●仲村清司著『本音で語る沖縄史』/新潮社/2011年6月発行
学校で琉球=沖縄の通史を学ぶ機会はそれを専門に学ぶ課程にでも進まないかぎりほとんどないのではないだろうか。その意味では沖縄の通史が読みやすい一般書の形式で刊行されたことは悦ばしい。実際、私は本書を読んで多くのことを学んだ。沖縄の歴史をみる場合、重要なのはその地政学的な位置関係から常に中国と日本などの大国の間で翻弄されてきたことである。とりわけ王国成立以降は日中両属という立場はメリットでもあったろうが、デメリットも多かった。結果として歴史の分岐点では常に国内で親中派と親日派に分かれて政争を繰り広げることになり、国家としての一体感を形成することに困難をきたしたのである。さらにペリー来航以降は米国のプレゼンスが加わり、沖縄の労苦を増すこととなった。 また沖縄本島と宮古・八重山の先島諸島との間にみられる断絶や格差も、無視することはできない。江戸期に薩摩藩が琉球を搾取したという主従の構造は、沖縄本島が宮古・八重山を搾取するという形で琉球領域内においても相似的にみられたものである。著者が沖縄に関する「被害者史観」からの脱却を説くのもそうした史実を見過ごすわけにはいかないからだ。沖縄を一筋縄で括ることはできないし、括るべきでもない。本書からはそのような多層的な沖縄の歴史が浮かびあがってくる。 もっとも薩摩藩が琉球を支配するにあたっては、それと前後して沖縄と日本本土との同一性を強調する「日琉同祖論」が活発に展開されるようになった。これについて仲村は当時の時代背景を検証しながら「薩摩の琉球支配を肯定するために提唱したというよりも、改革を実行するため」になされた「思想的操作」であったと注目すべき分析を行なっている。 また文献資料の乏しい一五世紀から一六世紀にかけて活躍したアカハチや与那国島を統治していたというサンアイ・イソバらの逸話にはある種のロマンを掻き立てるものがある。この時期の琉球史についてはさらなる研究がまたれるところだ。 仲村はあとがきで述べている。 歴史に学ぶとすれば、沖縄に残された選択肢は、まことに険しい道のりではあるものの、やはり「自立」に向けて自らの将来像を描く道を模索するほかないのではないか。 この一見過激な主張も本文を読んだあとならば、その心については充分に理解しうるものである。
●岡田温司著『グランドツアー 18世紀イタリアへの旅』/岩波書店/2010年9月発行
一八世紀のヨーロッパ。イタリアは歴史・自然・芸術など幾多の面において憧憬の地として栄華を極めていた。とりわけ英国では支配階級や貴族の子弟たちが教育の最後の仕上げとしてイタリアを旅することがよく行なわれた。グランドツアーである。むろんイタリアを目指したのはひとり英国の若者だけでない。各国の画家や建築家、音楽家や文学者など多様な人々が南国の陽光に吸い寄せられるようにしてかの地を訪れた。その意味では、グランドツアーは一八世紀ヨーロッパの文化を特徴づける興味深い現象の一つだったといえる。本書はグランドツアーをもっぱらイタリア側に視点をおいて論述したものである。 イタリアへの憧憬や関心を掻き立てるメディアとして絵画や文学があったというのは世界史の常識に属することかもしれないが、著者はその具体例をたとえばゲーテを引いておもしろく読ませる。文豪ゲーテは『イタリア紀行』を著わすほどにグランドツアーに入れあげた知識人の一人であった。マルモレの滝を見て「絵のように美しい」と決まり文句を発したり、シチリアへの旅ではホメロスの『オデュッセイア』を想起したり……。 今日でも、話題になった映画のロケ地を巡るべく海外へ出かけるといったツアー客は珍しくないけれど、似たようなことは何百年も昔からヨーロッパで行なわれていたのだ。 ……本物の景色はそっちのけでカメラばかり覗いているなどと、わたしたち日本人のことを好んで皮肉る西洋人のほうが、実はこの件に関しては、ことによるとわたしたちよりずっと大先輩だったということである。(p57) このほか本書ではグランドツアーと自然科学との関連やグランドツアー客と肖像画家との蜜月関係などなど、一八世紀イタリアに向けられた多様な関心のありようとその歴史的効果などが手際よくまとめられている。図版が数多く収録されているのも悦ばしい。薄っぺらな実用的知識の切売りが常態化した現今の新書市場にあって、本書はいかにも「現代的教養」を謳って出発した岩波新書らしい一冊といえるだろう。
