ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
by syunpo
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
検索
記事ランキング
最新の記事
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
マーラーが死の前年に書き..
from dezire_photo &..
経済成長がなければ私たち..
from 天竺堂の本棚
『せつない(新訳 チェー..
from 施設長の学び!
カール・マルクス『ルイ・..
from 有沢翔治のlivedoorブログ
愛国の作法
from 蔵前トラックⅡ
雑考 自由とは何か④
from 読書メモ&記録
東浩紀 『クォンタム・フ..
from 身近な一歩が社会を変える♪
純粋に哲学の問題だ「ベー..
from 夕陽の回廊
バーンスタインのミュージ..
from クラシック音楽ぶった斬り
memento mori..
from 試稿錯誤
タグ
ブログジャンル

カテゴリ:歴史( 32 )


入試問題でアクチュアルに歴史を学ぶ〜『「超」世界史・日本史』

●片山杜秀著『大学入試問題で読み解く 「超」世界史・日本史』/文藝春秋/2016年12月発行

b0072887_1128141.jpg 日本思想史を専攻する片山杜秀が歴史の大学入試問題に挑戦するという企画。編集部選りすぐりの記述式問題に片山が回答の方針を述べた後に専門家の模範解答が示され、その後にまた片山が解説を加えるという形式である。選ばれた入試問題は全部で二十三問。〈世界史〉〈中国史〉〈日本近代史〉〈昭和の戦争〉〈戦国時代〉の五つに章分けされて紹介されている。片山が問題を解いていく過程がそのまま歴史の学習に役立つという仕掛けで、問題に対する論評もスパイスがきいていて面白い書物に仕上がっている。

〈世界史〉では、二〇世紀につくられた国際機構(国際連盟と国際連合)に関する一橋大学の問題に違和感を表明しているのがおもしろい。国際連盟は「何もないところから、第一次世界大戦のあまりにも悲惨な結果を反省した国々が、ウィルソンの理念に共鳴して、集まってできた」ものだが、国際連合の方は第二次大戦の連合国を母体とする。入試問題では両者ともにモスクワ宣言で打ち出された理念を具現化する国際機構として想定、出題しているのだが、片山は「連合国の意向でできた国際連合を平和を求める人類の善意でできたかのよう」に考えるのは「錯誤」であると問題そのものに対して疑義を呈するのである。

〈中国史〉における科挙に関する問題に関連して、中国を手本にした日本が科挙を導入しなかった理由について解説しているくだりも興味深い。「能力主義は身分制や地縁・血縁の論理とは相性が悪く、それを排除しようとする傾向があります。ですから、科挙官僚の批判の矛先は、貴族だけでなく、世襲で君臨している天皇に向かった可能性があります」と片山は推論している。

 日本史関連では「統帥権の独立」の解釈が政治的対立の重要な争点となった事件(ロンドン海軍軍縮会議における統帥権干犯問題)の解説に片山らしさがはっきりと出ている。かねてからの持説である「未完のファシズム」問題の一端に論及しているからだ。
 当時、軍政と軍令は分離されていたが、これは明治憲法の権力分立思想の一面を示す仕組みでもあった。片山の見方によれば、統帥権干犯問題は軍政と軍令が分かれていたことに起因する。明治憲法下の権力分立による統治機構は総力戦時代には適合せず、権力の一元化を旨とするファシズム国家にはついになりえなかったというのが片山の「未完のファシズム」論である。

 このほか、昨今の欧州とイスラム圏との対立の根源に遡らせて十字軍遠征について答えさせる慶応義塾大学の設問と解説も骨太の歴史認識を問うもので勉強になったし、中国共産党と中国国民党との関係を問う問題なども現在の日中関係を考えるうえでは参考になるものだろう。

 片山の歴史観が時に強く押し出された本書の記述には賛同できない点もなくはないけれど、「アクチュアルに歴史を学ぶ」には恰好の新書であることは間違いない。
[PR]

by syunpo | 2017-04-08 11:30 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

