が米軍関係者を逮捕してもすぐ米軍に引き渡さねばならなかった。現行の地位協定では公務外の犯罪については日本が第一次裁判権を有すると明記されている。しかし、一九五三年の日米合同委員会で「日本にとっていちじるしく重要と考えられる事例以外」について第一次裁判権を放棄すると日本の代表が表明し、これが非公開議事録として残されたのである。裁判権放棄密約はいまも有効だと考えられる。

「コンフリクトとは、平和紛争学において、人間社会を平和的手段によって転換するための恰好の契機」という奥本京子の論考も示唆に富む。人々の多様性を認め、平和で人権が守られる社会をつくるには、社会の深いところにあるコンフリクト(葛藤・対立・紛争)を顕在化させることだという指摘には納得させられた。対立が表面化することを悪しきことのように考えがちな日本の社会風土を変えていくことが必要ではないだろうか。

「平和と安全保障は、普段生活するなかではなかなか実感できない、縁遠いものかもしれません」と本書の冒頭に記されている。平和や安全が脅かされたときに初めて我々はその価値を実感するのだろう。まがりにも自由に考え行動できるうちに、発言すべきことを発言しやれることをやっておきたいものだ。
[PR]
by syunpo | 2017-11-25 19:15 | 国際関係論 | Trackback | Comments(0)

平和利用と軍事利用の一体性〜『日米〈核〉同盟』

●太田昌克著『日米〈核〉同盟 原爆、核の傘、フクシマ』/岩波書店/2014年8月発行

b0072887_2003237.jpg 日米同盟とは「核の同盟」である。核には軍事利用としての核兵器と平和利用としての原子力発電がある。日本は外形上は前者を自粛し後者のみを推進してきたが、実際には両者は表裏一体のものである。

 本書は、そのような認識に基づき、戦後における日米の同盟関係について核を軸にしてみていく。著者の太田昌克は共同通信で長らくこの問題を追ってきた記者である。

 西側同盟の盟主米国は、冷戦の激化に合わせ世界唯一の戦争被爆国である日本の領土に、核戦力を前線配備しようとした。核兵器にきわめて敏感な反応を示す日本人にいずれ各配備を受け入れさせるために行なったのが「原子力の平和利用」による「核ならし」という、日本国内世論のマインドコントロールだった。(p19)

 核の「平和利用」と「軍事利用」がコインの裏表の関係をなしていること、まさにその原子力の表裏一体性ゆえに、稀にみる核被害国である日本は、米国の思い描く原子力レジームに組み入れられていったのだ。(p19)

 こうして日本の原発は米国から技術導入された。福島で原発事故が発生した時、米国が素早い対応を見せたのも戦後の日米〈核〉同盟の歴史からみれば当然のことであったろう。

 原子力の軍事利用たる核兵器については、米国の「核の傘」を受け入れていった経過を概観しているのだが、安保改定を主導した官僚の一人は非核三原則を「バカな話」とはっきり酷評していたというのには驚かされる。ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作もまた「非核三原則の『持ち込ませず』は誤りであったと反省している」と言い切ることがあったらしい。さらに核密約が外務官僚主導で行なわれてきたことを具体的に明らかにしているのも考えさせられる史実である。

 外務次官経験者らの証言からは、もう一つの重大事実が浮かび上がった。それは、事務次官ら外務省の事務方中枢の裁量で政治家に重要情報を伝えるか伝えないかを決める「官僚主導」の密約管理の実態だ。(p71)

 あらゆる情報が政治家に伝達されているわけではないことは民主主義の観点からは大きな問題であるが、大臣がすぐに代わる政治状況のもとでは「危ない人には言わなかったと思う」との官僚レベルでの判断が優先されたらしい。

 米国の「核の傘」のもとで国家としての主体的な判断を停止させている日本の状況について、最後にエティエンヌ・ド・ラ・ボエシの『自発的隷従論』を引いているのは示唆に富む。「日米同盟は『核』という軛につながれた『核の同盟』である」と著者はいう。

 膨大な公文書の読み解きだけでなく関係者への取材を加えることによって本書では戦後の日米関係史がいっそう生々しく描出されることとなった。文献資料のみに頼ってややもすると一本調子の読み物になりがちな学者の論考とは違って、ジャーナリストのフットワークの軽さが活かされた新書といえるだろう。
[PR]
by syunpo | 2017-07-31 20:02 | 国際関係論 | Trackback | Comments(0)