●澤田典子著『アテネ民主政 命をかけた八人の政治家』/講談社/2010年4月発行
その昔、私が東京に住んでいた頃、都議会議員だったか市議会議員だったかの選挙で、ある女性候補者が「アテネの直接民主政が一つのモデル」と訴えているのを読んでいささか戸惑ったことがあった。アテネの直接民主政に現代の代表制民主主義国家が参照すべき点がまったくないとはいわないけれど、女性候補が規範と仰ぐのは尋常ならざる事態ではなかろうか。アテネ市民が政治に多くの時間と労力を費やすことができたのは、ひとえに参政権のない女性や奴隷が生産労働や家事に専念していたからである。アテネの民主政とは冷厳な性差別・階級差別のうえに成立したものであることを、くだんの候補者はどう考えていたのだろう。 さて、本書はアテネの政界を命がけで生き抜いた八人の政治家たちの軌跡をとおして、アテネ民主政一八〇年の歴史を概観しようとするものである。著者の澤田典子は、古代ギリシア・マケドニア史を専門としている新進の研究者。プロソポグラフィ研究(対象となる個々人の伝記的事項を徹底的に洗い出す手法)を駆使する研究者だけあって、古代アテネの政治史に足跡を残した指導者的人物の系譜や生い立ちに詳細な叙述がなされているのが本書の大きな特色といえるだろう。 完成期のアテネ民主政においては、成年男子全員が平等に参政権をもち、ポリスの重要な決定は市民たちの多数決で決められた。このなかで重要な役割を担った機関は、民会・評議会・民衆法廷である。 民会とは市民の総会で、文字どおりアテネの最高議決機関であった。直接民主政を最も直截に具現する場だったといえる。多数の市民が集まる民会での審議を円滑にするために、民会の審議事項をあらかじめ先議したのが評議会である。その構成は三〇歳以上の市民から抽選で選ばれた五百人の評議員から成る。民衆法廷の陪審員もまた抽選によって選ばれた。 軍事や財政など専門的な能力を要するごく少数の役職については、民会での挙手で選出された。公的な役職に就く者は、就任前に厳しい資格審査を受け、任期中には毎月の主要民会ごとに挙手採決で信任を問われた。任期中に怠慢や不正があれば、裁判にかけられることもあれば罷免されることもあった。なお厳しいのが任期終了時の執務審査で、この過程で告発されることも多く、有罪となれば、罰金・市民権喪失・死刑などの処罰が行なわれた。 政治家にとどめをさす最も有効な手段として弾劾裁判があった。市民の誰もがいつでも政治家を法廷に引き出すことができるもので、有罪になればほとんどの場合、死刑となった。告発された政治家がしばしば裁判を待たずに亡命したのも、その裁判の厳しさを物語るものである。そうした大きなリスクに最も直接的に晒されていたのが最高位の軍事職のストラテゴス(将軍)である。前四世紀半ばに至るまで、アテネの政治家はほぼすべてストラテゴス経験者であり、本書で取り上げられている八人も一人をのぞいて皆ストラテゴスを務めた経歴をもつ。 アテネの政治的リーダーは、大いなる功績を残せば、それに見合った様々な特権や名誉を付与されたが、失政を行なえば文字どおり命を失う危険にさらされていたのである。 著者は、そのような政治家の足跡を辿ることで、アテネの民主政の一面を浮き上がらせようとした。僭主の香りを残したミルティアデス、アテネの民主政の絶頂期に活躍したペリクレス、民衆を指導する弁論術に新機軸を打ち出したクレオン……。 私が興味深く思ったのは、アテネの直接民主政を完成させたといわれるペリクレスの政策である。彼は、新たな市民権法案を提起したことで知られる。従来は、父親がアテネ市民であることが市民権取得の必要条件であったのを、両親ともアテネ市民であることを必須条件とした。市民権取得のハードルを高くしたわけで、今日の規範に照らせば「民主政」に逆行する措置であったといえる。