近代日本の歴史をくぐりぬけてきた歌〜『ふしぎな君が代』

●辻田真佐憲著『ふしぎな君が代』/幻冬舎/2015年7月発行

b0072887_12191238.jpg 一八六九年、英国王子エディンバラ公アルフレッドが来日し、明治天皇に謁見することになった。日本史上初めての西洋王族の来朝である。明治新政府は失礼のないように周到に準備を始める。歓迎の準備が進むなか、横浜に駐屯していた英国陸軍の軍楽隊長が「日本国歌はいかなるものでよろしいか」と問い合わせてきた。外交儀礼として両国の国歌を演奏するというのだ。接伴掛は急遽、古歌「君が代」を用いることを思いつく。曲は鹿児島で愛唱されていた琵琶歌「蓬莱山」の一節を転用することになった。接伴掛の一人が蓬莱山の節で君が代を歌い、軍楽隊長に譜面に起こしてもらった。──これが「君が代」の始まりとされる挿話の一つである。が、定説とはなっていない。様々な異説が今なお存在しているのである。

 いずれにせよ、当時「国歌」が重視されていなかったということは確かである。確実な記録がなく関係者の記憶さえ曖昧で、国家全体として「国歌」に取り組んだ形跡がまったく見当たらない。はっきりしているのは、千年近く「あなた」の健康長寿を祈ってきた古歌が「国歌」に選ばれた時に「天皇」のみを讃える歌へと変貌したということである。

 そのようなスタートを切った歌であるからして、国歌として定着していくには、幾多の試練を経なければならなかった。様々な批判が戦前戦後を通じて寄せられた。「君が代」に代わる国歌が模索されたことも何度かあった。それらをはねのけて現代まで生き延びてきたのである。

 本書はそのような「君が代」の波乱万丈の歴史を丁寧に検証している。歌詞をめぐる解釈が時代に合わせて巧みに変化をとげていったこと。民間による普及活動がその定着に大きく貢献したこと。息つぎの箇所を含めて「君が代」の歌い方が統一されたのはレコードやラジオが普及した昭和時代に入ってからのこと。……などなど本書によって初めて知った史実はたくさんあった。
 著者が結論的に提起している「君が代」運用論には今ひとつ賛成できないけれど、君が代を理解するうえでは良き入門書であることは間違いない。
[PR]

by syunpo | 2017-03-10 12:21 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

普遍的な概念でストーリーを語る〜『げんきな日本論』

●橋爪大三郎、大澤真幸著『げんきな日本論』/講談社/2016年10月発行

b0072887_1957078.jpg 今や講談社新書の名物コンビとなった橋爪大三郎と大澤真幸の対談シリーズ第三弾。テーマは日本史である。時流に媚びたような書名にはあまり共感できないが、ここにいう「げんき」とは「自分なりのストーリーを見つけること」。具体的には「普遍的な概念をもって説明」することで「科学的な検証にたえる」ようなストーリーを再発見するという意味らしい。
 社会学者二人による議論なのであくまで「仮説」の提起というレベルにとどまるものの、歴史の読み物としてそれなりにおもしろいことは確かである。

 全体を古代・中世・近世に対応する〈はじまりの日本〉〈なかほどの日本〉〈たけなわの日本〉と三部構成にしたうえで、それぞれに六つの問題を配して二人が語りあっていくというスタイルをとる。

「なぜ日本では、大きな古墳が造られたのか」を考える一章では、「余剰労働を『非軍事的に消費する』こと自身が、目的だったのでは」と推察したり、平安時代における古典文学の成立によって「日本という文化的空間の、アイデンティティ(自己同一性)が揺るぎないものになった」といった橋爪の発言はなるほどおもしろい。

 承久の乱の画期性を指摘するあたりの議論も勉強になったし、戦国大名は統治権が伝統に基づかないという橋爪の指摘を受けて「日本史上初めて出現した事実上の政府」と大澤が受けるやりとりも異論はありそうだが、興味深く読んだ。

