カテゴリ:建築( 8 )

大地の女神は渦を巻く〜『建築の大転換』

●伊東豊雄、中沢新一著『建築の大転換』/筑摩書房/2012年2月発行

b0072887_19325977.jpg 本書は建築家の伊東豊雄と思想家の中沢新一の対談をもとにまとめられている。数回にわたって行なわれた対談の間に東日本大震災が発生したために、その前後では当然ながら趣の異なった話の展開にはなっているが、全体をとおして一貫している問題意識もある。経済効率に基づいた合理的思考に対する懐疑である。それは端的にいってモダニズム建築に対する批判的姿勢といってもいいだろう。

 東日本大震災後に行なわれた中沢の講演や二人の対論は中沢が『日本の大転換』で示した構想がベースになっていて、とくに中沢の発言に新味は感じられないものの、伊東が被災地で実践している「みんなの家」のプロジェクトなど具体的事例に言及されている点は興味深く読んだ。
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by syunpo | 2013-07-06 19:40 | 建築 | Trackback | Comments(0)

出来事としての建築〜『ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり』

●磯崎新、浅田彰著『ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり 10 years after Any』/鹿島出版会/2010年1月発行

b0072887_18453030.jpg 二〇世紀末の十年間に世界の諸都市で開催された《Any Conference》。これはその討議のために磯崎新と浅田彰が共同で執筆したテクストを編集したものである。コンファレンスに関連して行なわれたトークセッションを集成した『Any: 建築と哲学をめぐるセッション 1991-2008』とは双子の関係にある本といえよう。

 日本を代表する建築家と建築にも詳しい批評家とのややズレを孕んだ言葉のキャッチボール。今やあらゆる計画も統制も無効になったという二人の認識からすれば、こうして互いに「分裂的」な言説の断片を繰り出していくなかで、にもかかわらず相互刺戟が生まれ新たな言説を紡ぎ出していく、というプロセスをそのまま本にするというスタイルはそれなりに二人のビジョンに適ったものといえるだろう。

 浅田が世界の建築史を、他のジャンル——思想、文学、美術、さらには社会事象——との相互連関を視野に入れながら要約していく語り口は相変わらず簡潔明瞭、浅田節はここでも絶好調である。磯崎がしばしば東洋古来の概念——風水、道元の時間論、「うつ」や「間」——を引っぱり出してきてみずからの建築や都市構想をプレゼンテーションするというイカガワシサ満載の所業に出ても、浅田はその危うさを認めつつ、やはり手際よく歴史的文脈のなかにそれらを位置づけ肯定的に評価する。
 もっとも、磯崎がヴェネツィアでの国際建築ビエンナーレに出展したという《憑依都市》のコンセプトなど、浅田の補完的なコメントに接しても私には今一つピンとこなかったけれど。

 かつてアヴァンギャルドは「Xは終わった、Y万歳」「Yは終わった、Z万歳」という宣言を繰り返すことで、結果的に近代資本主義の過程の永続化・加速化に貢献することになった。だが今や、終わることそのものが終わった。そこで「歴史は終わったのだから、あとは終わりなき引用と折衷のゲームと戯れるだけだ」というのならば、安易なポストモダニズムの反復になってしまう。
 浅田はいう。「終わりの終わり」というのは複雑に折れ込んだ現象である、われわれはその複雑に折れ込んだ時空のうちに身を維持しつつ、ラディカルな思考と試行を継続しなければならない、逆説的なことに、それこそが新しい始まりの唯一のチャンスだから、と。
 それはもちろんひとり建築家のみに託された課題ではなく、あらゆる表象のジャンルに身を浸す者たちに向けられたメッセージでもあるだろう。
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by syunpo | 2010-02-11 18:55 | 建築 | Trackback | Comments(0)