しかし逆にいえば、そのことで「市民団の閉鎖性を強化することになり、特権身分としての市民が平等に政治に参加するという徹底した直接民主政の確立に寄与」(p114)することとなった。 澤田はこのようなアテネ民主政の両義性についてはそれ以上のことをあまり語っていないが、いずれにせよ、濃密な直接民主政を可能ならしめたのは、市民と非市民を厳しく峻別し、内に徹底した平等を実現させ、外に部外者を排斥する、という排他的なあり方であったことは間違いない。 もとより、古代アテネの時代と現代とでは、政治に対する人々の意識も軍事的・文化的環境も大いに異なる。著者がいうように、今日の政治規範をもってして当時の民主政を批判することは容易なことであり、その意味ではアテネ民主政のネガティブな側面を強調することにさほどの意義はないだろう。 本書の趣旨からすれば、アテネ民主政のシステムや機微を詳しく知りたいと思う読者には、いささか物足りなさが残るのは当然だが、当時のリーダーたちが命の危険を顧みず政治に打ち込んだという史実には驚嘆以上のものを感じさせられた。
●ロナルド・トビ著『「鎖国」という外交』/小学館/2008年8月発行
国を鎖(とざ)す。すなわち鎖国。江戸時代の外交政策をそのように表現することには、かねてより疑義を呈する声は少なくなかった。具体的には一九七〇年代頃から「鎖国」史観に対する異論が提起され出したらしい。江戸時代を通して対外関係の窓口となっていたのは、長崎、対馬、薩摩、松前の四箇所。関係をもっていた国は、中国(明・清)、朝鮮、オランダ、琉球王国、蝦夷である。これらは、鎖国政策の例外というよりも、対外政策上、意図的に選ばれた窓口であり相手であった、と見る方が自然ではないか。そもそも国家が出入国を厳重に管理するのは当然のことであり、現在でも外国人が入国できるのは空港や港など場所は限られている。実際、徳川幕府の公式文書や法令のなかに「鎖国」の文字は一切みあたらない。 〈江戸時代は「鎖国」を国是として、対外関係は一部をのぞいてつねに閉鎖されていた、という観念〉は〈幕末以降に広まった〉ものであり、それは明治維新の「開国」「文明開化」との対比において誇張された歴史観にすぎない、という趣旨のことを仲尾宏も著書『朝鮮通信使——江戸日本の誠信外交』のなかで述べている。 本書はそのような歴史認識に基づき従来の鎖国史観からの脱却を目指して記された江戸外交史である。著者は近世の日朝関係を専門に研究している米国人歴史学者。 著者によれば、日本は「鎖国」と呼ばれた時期の最初の一世紀、じつは積極的に商業・技術、または外交政策上において必要で有用な海外情報の収集活動をした。とくに中国とは正式の外交関係はなかったが、日本の輸入品の大部分を生産する重要な国であったことから、つねに中国の情報を入手しようとしていた形跡がうかがわれるという。 幕府が外国情報を収集するためのルートは、いうまでもなく「四つの口」のうち長崎や対馬、薩摩を結節点として整備されていた。 たとえば、中国船が長崎に入港すると唐通事が船長などに聴取して得た情報をまとめた風説書(報告書)を長崎奉行を介して江戸へと送付された。対馬藩や薩摩藩は、幕藩体制の原則にふさわしく幕府の意思と政策に対して敏感に反応した、とされる。 また、一般に「鎖国」体制が完成したといわれる寛永一六年(一六三九年)のポルトガル船追放以後も、日本は朝鮮との外交を積極的に維持した。朝鮮通信使の受け入れや対馬藩の対朝鮮貿易は「鎖国」体制以降も継続されたのである。幕府は朝鮮通信使の行列を民衆に見せることで明らかに幕藩体制の権威づけや強化に利用していた。 その意味では「鎖国」的政策による閉鎖的で内向きの統制によって秩序維持をはかったというよりも、時に外交関係を利用した戦略的な統治によって幕府の求心力を強めようとした、とみる方が実態に即しているだろう。 一六四〇年以降の日本は、東アジアにおいて確固とした存在感をもっており、東アジアの発展と歩調を合わせていた。従来の「鎖国」論は、日本がアジアの一員であることを無視して、ヨーロッパとの関係だけを切り離して論じていたといえるだろう。(p18〜19) ロナルド・トビは日本・東アジアの近世近代史の専門家であり、自身が最初に断わっているようにヨーロッパとの関係についてはあまり論じられていない。また逆に近世の美術史料をめぐる記号論的な読解に多くの紙幅が費やされている。外交史としてはややアンバランスな叙述と論点の散らばった構成には不満が残らないではないが、近世の日本をアジア史的な文脈で理解するうえでは新たな視座を与えてくれる面白い本であると思う。