 安政の不平等条約について「条約の内容は不平等かもしれないけれども、条約という形式は、両者の対等性を前提にしている」という認識にもなるほどと思う。二人の認識によればこの条約のおかげで日本の独立が保障され、ヨーロッパ列強による植民地化を免れたということになる。

 日本史学の専門家であればもっと精緻な議論が求められるだろうが、専門外の気楽さから自由闊達に仮説を披瀝している点に良くも悪くも本書の特質があるといえるだろう。
[PR]

by syunpo | 2017-02-24 20:01 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

戊辰戦後デモクラシーとしての〜『自由民権運動』

●松沢裕作著『自由民権運動 〈デモクラシー〉の夢と挫折』/岩波書店/2016年6月発行

b0072887_9143625.jpg「戦後デモクラシー」といえば、アジア・太平洋戦争後の民主化・民主主義運動のことを指すが、戦後史研究者の三谷太一郎は、日本近代史においては、それぞれの戦争がそれぞれの戦後になんらかの政治参加の拡大を引きおこしていることに注目し、複数の「戦後デモクラシー」が存在することを指摘した。
 松沢裕作は、この指摘をさらに一つ前の時期にさかのぼらせ、戊辰戦争という内戦の後に発生した政治参加の拡大要求として自由民権運動を位置づけようとする。すなわち「戊辰戦後デモクラシー」としての自由民権運動である。

 戊辰戦争という、二百数十年ぶりの全国的軍事動員は、近世の身分制秩序を大きく揺るがした。とくに戦場での功績は、武士から都市下層民に至るまで、戦後のしかるべき処遇を求める動きを生み出したのである。(p23)

 河野広中、板垣退助、尾張の博徒たち、のちに自由民権運動に參加することになる彼らに共通するのは、戊辰戦争における勝利の経験であった。その意味では自由民権運動とは高邁な理念に駆られた行動とは必ずしも言いがたい。本書の観点からいえば、民撰議員設立建白書は失脚政治家たちの「わりこむ」ための道具だった。

 近世社会は身分制秩序に基づいて、それぞれの階級はそれぞれの共同体にまとめられて統治されていた。それぞれが所与の「袋」の中で生活していたのだ。それが同時に彼らの安心や安定を保障していたともいえる。しかし明治維新はそれらの共同体を解体した。「袋」がやぶれてしまったのである。

 自由民権運動とは、何よりも所属すべき「袋」からあふれ出した人びとが拠り所を求めた運動であったといえる。各地に創設された結社がそうした人びとの不安に応えるものとして機能した。ゆえにそれぞれの結社がかつての封建制に基づいた身分の保障をしたとしても不思議はない。それはたとえば「結社に入れば兵役を免れる」「永世禄が支給される」「税金が免除される」などの宣伝としてあらわれる。松沢は人びとが結社や運動に託した思いを〈「参加=解放」型の幻想〉と呼び、自由民権運動の重要な要素であったことを指摘する。この認識は本書の核を成すものといってよい。

 ところが政府が国会開設や憲法制定を宣言したことで自由民権運動は大義を失うことになった。自由民権運動の衰退期には暴力的な事件がいくつも発生したが、それも戦後デモクラシーという文脈でみれば理解可能である。

 暴力に訴えてでも新しい秩序を自分たちの手で創出するというのは、自由民権運動の中心となった自由党の存在意義そのものであり、自由党の思想の中核にあった。そうした思想の淵源には、実際に暴力で旧秩序を打ち倒した戊辰戦争の体験があった。

 以上のように要約すれば、本書の記述は身も蓋もない史実を明らかにしたということになるのかもしれない。といって過去の国民的な運動を後世の高みから冷たく突き放して眺めているというのでもない。松沢は結びで述べている。「少しでも生きやすい世の中を自分たちの手でつくりたい、という自由民権運動を支えていた人びとの欲求は、また私のなかで完全に失われていない欲求」でもあるのだと。自由民権運動について新たな視点をもたらしてくれる好著である。
[PR]

by syunpo | 2016-09-03 09:15 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