理論も建物も崩壊してしまった〜『Any: 建築と哲学をめぐるセッション 1991-2008』

●磯崎新、浅田彰編『Any: 建築と哲学をめぐるセッション 1991-2008』/鹿島出版会/2010年1月発行

b0072887_10522941.jpg 一九九一年から二〇〇一年にかけて、建築に関する国際会議「Any Conference」が毎年場所を変えて開催された。主導したのは磯崎新、ピーター・アイゼンマン、イグナシ・デ・ソラ・モラレスの三人の建築家。その討議内容はNTT出版より《Anyシリーズ》として順次刊行されている。本書はそのコンファレンスに関連して日本で行なわれたトーク・セッションを集成したものである。セッションでは磯崎に加えて浅田彰がほぼ毎回顔を出しており、そのほかジャック・デリダ、柄谷行人、岡崎乾二郎ら錚々たる顔ぶれが入れ替わり立ち替わり参加している。

 思想家が建築のボキャブラリーを使い、建築家もまた現代思想の流れを掴んでそれを具現化あるいは展開していく、という現象は歴史的に繰り返されてきた。本書を通読するとその史実があらためてよく理解できる。
 たとえばデリダの〈ディコンストラクション(脱構築)〉。その言葉じたいが建築のアナロジーともいえるのだが、これがアイゼンマンらによって建築にも応用され、脱構築主義として一つのスタイルを形成することとなった。
 やがてそうした流行は、ドゥルーズ的(というよりベルクソン的)な生気論へととって替わられ、そうした理論のもとにCGでシュミレートされた流体的な建築へと移行していくかにみえたのだが、そうしたパラダイム転換は不発に終わった、というのが九〇年代に関する浅田の大雑把な見立てである。

 何はともあれ、みずから提起した概念をめぐって世界各地で生じた誤解や混乱を目の当たりにしたデリダ当人がここであらためてコメントしているのはいかにも興味深い。〈脱構築〉が被った誤解の代表的なものの一つに否定性やニヒリズムとの混同がある。デリダはいう。——ディコンストラクションとは「哲学ではなく、ましてや否定性の哲学でもなく、ある意味で肯定=断言の思考なのだ」。
 なお、コンファレンスではアイゼンマンによって挑発を受けたデリダが「ディコンストラクションというのは実はリビルディング(再構築)だ」と再定義を試みたことが浅田によって紹介されている。

 コンファレンスの内容を把握していない読者にはいささか消化不良の感が残るものの、二〇世紀末における世界の建築を時代思潮との関連から概観できるという点ではそれなりに面白い本ではないかと思う。
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by syunpo | 2010-02-10 11:10 | 建築 | Trackback | Comments(0)

伝統と聖性をめぐる学説の壮大なる歴史〜『伊勢神宮』

●井上章一著『伊勢神宮 魅惑の日本建築』/講談社/2009年5月発行

b0072887_20194841.jpg 伊勢神宮には二十年ごとに社殿を造り替える式年遷宮のならわしがある。世界に類例をみないそうした営みのおかげで神宮は古くからの日本建築の伝統が受け継がれてきている、と一般には考えられてきた。具体的には仏教伝来以前の日本に固有の建築様式を伝えるものと見做されてきたのである。仏教伝来以前の建築物はもちろん残存していないし、その形態を明示するような文献資料もほとんどない。したがって八世紀以前の建築については、神宮の形式から遡って類推することが学界においてもごく常識的なやり方として通ってきた。
 伊勢神宮にはまた明治以降に国家神道の中心的役割を担ってきた、という歴史的経緯もある。それらのことから神宮の解釈や評価については建築工学的な要素だけでなく、美学的・宗教的・政治的な視点も絡みあって複雑な議論が展開されてきたのである。

 本書は伊勢神宮をめぐる言説が時代思潮とともにどのような変遷を遂げてきたのかを綿密に検証したものである。個々の言説がいかなる背景のもとに立ち上がってきたのか。その文脈を明らかにしていく井上の手際はいつにもまして明快である。その叙述はすぐれて学際的であり、専門の建築史学のみならず考古学や民族学の知見も縦横に参照されている。さらには三浦朱門の小説《雑草の花》の一節も引用されるなど、井上の文献渉猟ぶりは敬服に値する。