●松木武彦著『列島創世記』/小学館/2007年11月発行
小学館が出している〈全集 日本の歴史〉シリーズ全一六巻のオープニングを飾る一冊。旧石器時代から縄文・弥生を経て古墳時代に至るまでの時代、文献資料が乏しいためもっぱら考古学にその研究が委ねられている時期が対象となる。本シリーズに先駆けて刊行された講談社の〈日本の歴史〉シリーズでは、本書の後半部に該当する時代を扱った寺沢薫の『王権誕生』(二〇〇〇年刊行)が標題どおり古代列島における政治の覇権争いと稲作の伝来・普及をめぐって記述の多くを費やしていることを思えば、本書の多角的な叙述は松木の視野の広さのみならず、日本考古学の日進月歩の歩みをも感じさせて、まことに興味深い。 とはいえ本書から得た印象をざっくりいえば、先端の考古学の面白さと同時にいくばくかの疑問をも感じずにはいられなかった。話題の認知考古学の手法を導入しているのが売りの著作なのだが、正直なところ認知考古学なるものの真価は本書を読んだかぎりでは今一つよくわからない。 認知考古学とは何か。ヒトの心の現象を科学的に分析する「心の科学=認知科学」の成果を考古学に採り入れたものだという。著者によれば、それは「歴史科学の再生」のために導入される。在来の考古学では科学的な叙述を行なうには限界がある、ということなのだろうか。もっとも松木は認知考古学の科学性をアピールするのに、冒頭ではすでに命脈が絶たれたと思しきマルクスの史的唯物論をやり玉にあげ、まとめの部分では文献史学の限界を指摘している。 最近、朝日新聞に掲載されたインタビュー記事で松木自身が「警察の捜査に例えると考古学の発掘は“鑑識”で、心理学に近い認知考古学は“プロファイリング”」と解説しているのを読んで、本書の消化不良感の所以が理解できたように思った。鑑識結果は容疑者の特定にも起訴後の公判維持にも貢献するが、プロファイリングとは推論でしかなく役に立つのは犯人逮捕まで。それじたいは科学的知見に基づいてはいても裁判での証拠としては使えない。 さて、本書が描く認知考古学的方法による先史時代像のクライマックスの一つは〈美的モニュメント〉の代表例とみられる壮大な前方後円墳の出現をもたらした、その根本的要因を探るくだりであろう。 松木は力をこめてまず次のように述べている。 旧石器時代からの四万年の列島史のなかに古墳を位置づけたり、列島の古墳が世界でも最大級の規模を誇るまでになった要因を説き明かしたりするためには、さらに大きく視野を広げ、心の科学を武器にして、ヒトとモニュメントとの関係を分析することも必要だ。(p318) そうした視野から分析した結論は以下のようなものだ。 日本列島に、美的モニュメントの典型のひとつといえる巨大前方後円墳が現われたもっとも根本的な要因、ないし人類史的な理由は、文字が本格的に使われるようになる以前に社会の格差が先行して進んだために、人工物の知覚を通じてそれを合理化する必要性がどこよりも著しく高まったからだろう。(p322) 神話や史書によってみずからの地位を権威づけたり、法制による統治を目指したりするような、文字をもとにした情報による支配の制度が未熟だからこそ、美的モニュメントのような人工物に多大の労力を注ぐ必要があったとする松木の分析は説得力を感じさせる。 ただ疑問に思うのは、このような叙述は松木がいうように本当に「認知考古学」という「武器」の導入をもって初めて可能になったものなのかどうか、ということだ。失礼ながらこの程度の分析なら、大仰に「認知科学」を引っぱり出してこなくとも、在来の社会科学的知見だけで充分書ける内容ではないかと思う。 同じことは前半で縄文式土器の脱機能的な「凝り」をめぐって展開される文化論・コミュニケーション論的な分析にもいえる。 