あるシベリア抑留者の軌跡〜『生きて帰ってきた男』

●小熊英二著『生きて帰ってきた男 ──ある日本兵の戦争と戦後』/岩波書店/2015年6月発行

b0072887_1945366.jpg 小熊謙二は満州に出征し、ソ連軍侵攻にあって四年間のシベリア抑留生活をおくった後、生還を果たした。帰国後は職業を転々としながら高度経済成長の波にのってビジネスを成功させ、晩年は中国在住の元日本兵が起こした戦後補償裁判の共同原告となって裁判を闘った。波乱万丈の人生を息子・英二がオーラル・ヒストリーの形でまとめたのが本書である。

 シベリアでの収容所暮らしで注目すべきことの一つは「民主運動」であろう。捕虜たちのあいだで共産主義思想に基いてお互いを糾弾しあうという運動が生じたのだ。それにはソ連側の働きかけがあったことは事実だが、捕虜たちがみずからすすんでそのような運動を行なった側面も否定できない。小熊は、日本の捕虜たちが「過剰適応」した部分も大きかったと分析している。謙二自身はそうした運動からは距離をおいていたらしいのだが。

 それにしても謙二の人生は様々な意味で人間のたくましさを感じさせる。戦後、結核を患い長期にわたって療養所暮らしを体験し、外科手術のために片肺の状態になってしまうのだが、それでもその後の人生をビジネスマンとして生き抜いた。また後年、戦後日本国籍を失った元日本兵には政府の補償を受ける権利がないことに理不尽さを感じ、中国在住の元戦友が起こした裁判をともに闘うすがたは感動的でさえある。

 ──シベリアや結核療養所などで、未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったか、という息子の問いに対する父・謙二の回答はシンプルゆえに印象深い。「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」。

 一般に戦争体験の記録は学徒兵や将校など学歴や地位に恵まれた者たちによって記されたものが多い。「生活に余裕がなく、識字能力などに劣る庶民は、自分からは歴史的記録を残さない」。その意味では、とくに学歴に優れているわけでもなく、軍隊で恵まれた境遇にいたわけでもなく、戦後もインテリとして生活したわけでもない人物にまつわる本書の記録はこれまでの戦争体験記の隙間を埋めるものであるかもしれない。

 さらに類書と異なっている特色として、著者もいうように戦前と戦後の生活を詳細に記述している点が挙げられるだろう。「戦前および戦後の生活史を、戦争体験と連続したものとして」描くことで「戦争が人間の生活をどう変えたか」「戦後の平和意識がどのように形成されたか」といったテーマにも応えるものとなった。力作といえるだろう。
[PR]

by syunpo | 2016-03-18 19:06 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

重い十字架を背負って〜『戦争をしない国』

●矢部宏治、須田慎太郎著『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』/小学館/2015年7月発行

b0072887_1921575.jpg 東京裁判で絞首刑を宣告されたA級戦犯七名が処刑されたのは、一九四八年十二月二十三日。明仁皇太子十五歳の誕生日だった。ちなみにA級戦犯が起訴されたのは、一九四六年四月二十九日、昭和天皇の誕生日である。それらの合致はもちろん偶然ではない。そこには明らかに占領軍の政治的意図がこめられていた。一九四八年にはすでにドイツ、イタリア、ハンガリーなど欧州の敗戦国の王室はすべて廃止されていた。天皇の戦争責任を問う声が連合国側に少なくなかったなかで、日本の皇室だけが温存されたのである。

「おそらく明仁天皇は、その後、自分の誕生日を爽やかな気持ちで迎えられたことは一度もなかったでしょう」と矢部はその心中を推し量っている。「それはひとりの中学生が背負わされるには、あまりに重い精神的な十字架でした」。

 本書は、明仁天皇が戦後憲法の制約のなかで(皇太子時代を含めて)これまで発してきた言葉を取り上げ、戦後民主主義や平和主義について再考しようとするものである。象徴天皇制に反対する者も賛同する者も、基本的人権を奪われた一人の人間としての天皇の言葉にあらためて耳を傾けてみるのもけっして無駄ではないだろう。須田慎太郎の印象的な写真がふんだんに使われていて美しい本に仕上がっている。