新たな列強の時代へ〜『中東から世界が崩れる』

●高橋和夫著『中東から世界が崩れる イランの復活、サウジアラビアの変貌』/NHK出版/2016年6月発行

b0072887_2045652.jpg 世界を人体にたとえると、中東は経済の血液(エネルギー)を体全体に送り出す心臓である。ここでの異常は世界に影響を与える。中東が混乱して崩れ、ブラック・ホールのように世界全体を吸い込んでしまう。そうしたシナリオを回避するためには当然ながら中東を理解することが重要になる。書名の「中東から世界が崩れる」とはそのような意味を込めている。

 ところで、日本での中東理解は宗教過多に陥りがちだと高橋和夫はいう。宗教の話をしてわかったような幻想にとりつかれるのは、そろそろやめよう。たいていの事象は宗教抜きでも理解できる。そこで本書では、宗教のみならず政治や経済にも着目し、問題の深層に光をあてていく。
 高橋は、イランとサウジアラビアを中心に中東情勢を解きほぐして、国際政治のうねりの中に位置づけなおす。そのうえで、国際社会が直面するテロや難民の問題を考え、最後に日本の立ち位置について検討する。

 中東で近代国家としての体裁を整えているのは、イラン、エジプト、トルコの三カ国だけ。残りは「国もどき」である。これが本書の基本認識だ。三カ国以外は「二〇世紀になって人工的につくられた“国もどき”」であり、強い国家意識を欠いているという。「国もどき」の代表格がサウジアラビア。工業化の水準、教育水準、労働力の構成、国民のアイデンティティーの強さなどを考えると、とうてい国家とはいえない。肉体労働者の多くは外国人であり、支配者層である王族は石油の富を使って国民の生活を保障している。イランが国際社会に復帰する一方、サウジアラビアが中東の盟主として存在感を示すことはこれからもないだろう。

 国もどきのエリアで統治が混乱をきたした間隙をぬってISが台頭してきたのは『イスラム国の野望』で詳述されているとおりである。米国のプレゼンスも低下しており、中東は新たな列強の時代を迎えつつある。当然、この地域の再編も考えられる。複雑で、多様で、曖昧とした世界が常態化する。日本を含む域外諸国は中東が本来持っていた世界への対応を迫られるだろう。

 日本はこの地域においては独自外交の蓄積がある。植民地をもった経験がないばかりか、ヨーロッパの植民地支配が残した後遺症への対処にも貢献してきた。ゆえに中東諸国からの信頼も厚い。中東に「善意の基盤」を持つ日本外交は大きな潜在力を秘めていると高橋はいう。テロと戦うという空疎で勇ましいかけ声を発するよりも、私たちは何よりもそうした「インフラ」を引き継いでいくべきだろう。

 高橋が新書形式で出している著作はおしなべて平易な語りで、晦渋なところはかけらもない。といって教科書風の堅苦しさはなく、文章には独特の味がある。本書も高橋の個性が発揮された良書ではないかと思う。
[PR]
by syunpo | 2016-08-30 20:06 | 国際関係論 | Trackback | Comments(0)

「だまされない」という意思〜『21世紀の戦争と平和』

●孫崎享著『21世紀の戦争と平和 きみが知るべき日米関係の真実』/徳間書店/2016年6月発行

b0072887_18374748.jpg 外務省で情報調査局分析課長、国際情報局長などを歴任し、現在は評論家として活躍している孫崎享が文字どおり「二一世紀の戦争と平和」について考察した本である。

 第二次世界大戦後の国際秩序を概括し、日本の対米従属構造を明らかにしたうえで、集団的自衛権の行使が日本の平和にとってけっしてプラスにはならないことを説く。恒久的平和を実現するためには「東アジア共同体」構想の具体化が必要だとまとめる。

 引用が多く、同じような話題があちこちに散らばるなど筆致は粗削りという印象なきにしもあらずとはいえ、外交の現場にいた人ならではの具体的な論述はそれなりに説得力を感じさせることも確か。たとえば湾岸戦争のときの日本の財政支援が国際社会で評価されなかったことを指摘して軍事的行動の必要性を説くのはよくある議論だが、実際にはクウェートが日本に感謝していたことを孫崎は具体的事実にそって述べている。