もっとはっきり言ってしまおう。認知考古学の看板がかえって記述の混乱をまねいている箇所もみられる。 たとえば、弥生時代中期の終わりから紀元前後に各地に増えた高地性集落をめぐるヒトの心の変化を述べたくだりだ。この時期に人びとが高所への興味を強めた根本的要因は「やはりヒトの心の中に探るべきだろう」(p249)との認識を示して、以下、その考察にすすむ。 高いところが醸し出す心の現象は二つある。 一つは、高所からの眺望がもたらす空間認識の客観性。二つめは「上下」の関係性の体感が社会的な序列や不平等と結びつくという事象である。 以上二つの現象から、高所願望の根本的要因として「正しい空間認識や地理情報への社会的要請が強まっていたこと」「『上・下』の関係をはらむ世界観が、社会の階層化と連動しつつ人工物に演出されようとしていたこと」を指摘するのである。 だとするなら、話はそこで終わるはずはない。「正しい空間認識や地理情報への社会的要請が強まったのは何故なのか」「上・下の関係をはらむ世界観が、社会の階層化と連動しつつ人工物に演出されようとしていた社会的背景は何なのか」という新たな問いがただちに提起されるはずである。実際、松木自身もその問いに答えるべく考察を深めていく。 その結果、大陸からやってきた鉄器の普及に代表されるように「生産や生存を支える物資を、海や陸を越えた遠いところから取り寄せなければならない」状態が到来した、という生存条件の変化を指摘するに至る。 つまり、弥生時代中期の人びとが高所への関心を高めた要因には、彼らの心に変化があったことは疑えないが、別にそれが「根本的」なのではない。そのような心の変化を促す社会の変化があったということが決定的に重要なのであり、それこそが「根本的要因」というべきだろう。 無論、この一連の考察には論理的破綻はない。ただ、松木が前提的に「ヒトの心の中」を過大評価しているにすぎない。したがって「人びとが高所への興味を強めた根本的要因は、やはりヒトの心の中に探るべきだろう」という趣旨の認知考古学(というよりも心理学)を意識したフレーズを削除しさえすれば、ここでの叙述の整合性がとれるのだ。 ちなみに前述した寺沢薫の著作では、高地性集落出現の背景については鉄器との関連から見る説を斥けてもっぱら軍事的必要性が強調されている。今回、松木は明らかにそうした異論への再批判を企図したものと思われる。ただ従来どおりの説を繰り返すだけでは芸がないので「認知科学」的な視点を加えて理論武装をはかったところが、空回りしてしまった、というところだろう。 いずれにせよ、松木が本書において安易かつ頻繁に用いている「根本」「本質」の語句には注意を要する。 以上をまとめあげていえば、著者自身が「プロファイリング」(=推論)であることを自認している方法をもって、先史時代の出来事の「根本的な要因」を探ろうとしたり、「科学の再生」を図ろうとしている方法的矛盾に加えて、その分析内容じたいも必ずしも斬新さを感じさせるものではない、ということだ。 新しい学問領域の旗を掲げるためには、それなりのパブリシティが必要なことは察するけれど、それにしても叙述のあちこちから松木の気負いが伝わってきて読んでいて息苦しくなった。 もちろん参照できる知見があれば、どこからでも引っぱってくれば良いと思う。考古学が考古学の枠組みに縛られなければならない理由などあろうはずはない。今やあらゆる学問は他の学問から知恵を借りる時代、学際的研究が志向される時代なのだから。 実際のところ、松木は明記していないだけで、本書の記述に限ってもホッブズの自然状態=社会契約説の古代版という趣の推論があったり、文化人類学的な知見と通底する叙述があったりするのだ。 その意味では、松木がことさら認知科学のみに固執する必然性もないだろう。必要以上に「ヒトの心」を強調するあまりに、もともと唯物論的な科学として営んできたはずの考古学が凡庸な観念論に侵食され、かえって曖昧化しかねない危うさを本書からは感じてしまった。
●加藤陽子著『戦争の日本近現代史』/講談社/2002年3月発行