 普通の日本人だった経験がないので、何になりたいと考えたことは一度もありません。皇室以外の道を選べると思ったことはありません。(p8、1987年9月/アメリカの報道機関からの質問に対する文書での回答)

 政治から離れた立場で国民の苦しみに心を寄せたという過去の天皇の話は、象徴という言葉で表すのに最もふさわしいあり方ではないかと思っています。(p44、1984年4月6日/結婚25周年の記者会見)

 沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております。(p100、1996年12月19日/63歳の誕生日会見)

[PR]

by syunpo | 2015-10-28 19:06 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

法的責任と道義的責任〜『「歴史認識」とは何か』

●大沼保昭、江川紹子著『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』/中央公論新社/2015年7月発行

b0072887_19535814.jpg 国際法を専攻する大沼保昭がジャーナリストの江川紹子の質問に答えるという形で「歴史認識」について語りおろしたもの。東京裁判、サンフランシスコ講和条約、戦争責任と戦後責任、従軍慰安婦などの問題を取り上げて、近現代史をわかりやすく概観している。江川はあまり出しゃばらず素朴なインタビュアーに徹しているのがいい。

 とくに興味深く思われるのは、著者自身が深く関わった従軍慰安婦の償い事業に言及するくだりで「法的責任を認めさせることのほうが道義的責任を認めさせることよりすぐれている」という認識に異議を唱えている点だ。

 加害者に裁判で法的な責任を認めさせて、内心はともかく、渋々損害賠償させることが、ほんとうによい解決といえるか。むしろ、害を加えた側が心から深く反省して、申し訳なかったと明確に謝罪して、被害者に精神的・物質的償いをするほうがよいのではないか。(p138)

 多くの人に原稿のチェックを受けたというだけあって、本書全体をとおして各方面に気を使った形跡が明瞭に感じられる。良く言えばバランスのとれた記述といえるだろう。慰安婦問題をめぐって自身に寄せられた左右両極からの批判に対して「『激論』『対立』の構図は不毛」と明快に述べるのも、償い事業で主導的な役割を果たした著者の実体験に基づく自負から導かれたものに違いない。

 しかし私自身はそのような態度に必ずしも賛同できない。巷に不毛な論戦が多いのは事実だが、対立の構図そのものはむしろあらゆる論題の前提になるものである。そもそもアカデミズムやジャーナリズムとは常に論争が行なわれることを旨とする空間ではなかったか。必要以上に対立を忌避し、調停をはかろうとする態度にはいささか欺瞞的なにおいを感じる。
[PR]

by syunpo | 2015-08-19 19:56 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

内発的発展のもとに〜『グローバリゼーションの中の江戸』

●田中優子著『グローバリゼーションの中の江戸』/岩波書店/2012年6月発行

b0072887_19295084.jpg つい一昔前まで、江戸時代とは「鎖国」の時代であり、その社会のあり方は閉鎖的としてネガティブに論じられることが多かった。しかし、そうした見方は一面的という以上に、かなりの謬見を含んでいることがその後の研究によって明らかになってきている。そもそも「鎖国」なる用語は江戸時代の公式文書に使われたことは一度もない。

 本書ではロナルド・トビの『「鎖国」という外交』など歴史学の成果に立脚しながら江戸時代の日本を国際社会との関連によって、すなわちグローバリゼーションの中に位置づけて見ていく。

 たとえばファッション。着物は日本独特のものではない。その形は中国から来て東アジア諸国と共有し、その文様や技法はインドを含めたアジア全体と共有している。あるいは美術。印象派に日本の衣類や道具類、庭のデザイン、浮世絵が大きな影響を与えたことはよく知られている。その浮世絵じたいは中国版画の影響を受けて発展してきたと考えられている。日用品に関しても、陶磁器や眼鏡などは世界市場との関わりのなかで普及するようになった。

