ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
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カテゴリ:古典芸能( 11 )


いくらエサをやっても育たなかった〜『赤めだか』

●立川談春著『赤めだか』/扶桑社/2008年4月発行

b0072887_2042923.jpg 個性派揃いの落語立川流では正統派の実力者として知られる談春が入門から真打昇進までを振り返ったエッセイである。昨年一二月にテレビドラマ化されて、あらためて原作への関心も高まっているようだ。

 立川一門には談四楼という先達がいるけれど、談春の文才もなかなかのものと思う。競艇選手志望から落語家志望への転換、師匠宅における大量の雑用、築地魚河岸での修業、派手にやった二ツ目昇進披露、高田文夫やさだまさしの励まし……などなど、さすがに話題も盛り沢山で一気呵成に読みおえた。

 とりわけ興味深く読んだのは志らくとの微妙な関係。志らくは談春よりも遅れて入門したが、直後から先輩の不興を買うような挿話には事欠かなかったようで、談春の当初の印象は芳しくなかったらしい。が、志らくは談志の覚えがめでたく「このままの状態で芸人としてケンカすれば、談春は負ける」と判断。志らくと友達になろう、と気持ちを切りかえる。真打昇進では先を越されるあたりの葛藤や苦悩はそれなりに率直な筆の運びで本書の読みどころの一つといっていいだろう。

 桂米朝と柳家小さん──二人の人間国宝をめぐるエピソードもなかなか面白い。米朝には《除夜の雪》の稽古をつけてもらったことが軽妙に綴られている。一度談春のその高座を見てみたいものだ。小さんには真打トライアルの落語会にゲストとして出演してもらい、そのことで談志と小さん、花録との間に生じた人間ドラマの機微にも触れられていて、なかなか読ませる。

 師匠談志は本書にたいそうご立腹だったことが談四楼の本に記されているけれど、いったいどこがお気に召さなかったのだろうか。なお本書は二〇一五年に同じ版元によって文庫化された。
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by syunpo | 2016-02-23 20:11 | 古典芸能 | Trackback | Comments(0)

京の噺家リクヤンのコラム集〜『上方落語十八番でございます』

●桂米二著『上方落語十八番でございます』/日本経済新聞出版社/2010年5月発行

b0072887_11362073.jpg 桂米朝一門のなかでも理屈っぽいことで知られる桂米二。文筆の方面でも活躍しており、日本経済新聞のウェブサイトにコラムを連載したこともある。本書はそのなかから一部を抜粋して編んだもの。一回ごとに落語の演目を一つ取り上げ、それにまつわる蘊蓄や楽屋話を織り交ぜて解説をほどこす。噺家の本としてはありふれた趣向ではあるが、そこは上方の芸人、噂ほどの理屈っぽさを感じさせることもなく、愉しい読み物に仕立てている。

 米朝一門では自分が最初にやったという《百年目》、思い入れたっぷりの一篇はネタの偉大さと相まって本書の冒頭を飾るにふさわしい。《牛ほめ》では、噺のなかに出てくる池田のおっさんの家の模型を展示する落語みゅーじあむの写真を掲載し、建築家の「証言」も取り入れながら、おもしろく読ませる。新作落語のなかでも古典的な風格をもつ名品《まめだ》、作者の故三田純市との思い出話もまじえた一文もまたネタ同様に味わい深い。《代書》は途中で切ってしまうケースが多いが、全編通してやるといろんな人物が登場するらしい。そして上方落語屈指の名作《たちぎれ線香》でしっとり(?)と締め括る。

 またこれらの演題の合間に〈ちょっと休憩〉と題して入門時や内弟子時代の懐古談や舞台裏のエピソードなどを配しているのも一興。
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by syunpo | 2014-08-23 11:45 | 古典芸能 | Trackback | Comments(0)