 結果として本書をとおしてこれまでの学界における旧套的な認識や通説に対する相対化がなされることとなった。たとえば伊東忠太についての過大評価に対して、である。
 神宮は日本に仏教がやってくる前の建築形式をとどめている。飾り気のない清浄なその佇まいは、まさに日本の伝統的な美意識を映し出したものである。——そのような見方はもっぱらモダニズムに立脚する伊東忠太によって創始されたものといわれてきた。しかし伊東たちの神社観は必ずしも明治期日本の独創でも西洋伝来のモダニズムの賜物でもなく、並河天民や新井白石など江戸時代のそれを継承している、と井上は指摘する。

 神宮の構造にアジア諸国の建築と共通点を見出す見解は、もっぱら考古学や民族学の成果を根拠にしている。それでも建築史の主流はアジアの民族建築と出自は同じであるとしても、その洗練のしかたに日本固有の伝統美を見出そうとした。
 そのような建築史学にみえる国粋主義的な姿勢は、やがて時代がくだって一部の考古学者に神宮の聖性を熱く論じさせるような影響を与えることとなった。

 二〇世紀の考古学は、建築史学の目を海外へむけさせた。しかし、海外をかろんじる保守的な建築史学は、こんどは考古学をかえだしている。……学説史の、ねじれた展開に、あらためて感じいるしだいである。(p439)

 また泉州・池上曽根遺跡の建物復元についても一章を割いて検証しているのだが、文化財保護行政における政治力学とアカデミズムの綱引きの実相をあぶりだして、まことに興味深い。弥生時代の建物を復元するのに現代の機械技術たるクレーンを持ち込んで作業がなされた、という挿話にはつい嗤ってしまった。

 井上自身は初期の神宮について、建築史家の丸山茂が提唱した基壇建築・廟堂説に関心を寄せながらもこれを否定し、従来から唱えられている高床形式だと推定している。神宮が大陸的に組みかえられるのは中国文化の影響を強く受けた桓武天皇の時代ではないかと井上はいう。
 
 一つの建築物に関する言説にスポットをあてて、それを歴史的に検証するという試みは、井上にとっては『つくられた桂離宮神話』『法隆寺への精神史』に続くものである。ただし前二作にはない視点も本書では導入されている。時間軸だけでなく、東大と京大の学統の差異を浮き上がらせるなど、空間軸にも光を当てている点だ。本書では井上のアカデミズムのあり方に対する批判的な姿勢がこれまで以上に強く押し出されており、その意味でもよりチャレンジングな仕事ではないかと思う。
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by syunpo | 2010-02-06 20:47 | 建築 | Trackback | Comments(0)

建築家の夢のあと〜『磯崎新の「都庁」』

●平松剛著『磯崎新の「都庁」 戦後日本最大のコンペ』/文藝春秋/2008年6月発行

b0072887_1941484.jpg バブル前夜の一九八五年十一月、東京都新都庁舎設計競技審査会は指名コンペの参加者九社を発表し、戦後最大級といわれたコンペの幕は開いた。最終的には事前の予想どおり丹下健三が勝利をおさめることになったこのコンペを丹下とその弟子磯崎新の戦いを軸にドキュメントしたのが本書である。著者は長らく設計事務所に勤務した建築の専門家。

 本書の面白味は、新都庁舎建設のあらましを描くにあたって、その一大プロジェクトを歴史的文脈に位置付けるために日本の近代建築史そのものを概観したスパンの長い視野を有している点にある。

 丹下や磯崎の設計案が出来上がっていく過程を叙述の中心に据えつつ、二人の生い立ちや履歴、新都庁舎計画案作製にたずさわった人々のプロフィールと奮闘ぶり、丸の内旧都庁舎から西新宿に移転を決定するまでの政治的経緯、さらには日本の近代建築の基礎をつくった岸田日出刀、前川國男ら先人たちの足跡などを絡めて、いくつもの時制が交叉する。まさに磯崎が新都庁舎のコンセプトの一つとした「錯綜体」にふさわしい構成といえるだろう。
 結果として、建築という営みの一面だけでなく、わが国の建築家教育や公共事業における政治の裏面など社会の複数の層に光があてられることとなった。