 また末尾に引用されている伊丹万作の「戦争責任の問題」と題された論文はネット上でも昨今よく引用されているけれど、なるほど一読に値するものだと思う。
[PR]
by syunpo | 2016-08-10 18:38 | 国際関係論 | Trackback | Comments(0)

異文化とともに生きる〜『イスラム化するヨーロッパ』

●三井美奈著『イスラム化するヨーロッパ』/新潮社/2015年12月発行

b0072887_2012728.jpg パリやエルサレムに駐在経験のある新聞記者によるルポルタージュ。イスラム化が進むヨーロッパとくにフランスの状況を手際よくまとめている。ヨーロッパからイスラム国に参加した人物の家族や、シャルリー・エブド事件の犯人を取調べた判事(日本の判事とはやや異なる?)などに取材していて、いかにも記者の手になる本という体裁である。

 テロの犠牲になったシャルリー編集部の校閲記者がイスラム教徒だということは初めて知った。「美しいフランス語への愛とイスラム教信仰は、彼の中で死ぬまで共存していた」。
 シャルリー・エブド紙の編集長、ステファン・シャルボニエが差別の犠牲者としてイスラム教徒に同情していたことが遺作に書き残されているという事実も興味深い。そうした意識とイスラム教を揶揄する漫画とが何故に共存できるのか。当人に直接聞く機会は永遠に失われたとはいえ、もう少し突っ込んだ記述が読みたかったところではある。

 対イスラムとの関係で西欧の失敗として著者があげていることは二点。第一に「西欧の価値観をイスラム教徒に押し付けすぎたこと」。宗教間の摩擦を避けるため政教分離をごり押しすることで、信仰を大事にするイスラム教徒にとっては生きにくい社会を作ってしまったのではないか。第二に「イスラム教徒のコミュニティを『多文化主義』の名目で放置すること」。英国や北欧がイスラム教徒の移民だけのコミュニティを認めた結果、過激派の温床になったと著者はみる。

 異文化を受け止め、共に生きる社会とは何か。それを熟慮し実効性のある政策を打ち出していくことはいかなる国にとっても容易なことではないだろう。だが、単純な排斥論や素朴な共生論ではどうにもならないことは明らかである。何はともあれ、本書はヨーロッパにおけるイスラム教徒の状況や政教分離の実相などの概況を知るうえでは有意義な本といえるだろう。
[PR]
by syunpo | 2016-04-22 20:02 | 国際関係論 | Trackback | Comments(0)

対米従属からの脱却を〜『転換期の日本へ』

●ジョン・W・ダワー、ガバン・マコーマック著『転換期の日本へ 「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か』/NHK出版/2014年1月発行

b0072887_202397.jpg 東アジア情勢が緊迫度をましているなか、日本はどのような道を進むべきなのか。日本の現代史に詳しい二人の研究者による提言の書ともいうべき本である。三つの章から成る。ジョン・W・ダワーの論文とガバン・マコーマックの論文、両者による対談記録という構成である。

 内容的には日本の戦後社会についてサンフランシスコ体制を基点にして分析するものである。ダワーは「従属的独立」、マコーマックは「属国」という言葉を使って日本の戦後政治の矛盾や混迷を指摘している点では一貫している。その見方は本書でも引用されている孫崎享のほか、矢部宏治、白井聡らの戦後分析と重なり合うものだろう。全体を通してとくに新しい視座を提供してくれるものではないが、米国の世界戦略と中国の台頭と関連づけて論及している点に本書の特徴があるといえるかもしれない。

 今後の展望に関しては、サブタイトルに関連づけるならば、両者ともに「パックス・アメリカーナ」から「パックス・アジア」に移行すべきことを主張している点では共通している。とりわけマコーマックが「『大国』の覇権の下での平和体制ではなく、協商主義というか、権力の均衡と共同体を重視したかたちをとるべき」ことをくり返し力説している点が印象に残った。
[PR]
by syunpo | 2016-01-15 20:23 | 国際関係論 | Trackback | Comments(0)