為政者や国民が「だから戦争にうったえなければならない」「だから戦争をしていいのだ」という感覚をもつようになるのは、いかなる論理の筋道を手にしたときなのか。その歴史的経緯に注目して、日清・日露戦争や満州事変、太平洋戦争に関する日本側の「論理」をあとづけたのが本書である。本書の叙述スタイルの特徴は、日本の近現代史における「戦争の論理」(の変遷)を、さながら自然科学者が観察対象を冷静にウォッチングするように、正邪の判断を極力排した形で検証している点に見出すことができる。 加藤のそうした姿勢は〈「二度と戦争は起こさない」という誓いが何回繰り返されても、今後起こりうる悲劇の想定に際して、起こりうる戦争の形態変化を考えに入れた問題の解明がなくては、その誓いは実行されないのではないか〉という山口定の言葉を念頭においたものと著者自身があとあきに記している。 ただ、ここで分析の対象になっているのはもっぱら為政者(&為政者を支えた知識人)サイドの言説であり、彼らの「論理」がどこまで当時の国民との間に共有されていたのか、その検証はかなり手薄である。とくに叙述が現代に近づくにしたがってその傾向は強くなっている。 好意的に解釈すれば、戦前戦中の政府や軍部の言動が逐一正確に国民に開示されていたわけではないし、言論の自由が保障されていたわけでもないのだから、為政者から出された「戦争の論理」の受容の実態については、残された文献のみから読み解いていくことはもともと困難な作業には違いない。 さらに、疑問点を挙げると、国民レベルで戦争を支えるものは「論理」ばかりとは限らず、情念や感情といった要素も無視できないのではないか、という点だ。その疑問は本書を読み終えた後でも完全に払拭することはできなかった。 とはいえ、本書が日本の近現代史を学ぶうえで有意義な視座を提供してくれていることはまぎれもない事実だろうと思う。 特に興味深く読んだのは「内にデモクラシー、外に帝国主義」といわれる日本の近代化の二面性に触れた部分、とりわけ自由民権運動における対外政策や征韓論の背景などに関する記述である。 一般に征韓論に象徴される対外強硬論は「士族の内乱を防ぐために対外侵略をガス抜きとして使おうとした」との解釈がなされる場合が多いのだが、加藤によるとそうではなく、「維新当時の国家の元気を取りもどし、国家の覆滅を回避する道」(p48)として「立憲」と「征韓」の組み合わせが志向されたのである。
●山内昌之著『帝国のシルクロード』/朝日新聞出版/2008年8月発行
イスラム史の碩学者として名高い著者が『週刊朝日百科・シルクロード紀行』に連載したエッセイを中心にまとめた本。〈トルストイの見たイスラーム〉〈オスマン帝国の「大奥」〉〈天璋院篤姫とモールス信号機〉などなど、シルクロードに関連した歴史学のウンチクが様々な視点から展開されている。それぞれの章には関連した文献からの引用が織り込まれているので、ブックガイドとしても有用だろう。ただ、ごく短い文章の集成ということで読みやすくはあるのだけれど、料理が一口ずつ小皿に取り分けられているのを順に食していくような食い足りなさが残ることも否定できない。 松本清張や司馬遼太郎、柘植久慶など、引用・言及されているテクストに凡庸なものが少なくないのと、政府関連のミッションが多いためか、海外訪問でのエピソードや外交論などは思いのほか公式的・権威主義的な色合いの強い記述で、軽く読み流してしまいたくなる箇所がいくつかあった。 蓮實重彦との一連の対談(『20世紀との訣別』『われわれはどんな時代を生きているか』)などはもう少し楽しく読んだ記憶があるのだが、本書は、正直、期待ハズレの一冊。 ついでに記しておくと、法隆寺金堂の柱のふくらみが古代ギリシア文明の影響を受けたものとする学説は、建築史や美術史の分野では積極的に支持する学者はほとんどいないにも関わらず、それが何の留保もなく記述されている(p95)のも問題である。
●網野善彦著『「日本」をめぐって〜網野善彦対談集』/洋泉社/2008年6月発行