 それにしても著者の取材力はなかなかのものだ。大きなスケールの物語の流れのなかに機微に触れた具体的な挿話がちりばめられていて、最後まで読者を弛れさせない。
 コンペ説明会当日、同じエレベーターに乗り合わせた磯崎が丹下に挨拶しても師匠が完全に無視したというエピソードからは丹下の性格や一筋縄ではいかない師弟の関係が読みとれる。
 負けはしたものの話題を集めた磯崎の「幻の低層案」の出来上がるまでの暗中模索の様も実に生き生きと再現されていて、現代思想の分野からもインスピレーションを得てきた磯崎の個性的な仕事を読み解くうえでの一助ともなるだろう。

 くだけた感じの素朴な文体だが、そのことがかえって建築現場における闘争の生臭さを中和する、という効果を生み出しているともいえそうだ。
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by syunpo | 2010-01-13 19:11 | 建築 | Trackback | Comments(0)

“異端”の研究者による画期的論考〜『つくられた桂離宮神話』

●井上章一著『つくられた桂離宮神話』/講談社/1997年1月発行(文庫版)

b0072887_20101863.jpg 桂離宮の美しさを絶賛した文化人は数多い。ブルーノ・タウト、和辻哲郎、丹下健三……。著者の言葉をそのまま引用すれば「桂離宮は美術の世界では神格化されていると言ってもよい」。それ故に桂離宮を貶す者は、日本の美を理解せぬ者として逆に貶められることを覚悟しなければならない。人々をそのように抑圧する「桂離宮神話」はいかに形成されたのか。井上章一は桂離宮をめぐる言説を丹念に読み込んで、そのプロセスを考証していく。

 桂離宮神話について考えるとき、はずせないのは言うまでもなくブルーノ・タウトである。一般にはタウトこそが桂離宮の良さを「発見」した、桂離宮の神格化はタウトに始まる、とみられている。過去の文献をみてもそのような記述が少なくない。

 しかし、タウト以前にも日本人で桂離宮を評価していた者は少なからず存在した。モダニズムの建築家たちだ。彼らは自分たちの建築スタイルの正当性を主張するために、桂離宮に「簡素の美」を見出した。日本にタウトを招請したのも彼らであった。桂離宮をめぐるタウトの言説は多義的なものであったが、もっぱらモダニズムに即した賛辞のみが取り上げられ、モダニストたちによって拡張されたのである。それはまもなくおとずれたナショナリズムの昂揚とも親和性の強いものであった。タウトに始まるとされる桂離宮の神格化はいわば仕組まれた言説の運動であったということができる。

 一九六〇年頃から、モダニズムが衰弱しポスト・モダニズム建築が台頭してくると、桂離宮の評価基準もまたおのずと変化してくる。すなわち「簡素美」ではなく「異質なものの破調」(丹下健三)や「古典様式を意識した装飾主義」(内藤昌)といった文脈で論じられるようになった。
 ただし、桂離宮の価値認識だけはついに揺らぐことはなかった。読み取りや解釈は時代の思潮にあわせて変貌を遂げたとしても「日本美の精華」としてたたえ続けられているのである。

 他方、一般市民の間における桂離宮の「人気」は、そうした建築史・美術史の言説とは別の要因で動いていた。桂離宮が「名所」として一般人に人気を博するようになったのはタウトの言説以上に、拝観をめぐる規制の緩和措置などに拠るところが大きかった。
 タウトの影響力は建築や美術界など特定の分野にとどまっていたのである。