人間としての尊厳を回復するための〜『琉球独立論』

●松島泰勝著『琉球独立論 琉球民族のマニフェスト』/バジリコ/2014年7月発行

b0072887_19262782.jpg 琉球独立を提唱する書物はこれまでにも刊行されてきたが、本書は琉球の歴史や国際法、独立運動の国際比較など多面的な角度からその正当性を検証するものである。

「琉球の真実」を知れば、「琉球独立」が決してトリッキーな言葉遊びなどではなく、極めて普遍的でオーソドックスなテーゼであることがわかるはずだと著者は冒頭で述べている。なるほど本書を読んで琉球独立を主張することはけっして突飛なことでも絵空事でもないと理解することができた。

 琉球はもともと独立国であった。歴史上、沖縄の地名が使用されるようになったのは薩摩藩による武力を背景とした併合以後で、それ以前は琉球の地名が一般的に使われた。独立国として繁栄したのも琉球王国としてである。ゆえに本書では一貫して琉球の地名を使っている。

 琉球が沖縄と呼ばれるようになって以降は、構造的な差別と搾取がつづけられてきた。とりわけ戦後は日本国家の米国従属のもとで基地が押しつけられてきたのは周知の事実である。中央政府から政策的な経済支援があったとしても、それは地場産業を衰退させ、自然環境を破壊するものでしかなかった。白井聡のいう「永続敗戦」的な状況は琉球に凝縮してあらわれているともいえる。

 植民地状態からの脱却を目指すにあたって、松島は同時に太平洋の島嶼国との連携を提起している。琉球よりも人口の少ない島嶼の人々が独立を勝ち取ってきたという事実はなるほど研究に値するだろう。パラオ、マーシャル諸島、ソロモン諸島、ツバルなどここで紹介されている太平洋島嶼国はいずれも台湾と外交関係を締結しているのは興味深い。ちなみにこれらの島嶼国は今上天皇が二〇一五年の誕生日に際して出して談話のなかで言及している地域と多く重なりあう。

 本書の独立構想で注目に値するのは、各島嶼の自治に基づく共和国を提起している点である。琉球の歴史を振り返る時、入れ子状に差別構造が形成されてきた事実を無視することはできない。日本が琉球を差別してきたように琉球王国は周辺の宮古や奄美、八重山諸島を搾取してきた。その問題の反省と克服は必須である。そこで、各島の自治を尊重した連邦共和国の形態が望ましいというのが著者の主張だ。

 以上のような琉球独立への志向は、琉球以外の地域に住む日本人にとっても他人事ではない。琉球の人々が憲法九条の完全実施を掲げて独立に向かうとき、日本の安全保障体制も当然ながら安泰ではいられない。まさに日本の「永続敗戦」構造を抜本的に考えなおすことが求められるのである。
[PR]
by syunpo | 2016-01-04 19:35 | 国際関係論 | Trackback | Comments(0)

日本は情報収集の優位性を活かせ〜『イスラム国の野望』

●高橋和夫著『イスラム国の野望』/幻冬舎/2015年1月発行

b0072887_18595125.jpg イスラム国に関する解説書は本書と相前後して数多出版されたが、複雑怪奇な中東情勢をいかにわかりやすくときほぐすかが一つの課題になっているように思われる。

 本書では「複雑な枝葉の部分をできるだけ省略し、大事なポイントだけを絞りに絞って、最大限にシンプルな解説をするよう心がけ」たという。噛み砕いた語り口はもともと著者の持ち味、口上どおりイスラム国をめぐる歴史的背景や中東情勢がコンパクトにまとめられている。

 イスラム国はイラクとシリアで勢力を急拡大させた。
 イラクは米軍撤退後のマリキ政権の失政が直接的には過激派台頭を招くことになったのだ。イスラム国が強かったというよりも、イラク中央政府がまったくダメだったという面が大きい。シリアではアサド勢力と反アサド勢力の対立に、内外の諸勢力がからんで「内戦の中に内戦がある」ような戦争のマトリョーシカ状態が生まれ、イスラム国につけいるスキを与えてしまった。
 政治の空白が危険な政治勢力を育む土壌になるという教訓は、この問題だけにいえることではないかもしれない。

 まとめの部分で、高橋は米軍によるイスラム国空爆の効果を一定程度認めたうえで、地上戦なしでも「じっくりと時間をかけて圧力をかけ続ければ、イスラム国は内部崩壊していくでしょう」との見通しを示している。また日本がとるべき道として、イスラム国に接近するジャーナリストや研究者の活動をあまり縛ることなく、情報面での優位を活かせるような政策的配慮の必要性を主張しているのが印象に残った。