二〇〇四年に亡くなった歴史学者、網野善彦の対談集。対談の相手は田中優子、樺山紘一、成田龍一、三浦雅士、姜尚中、小熊英二。網野自身が巻末に断わっているように、網野の発言はそれまでの著作で論じてきた内容の繰り返しが多く、その意味で新味はないものの、網野史学の精髄がここに凝縮されているということはできる。全編をとおして、「百姓=農民」と考える旧来の農業中心史観や発展段階論に対して批判の刃が向けられ、「海」「村」「農」の実態を歴史的に見直す必要性が説かれている。日本の農漁村では自給自足の閉じられた共同体が営まれてきたわけではなく、古くから交易や商業が栄えてきたのである。 田中優子との対談は『無縁・公界・楽』をめぐってのもので、二人のリラックスしたダイアローグは本書の幕開けにふさわしく思われる。「鎖国」という言葉は江戸時代の公的文書には一切出てこず、一八〇一年、志筑忠雄がケンペルの『日本誌』を翻訳した時に初めてその言葉が登場した、という田中の指摘はまことに興味深い。 樺山紘一、成田龍一、三浦雅士、姜尚中との対話はいずれも二〇〇〇年に刊行された『「日本」とは何か』を基に交わされたもの。 『「日本」とは何か』は、講談社の〈日本の歴史〉シリーズの巻頭を飾る00巻として執筆され、日本という国号をはじめ国家としての成立を歴史的に見直そうとした野心作である。 対話者がそれぞれの関心に即して多様な読解を披瀝しているのを読んで、あらためて網野の晩年の代表的著作を手に取ってみようとする読者は多いに違いない。 経済用語をめぐる三浦との対話は示唆に富んでいるし、姜が東アジア全体の歴史に引きつけて網野の仕事に言及している点なども彼の立場からすれば当然とはいえ、網野の史観のダイナミズムを一層引き立てるものだろう。 最も紙幅が割かれている小熊英二との対談(小熊英二著『対話の回路』にも所収)では、小熊が網野のテキストをじっくり読み込んだうえでもっぱら聞き役に回り、その思索の変遷を跡付けていこうとするもので、網野史学全般を理解するうえで極めて有意義な対話となっている。 ただ、小熊が例によって「時代精神」との関連を重視する図式的な読みに拘泥し、網野の著作の特質ともいえる多義性や豊穰さが損なわれるような危惧も覚えないではなかった。 さらに、「時代精神」の磁力が発話者に与える影響とテキストの受容に際して働く影響とを小熊が整理しきれないままに網野に批判的なツッコミを入れているのにもいささか疑問を感じたが、それでも丁寧な受け答えを続ける網野の誠実さや歴史家としての基本姿勢がより鮮明になったという点で、小熊の執拗なインタビューも功があったというべきなのかもしれない。 網野善彦の描いた歴史は、日本列島に住む人々の生活や文化の多様性を明らかにした。それ故に方法論的にも従来の文献史学に根本的な反省をせまるものでもある。農漁村の旧家に残る「襖下張り文書」や民具資料・絵画資料などの考古学・民俗学的なアプローチをも重視した柔軟な姿勢は、これからの歴史家の可能性をさらに大きく拓いていくものだろう。 なお本書の原本は、二〇〇二年に講談社から刊行された。
●磯崎新、福田和也著『空間の行間』/筑摩書房/2004年1月発行
本書は、世界的建築家の磯崎新と文芸批評家の福田和也が建築と文学について語りあったものである。磯崎が「ひとつの歴史的文化的区分を代表すると考える日本建築」を提示し、それに対して「その同時代を担うような文芸、もしくは思想のテキスト」を福田が取り上げ、両者を併置・対置したときに見えてくる文脈や照応を探っていこうというコンセプトだ。東大寺南大門には『明月記』、伊勢神宮には『古事記伝』、厳島神社には『平家物語』といった照応は当然想定しうるものの、広島平和記念会館に『「いき」の構造』、万国博覧会お祭り広場に三島由紀夫、番外編としてヴェネツィア・ビエンナーレに村上春樹をもってくるあたりの発想に二人の面目躍如たるものがある。 戦後民主主義の象徴的な施設ともいえる広島平和記念会館を設計したのは丹下健三だが、彼のモダニズムと九鬼周造の「いき」を重ね合わせた議論や、建築家の立場から織田信長を「突拍子もないクライアントの出現」と磯崎が評するくだりがとりわけ面白かった。 < 前のページ次のページ >
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