 本書は、著者自身が記しているように、桂離宮に展開される美のあり方について直接言及したものではない。桂離宮について書かれた言葉の分析に力点を置いたものである。桂離宮神話を解体することによって時代ごとに形成されてきたバイアスを可視化し、桂離宮の「美」への接近を手助けするもの、といえるだろう。

 本書の原本が刊行されたのは一九八六年(弘文堂)だが、講談社学術文庫として再版されるにあたって執筆された「学術文庫版あとがき」では原本刊行後の学界の反応に触れられていて、これがまた面白い。
 建築史学会の機関誌『建築史学』には完全に黙殺されたほか、同業者からは非難が集中したというのである。いわく「桂離宮がわからないようなやつに、建築史を研究する資格なんかない」、いわく「桂離宮論を語るのなら、美の本質に肉薄すべきだ」等々。
 「桂離宮神話」の相対化を試みた本書の出現があらためて学界に横たわる「桂離宮神話」の根深さを浮き彫りにした、という点で実に興味深いエピソードではないだろうか。
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by syunpo | 2009-07-19 20:31 | 建築 | Trackback | Comments(0)

場所に根を生やす〜『自然な建築』

●隈研吾著『自然な建築』/岩波書店/2008年11月発行

b0072887_20224380.jpg 二〇世紀の大きなテーマの一つはグローバリゼーションであった。物流、通信、放送、あらゆる領域でグローバリゼーションが達成されたが、建築の領域でそれを可能にしたのがコンクリートという素材であった、と著者はいう。
 コンクリートは世界を画一化し不可視なものにし、さらには表象と存在の分裂を加速化した。コンクリートとは「消えゆく不安定なもの達の、断末魔の叫び声」なのだ。

 そうした認識に基づいて隈研吾は「自然な建築」を主張してきた。それは「どう見えるか」ではなく「どう生産するか」に着目する建築である。「その大地を、その場所を材料として、その場所に適した方法に基づいて建築は生産されなければならない」。
 その意味では、日本の大工は驚くほどラジカルだという。

 しばしば、家を建てるならその場所でとれた木材を使うのが一番よいと語り伝えてきた。機能的にも、見かけも一番しっくりくると伝えた。それを一種の職人の芸談として、神秘化してはいけない。場所に根の生えた生産行為こそが、存在と表象とをひとつにつなぎ直すということを、彼らは直感的に把握していたのである。(p15〜16)

 その方法の現代における可能性を探ってきた隈がこれまで手がけた建築を具体例にして、その建築思想を語ったのが本書である。
 紹介されているのは、栃木県那須町の石の美術館、宝積寺駅前のちょっ蔵広場、那珂川町の広重美術館、中国・万里の長城「グレート・ウォール・コミューン」の竹の家、下関市の安養寺木造阿弥陀如来座像収蔵施設、愛媛県亀老山展望台などなど。

 石の美術館では、地元で採れる芦野石という地味な石を使い、直接職人たちと相談しながら古典的な「組積造」に挑戦した。それは「物質の直接性を取り戻す」ような試みであった。
 安養寺では、地元の「日干し煉瓦」の伝統にヒントを得て、土のブロックを積み上げる方法を採用した。

 個々の建築と自身による解説はいずれも興味深いものではあるものの、釈然としない記述も散見される。たとえば、熊本の古い醤油蔵を保存・増築するプロジェクトでは、最も主要となる材料にコスタリカ産の竹「グァドゥア」を使用して計画を進めているという。隈が繰り返し強調している「地産地消」の理念に反しているのは明らかなのに、何の注釈もなく喜々としてその建築のあらましを語っているのをどう理解すればよいのか。

 隈自身の手になる建築の論理的矛盾については、これまでにもいくつか指摘を受けたことを認めながら「そもそも、一〇〇パーセント胸をはれるような建築があるだろうか」と議論を一般化してしまい、「胸をはれない現実を認めた上で、そこに対して現実的な解決策を練り上げていくことである」と終結部で述べている。
 たしかに建築は物理的制約の多いジャンルであるが故に現実的な妥協はつきものには違いない。だとするなら、建築家が大仰な理念を大上段に振りかざすことにも慎重さが求められるだろう。冒頭での二〇世紀建築批判がことのほか切れ味鋭いものであっただけに、筆が進むにつれて業界の現状へのボヤキが増えてくる本書の記述ぶりにはいささか尻すぼみの感を禁じえない。
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by syunpo | 2009-03-19 20:33 | 建築 | Trackback | Comments(0)