 また江戸時代の出現をグローバルな視点から分析するくだりにも蒙を啓かれた。豊臣秀吉の朝鮮出兵によってアジアで孤立を深めた日本は、江戸時代に大きな外交の転換をはかろうとした。「鎖国」というイメージとは反対に、江戸時代こそがようやく本格的なアジアとの外交が始まった時代と田中は指摘する。

 ……日本は、江戸時代になると初めて、東アジアで中国・朝鮮・ヴェトナムと対等になろうとしました。それも軍事的な力によるものではなく、文化・文明の高さと技術力において、対等になろうとしたのです。江戸時代の平和主義、官僚機構の整備、インフラ整備、治安の良さ、教育水準の高さは、そのような幕府の姿勢によって徐々に作られたもので、努力によって積み上げられたものです。(p157)

 また鉄砲の伝来が戦国時代の終焉をはやめたことはよく言及されることだが、本書ではさらに鉄砲を自国生産するようになったことに象徴的な意義を見出している点は興味深い。つまり(銀生産などの)資源で生きられなくなった日本は世界に存在する技術産品を自ら作ることができるようにすることで生き残りをはかったのである。

 江戸期日本は閉鎖的というよりも国際社会のアクターとして、諸外国との間で相互に影響を受けたり与えたりしていた。しかもそれを内発的に為していたことは注目に値する。江戸時代に様々な問題点のあったことは確かだが、よく言われる日本の島国的・鎖国的な発想というのは、江戸時代にはまったくあてはまらないことがよくわかる。岩波ジュニア新書〈知の航海〉シリーズの一冊だが、大人が読んでもおもしろく勉強になる本だ。
[PR]

by syunpo | 2015-05-01 19:37 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

戦後改革を相対化する視点〜『占領と改革』

●雨宮昭一著『占領と改革 シリーズ日本近現代史⑦』/岩波書店/2008年1月発行

b0072887_946145.jpg 戦後日本の民主化政策は、米国占領下で強権的に行なわれた。これが一般的な現代史解釈である。しかし占領の有無に関わらず敗戦に対応する改革が行なわれた可能性を探ることもまた必要ではないか。そうした視角によって、占領という本来不可欠とはいえない関与を通じての改革が「立派な改革」として固定化され、帝国の改革イデオロギーになっていることを相対化できる。──これが本書の基本姿勢である。

 戦前・戦後の政治動向を分析するにあたって雨宮は四つの政治潮流を類型化している。上からの軍需工業化の強行や国民負担の平等化を進めようとした「国防国家派」、下からの社会の平等化・近代化・現代化を主張した「社会国民主義派」、徹底的な産業合理化など自由主義経済政策を唱えた「自由主義派」、明治時代の政治・経済・社会体制への復帰を目論んだ「反動派」──の四つである。
 雨宮の認識によれば、戦前から戦後の一時期まで国内政治の動きはこの四つの潮流の対立や提携によるドラマとみなすことができる。その意味では戦前から戦後まで連続した政治の劇が展開されてきたわけである。

 そうした認識を提示したうえで、占領政策のサクセスストーリーに相対化を試みていく。
「敗戦はヒロシマ・ナガサキへの原爆投下とソ連の満州への進攻が決定的」だする通説に対しては、国内の政治潮流を整理したうえで「反東条連合の勝利によって敗戦を可能にする政治潮流が主導権をもっていたことが決定的であった」と述べる。
 軍需産業から民需産業への転換が比較的スムーズにおこなわれたのは「戦時中総動員体制をつくる時に有効に機能した中央、地方の官僚機構や失業対策機構などが、きわめてよくはたらいたからである」と指摘して、戦前からの連続を重視する。
 労働政策についても「総動員体制における平準化や植民地の喪失などの条件を考えれば、労働組合法の制定、戦後の労働政策がGHQの占領と改革のみによっておこなわれたとはいえないのではないか」という。

 一九五〇年前後にみられた政党の再編についても、戦前からの政治潮流に基づいた整理が可能である。

 自由党と共産党を除けば、社会党も他の政党も協同主義、修正資本主義、そして社会連帯主義の政治綱領をもっていた。その政策は、総力戦体制形成期の社会国民主義とも共通している。その意味でいえば、協同主義あるいは社会国民主義の再生である。当時の「中道」といわれていた政党は、そのような政策ももっていたのである。(p173)

