ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
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情報屋と思想家の対話〜『国家・ナショナリズム・帝国主義』

●柄谷行人、佐藤優『対談〜国家・ナショナリズム・帝国主義』(『世界』所収)/岩波書店/2007年1月号

b0072887_21161476.jpg 佐藤優は、現在「起訴休職外務事務官」の肩書きで、メディアにも登場する機会の増えた「論客」である。鈴木宗男と太いパイプをもち、もっぱらロシアを舞台に異能の外交官として活躍したらしい。この人物が、批評家の柄谷行人と対談した。世の中には、いろんな対談のキャスティングがあるもんだ、と妙に感心しつつ読んでみる。柄谷行人の愛読者としては、それなりに面白い。

 この二人の接点を端的に表わす発言が、冒頭、佐藤によってなされている。

 佐藤 冷戦後の日本外交を組み立てる上で、実は私たち情報屋はかなり哲学書を使って思考してきたのですが、特に柄谷さんの評論を、この時代をどう読むかというきわめて実用的な観点から読んできました。これがものすごく使える(笑)と言いますか、なぜこうした洞察ができるのかと思ってきました。そして私には、柄谷さんの思想が非常にプロテスタント神学的に見えるのです。

 日々、洪水のような情報を処理し分析していくことを生業にしているインテリが、思想書や哲学書に向かう、というのは何となくわかるような気がする。国際政治学者の時局解説風の言説や、国際通を自称するジャーナリストのワケシリ顔のレポートなど、外交の舞台でアクチュアルな問題に対峙している人間にとって、たいして役には立たないであろうことは、素人にも察しがつく。様々な観測や噂が飛び交うなかで二律背反する複数の情報を手にしたとき、どれを捨てるか何を採用するのか、最終的に依拠できるのは原理的な思考である、と情報屋が考えるのも一つの合理だと思う。
 
 ここでは、柄谷の近著『世界共和国へ』をベースに、国家やナショナリズムのあり方について、もっぱら理念的に語りあっている。この対談を通読して、佐藤優という人物はかなりの教養の持ち主であることを認識した。

 柄谷は、みずから実践し失敗した地域通貨の試みを顧みて、貨幣の根拠を相互主観的な承認に求める考え方、つまり岩井克人のような思考をバッサリ否定している。
 映画館の切符とタクシー券からスタートして機能させている滋賀県の地域通貨「おうみ」の例を引きながら、結論する。「それによって何かと兌換できるのでないかぎりは、通貨として通用しないのです」。
 それをさらに一般化すれば、「みなが合意したからと言って真理ではない」ということだ。同じように、国家を「共同幻想」だといって批判しても意味はない、国家が存在するのは、人間の関係が根本的に暴力をはらんでいることを理解しなければならない、そして国家と貨幣とは相互につながり補足しあうものなのだ、と柄谷は言う。
 
 国家の強靱さを再確認したうえで進む二人の対話は、興味深い。佐藤の実務家としてのエピソードのいくつかが、柄谷の理論を補強する。一方で、日本政府が米国を仮想敵国とみなさず米国内政の調査を軽んじている事実を指摘して「憲法九条で去勢されている」状況への言及も忘れない点に外務事務官としての相貌をものぞかせる。

 最後に、佐藤は『世界共和国へ』にふれて、「国際情勢を見る際にこの本の力を借りて普遍的な言語で語ることができるのです」とあらためて賛辞を送っている。これを受けた柄谷の総括的な発言もなかなか良い。

 柄谷 ……最近あらためて思うのは、ポストモダニズムの理論家が、歴史は物語だ、理念は幻想だといって斥けてしまったのは、犯罪的だということです。カントが言ったように、理念は幻想に決まっているのです。今さらそんなことを言うのはおかしい。ただ、幻想にも種類がある。たんなる幻想と、それをとったら生きていけないような幻想(仮象)がある。カントはそれを超越論的仮象と呼びました。たとえば、「自分」というものも、そういう幻想です。それを欠くと、分裂病的になる。
 そういう意味で、歴史の理念を欠くと人々はいわば分裂病的になります。それでも、インテリは理念は幻想だと嘲笑してシニカルでいられるが、普通の人たちはそれではすみません。だから、宗教的な原理主義に向かうことになる。その結果、知識人がばかにしていたものが、ひどい形で返ってくる。

 佐藤 そうすると知識人自身の首が、ブーメランによって落ちてしまいます。いま論壇の状況は、理論的対話という言葉が死語になってしまっている。

 柄谷 私は何より、理論的認識が必要だと思います。それがないと、失敗してきたし、今後も失敗するに決まっているからです。

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by syunpo | 2006-12-10 21:21 | 雑誌 | Trackback | Comments(0)

思わず武満のCDを聴きたくなった〜『芸術新潮』

●『芸術新潮』〜特集・はじめての武満徹/新潮社/2006年5月号

b0072887_20574883.jpg この雑誌を手に取ったのは初めてだ。武満徹の名に惹かれて、つい買ってしまった。今年は、武満徹没後一〇年ということで、この偉大なる作曲家を追想する企画があちらこちらで行なわれているわけである。
 本誌では、その特集タイトルからも明らかなように、難解な批評は退けられて、あくまで武満のイントロダクションに徹した構成になっている。生前のマルチな活動ぶり、多面的なプロフィールについて詳しく知らなかった私は、それなりに楽しめた。

 何よりもまず、掲載されている写真が面白い。音楽家を好んで撮る木之下晃の作品が随所に配されている。なかでも、特集の扉を飾る武満の横顔が素晴らしい。手を顔の前で合わせてまるで祈るような表情に「指が綺麗」という撮影者のコメントが付されている。
 あるいは、Patrick McArdellが撮影した写真。岩城宏之とメルボルン交響楽団が武満作品を演奏するコンサートのリハーサル風景。客席にポツネンと座って巨大な楽譜を見ている武満の背中とステージ上のオケ団員を、後方から引いて撮ったショットは何とも印象深いものだ。

 記事で興味深かかったのは、美術好きでも知られた武満の美術作品からインスパイアされた作品の紹介と、その挿話である。
 パウル・クレーの《余白に》から啓示を受けたというオーケストラのための作品《マージナリア》。マン・レイがデュシャンの星型に剃られた頭部を撮影した写真《剃髪》の視覚体験から生まれたオーケストラのための《鳥は星形の庭に降りる》。友人の作曲家、ルーカス・フォスから届いた絵葉書にヒントを得た《森のなかで》。
 それぞれの絵画や絵葉書の写真を添えつつ、武満自身の著作から該当する記述を抜粋する、という気の利いた構成だ。
 また、三一書房から刊行された『中井英夫作品集』は、武満徹が装丁していることを初めて知った。みずからの図形楽譜のイメージを転用したということだが、なかなかシブいデザインだ。

 CD五八枚の圧倒的なボリュームで話題を集めた小学館・武満徹全集の大原哲夫編集長の苦労談は何やら全集の宣伝めくが、武満理解には欠かせない他社の労作を取り上げた公正な編集姿勢は、評価されてよい。
 武満が手がけた映画音楽に関しても、かなりの紙幅が割かれていて、思わず録音を聴きたくなるのは私だけではないだろう。
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by syunpo | 2006-04-26 21:03 | 雑誌 | Trackback(2) | Comments(4)