住環境を守るために〜『建築紛争』

●五十嵐敬喜、小川明雄著『建築紛争』/岩波書店/2006年11月発行

b0072887_1639304.jpg 本書は、わが国の「法治国家」としての内実がいかにお寒いものであるか、「建築紛争」をとおして見たものである。立法・行政・司法の三権さらにはマスメディアがこの問題について市民を軽視し、建設業界に阿っている実態が明らかにされる。日々の事件報道からはよくわからない都市開発・建築をめぐる政官財の構造的な問題が緻密に論じられていて、たいへん有益な本だ。著者は建築紛争に詳しい弁護士とジャーナリストである。

 二〇〇五年に発覚して社会問題になった耐震強度偽装問題は、現在のわが国の建築行政の欠陥を象徴する氷山の一角ともいうべきものである。そうした違法建築は規制緩和と建築確認の民間への開放という住宅政策の大転換によって助長された。一九九八年の建築基準法改定がその転換の仕上げといえるものであった。
 建築基準法改定の眼目は、建築確認・検査の民間参入のほかに、仕様規定から性能規定への転換がある。一定の性能を満たせば建築物の材料や構造を問わず適法とするものだ。これにより、新たに認定される構造や部材などを使い、柱を細くし、壁を薄くしてもいいことになった。業者のコスト削減競争に拍車がかかり、「偽装」や「手抜き」を生む土壌がより広がった、といえる。
 日本弁護士連合会はこうした行政の動きに警鐘を鳴らしていたが、公権力を監視するはずのマスメディアは、国土交通省の意向に沿う形で「市場の活性化が見込まれる」などと翼賛記事を垂れ流していたことも著者は同時に批判している。

 高層建築において大幅なコスト削減の道が開けたことにより、周辺住民との紛争も増加してきた。住宅地に突然出現した高層マンションをめぐる紛争は「一団地認定制度」などの抜け穴を利用して「合法的」に一つの敷地内に複数の巨大な建築物を建てることにより発生することが多い。そうした「数の偽装」を民間の検査機関や行政が追認し、住民がやむなく裁判に持ち込んでも建築に疎い裁判官によって結局は業界寄りの判決が下る、というのがお決まりのパターンである。

 つまり一九八〇年代から始まった「小さな政府」「民活の導入」というスローガンによる建築行政の変革は、住民よりも業界の利益を優先するものであった、と本書は明快に指摘する。

 ……街並みが破壊され、周辺住民たちの生活が半永久的に破壊されるという「破壊の連鎖」が続いている。「官から民へ」のスローガンのもとに起きている高層建築物に圧倒され激変するまちの姿は、「民」とは市民ではなく、民間の大企業、とくに不動産業界や建設業界であることを如実に示している。(p133)
 
 とはいえ、希望の光がまったく見えないわけではない。
 住民と直接接する自治体のなかには高層建築を住宅地から締め出す高さ制限を設けるところがいくつも出てきた。とくに被害の大きい都内の区や市では、この数年、その動きが目立ってきている。絶対高さ制限は、都市計画法に定められている「建築物の高さの最高限度又は最低限度」を自治体が決めることができる制度である。地方分権が叫ばれるなかで、これからの街づくりは地方自治体の指導力が大いに期待されるのである。
 さらに本書では、地方分権を踏まえたうえで今後の対策として、建築士の職能化・独立性の強化、確認制度から建築制度への変更などを提起している。いずれも検討に値するものだろう。
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by syunpo | 2008-04-07 17:01 | 建築 | Trackback | Comments(0)