 ナポリオーニの『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』がローマ建国を引き合いに出すなど時に射程の長い歴史的俯瞰の姿勢を見せているのに対して、本書は手堅く近現代の中東情勢にそって話をすすめている。文明論的な新しい視点を提示しようという余計な色気を抑えているぶん読みやすく仕上がっており、新書という形式にも適合した良き入門書といえるだろう。
[PR]
by syunpo | 2015-05-18 19:05 | 国際関係論 | Trackback | Comments(0)

近代性と現実主義に立つテロ国家!?〜『イスラム国』

●ロレッタ・ナポリオーニ著『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』(村井章子訳)/文藝春秋/2015年1月発行

b0072887_21223054.jpg 二〇一四年六月、イラクとシリアの両国にまたがって急速に勢力を拡大してきたイスラム過激派の一組織が「イスラム国」と称してカリフ制国家の樹立を宣言した。
 人質殺害の映像をネットで公開するなど、その残虐性を隠さないばかりか戦略的に広報しているテロ組織が一定の領土を確保し、世界から兵士を集めることができるのは何故なのか。イスラム国と戦うためには、やはりその背景についての考察が必要となる。この〈カリフ制国家〉の本質は「数十年に及ぶ欧米の政治および中東への介入と深くむすびついている」のだ。

 本書の著者は、北欧諸国政府の対テロリズムのコンサルタントを務め、各国の元首脳らが理事に就いている民主主義のための国際組織の対テロファイアンス会議の議長にもなっている人物。

 イスラム国は何よりも「サイクス=ピコ協定」の終焉をうたっている。それは第一次世界大戦中にイギリスとフランスによって締結された秘密協定で、戦後のオスマン帝国の領土分割を定めたもの。この協定よって中東地域には人為的な国境線が引かれた。イスラム国はそのような欧州が勝手に決めた国境線の無効を主張しているわけである。

 欧米の専門家の多くはイスラム国をタリバンと同じ時代錯誤の組織だと考えているが、著者の認識は異なる。イスラム国が「先行するどの武装集団とも決定的にちがう点は、その近代性と現実主義にある」という。
 シリア内戦やイラクの混乱による政治の空白を巧みに利用し、新しい地域支配者を名乗るにいたった経緯をみると、グローバル化・多極化した世界において大国が直面する限界を明確に理解していたといえる。

 イスラム国がその残虐性を戦略的に示している一方で、国家を建設するための政治的パフォーマンスにも注目すべき点が多々ある。領土をとり、石油を確保して経済的に自立する。領土征服後には住民の承認を得ることにも熱心。道路を補修し、食料配給所を設け、電力を安定的に供給し、ポリオの予防接種まで行なっている。また高度な会計技術を使って財務書類を作成する労も惜しまない。

 イスラム国を過去の歴史と照らし合わせるとき、いくつかの類似点を先例に見出すことが可能である。
 イスラム国の考える国民国家とは、同一民族で構成されるだけでなく、民族と宗教を共にする国家である。この点はイスラエルに似ている。
 また著者はローマ建国をも想起して次のように述べている。

 これ(=イスラム国)と同じように野心的な国家建設プロジェクトは、じつは過去にもあった。全近代的な部族社会でなされたその建国プロセスもまた完全に武力に依存していたし、超自然的な権威によって正統性を誇示し、失われた黄金時代への郷愁を喚起しようとした。それは、ローマの建国である。(p96〜97)

 イスラム国の広報戦略はどうか。「国家としての正統性を主張するために『イスラム国』が使った手法は、じつに皮肉で逆説的なことに、アメリカに倣ったものだ」と指摘する。

 ナポリオーニは、そうした考察をおこなったうえで「外国の軍事介入が中東の不安定化の解決にならないことははっきりしている」と明言。この新しいパワーに対抗するには、戦争以外の手段を模索すべきである、という。
 事態の進展に合わせて緊急に出版されたもののようで、やや荒削りな記述であることは否めないが、イスラム国の背景を理解するうえでは有益な本といえよう。
[PR]
by syunpo | 2015-05-15 21:23 | 国際関係論 | Trackback | Comments(0)