 ただ全体をとおして感じたのは、論証が不充分で従来の学説に対して疑義や別の視角を提起するレベルにとどまる記述が少なくないように思われることだ。むろん戦後の占領政策を考えるにあたって、本書が示唆に富む内容をもつことは否定しない。コンセプトからすれば日本人以上に米国の研究者や政治家に読んでもらいたい本だが、さて英訳はされたのだろうか。
[PR]

by syunpo | 2015-01-25 09:51 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

柔構造がもたらした成果と挫折〜『明治維新』

●坂野潤治、大野健一著『明治維新 1858-1881』/講談社/2010年1月発行

b0072887_20304040.jpg 日本の幕末維新期の歴史はわかりにくい。韓国や台湾の権威主義開発体制の単純さに比べると極めて複雑な動向を示しているのである。このわかりにくさは、指導者の無節操や政局の混乱に帰すべきであろうか。本書の回答は否である。際限のない闘争として目に映る幕末維新期のわかりにくさは、当時の日本政治の弱点ではなく、むしろ世界史にほとんど類を見ない長所と考えられるのではないか。本書ではこれを政治の「柔構造」と命名し肯定的に分析する。著者の坂野潤治は日本近代政治史、大野健一は開発経済学・産業経済論が専門の研究者。

 柔構造には多重性がある。「目標のダイナミズムにみられる柔構造」「グループ間の合従連衡に関わる柔構造」「指導者自身の可変性と多義性に関わる柔構造」である。この三層の多重性が絶妙にからみあうことによって、幕末維新期の日本は欧米列強の支配を免れ、急速に近代化を進めることができた、というのが本書の見立てなのである。

 明治維新を達成させた二つの基本目標は富国強兵と公議輿論であった。このスローガンはそれぞれ二分して富国派と強兵派と憲法派と議会派の四つに分かれた。この四分裂こそが柔構造を可能にした。一つの目標の挫折は他の三目標の推進でカバーし、一つの勢力の突出は他の三勢力の連合で封じ込める。個々の指導者たちも状況の変化に対応して可変性を発揮した。そうした柔構造による国家運営は他のアジア諸国の開発独裁型とはまったく異なるものであった。

 通常、帝国の周辺部に位置する後発国が世界システムに参入しようとする時、既存の巨大な国際秩序に呑み込まれてしまうものである。しかし幕末維新期の日本はそうならなかった。国際社会への参入を受動的な組み込まれではなく、能動的な「翻訳的適応」(前川啓治)として実行したからである。西洋起源の事物をそのまま受容するのではなく、自らの世界観に読み換えて理解し、既存の文化・制度の連続性のなかで受容すること。これが「翻訳的適応」である。

 だとすれば何故日本は「翻訳的適応」に秀でているのか。それが次の問題となる。本書では梅棹忠夫の『文明の生態史観』などを引きつつ、それを日本史の構造的特徴として取り出そうとする。

 内力と外力の交替、大文明からの適度な距離という観点から日本史を見ると、日本社会は元来持っている特徴を決して捨て去ることなく、外的要素の吸収と内的展開を幾度となく繰り返しながら、累積的かつ重層的な社会構造をつくりあげてきた、といえる。それはユーラシア大陸の周辺に位置しているという日本の地理的条件にも関わっている。

 以上のような日本の翻訳的適応を可能ならしめた重層構造については、使う用語は異なるものの夏目漱石や丸山眞男が否定的に論じてきたものだ。が、本書ではむしろ評価の対象となるわけである。
 ただし好悪いずれの立場で論じるにせよ、そのような議論の枠組みじたいが一つのステレオタイプであるという批判はありうるだろう。その意味では、本書が展開している仮説の内実に関してはオーソッドクスな日本論のバリエーションの一つといえるかもしれない。
[PR]

by syunpo | 2014-09-02 20:39 | 歴史 | Trackback | Comments(0)