売れっ子噺家かく語りき〜『青春の上方落語』

●笑福亭鶴瓶、桂南光、桂文珍、桂ざこば、桂福團治、笑福亭仁鶴著『青春の上方落語』(小佐田定雄編)/NHK出版/2013年12月発行

b0072887_105314100.jpg 上方落語の第一線で活躍している六人の噺家に落語作家の小佐田定雄が話を訊く。修業時代の思い出話を中心に話芸に対する考えや現代若者論など、それぞれにリラックスした雰囲気で喋っている。上方落語界が絶滅の危機から立て直しを図ろうとしている途上の時期に青春時代を過ごした人たちの苦しくも良き時代の空気が伝わってきて、上方落語ファンには愉しい本だろう。

 米朝一門の二人や鶴瓶の語るエピソードなどはこれまでにも見聞する機会があったので、目新しく感じられるようなものは乏しかったが、なかで最も印象に残ったのは桂福團治の語りだ。手話落語を始めて批判が渦巻いていた時分、桂米朝がそれに理解を示す言葉をかけてくれたことで、周囲の空気が一変したという話には、米朝の度量と存在感の大きさがあらためて示される。また同期として互いに切磋琢磨する関係にあった故桂枝雀と開催したふたり会の回顧談。派手な動きで大人気を博していた枝雀がリアルな福團治の高座をみて「わし福さんうらやましいなぁ……。ええなぁ福さんは」と泣きそうな声で言ったという。自分が目指す芸と現実とのギャップに苦悩していた爆笑派落語家の裏面を垣間みるような楽屋話ではないか。
 なお書名は桂雀三郎の持ち歌《あぁ青春の上方落語》からとったものである。
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by syunpo | 2014-01-19 10:57 | 古典芸能 | Trackback | Comments(0)

名人芸の神髄に迫る〜『桂吉坊がきく藝』

●桂吉坊著『桂吉坊がきく藝』/筑摩書房/2013年6月発行

b0072887_21462532.jpg 故桂吉朝門下の俊英・桂吉坊が芸界の大御所にインタビューした記録である。顔ぶれがすごい。小沢昭一(俳優)、茂山千作(狂言師)、市川團十郎(歌舞伎俳優)、竹本住太夫(文楽太夫)、立川談志(落語家)、喜味こいし(漫才師)、宝生閑(能楽師)、坂田藤十郎(歌舞伎俳優)、伊東四朗(喜劇役者)、桂米朝(落語家)。

 分を弁え聞き役に徹して最小限の質問だけで相手を気持ちよく喋らせる吉坊の聞き上手が本書の成功の大きな要因の一つといえるだろう。また要所での簡潔な相づちに古典芸能全般に対する高い関心と素養がうかがわれる。
 たとえば坂田藤十郎との対論では、自分が観た〈仮名手本忠臣蔵〉について「ドラマが前面に出てくる」という感想を一言述べる。このさりげない前フリが核心をついたもので、役者を前面に出す江戸歌舞伎と対照的な(ドラマを大事にする)上方歌舞伎のエッセンスを藤十郎が我が意を得たりとばかりに熱っぽく語り出すのである。

 毒舌家・立川談志も尊敬する米朝一門の若手相手に機嫌良く喋っている様子が文字面から伝わってくるし、喜味こいしとの漫才談義なども「客が芸人を育てる」という箴言が具体的な挿話であとづけられて興味深い。

 冒頭に収められている小沢昭一の話もいい。戦前・戦中と戦後で価値観がガラリと変わった日本社会にあって落語だけはブレがなかった、「落語というトンネルで軍国主義から自由主義の世界に僕はくぐり抜けられたという感じがあって、落語には感謝しています」という小沢の言葉は落語家や落語ファンを大いに勇気づけるものであるだろう。

 また本書を読んで、狂言や文楽などに対する関心が喚起される読者も多いに違いない。吉坊のいささか優等生的な言動に物足りなさを感じないわけでもないが、この企画なら致し方ないところか。
 本書の原本は二〇〇九年に朝日新聞出版より刊行され、二〇一三年にちくま文庫のラインアップに加えられた。残念ながら小沢昭一、市川團十郎、立川談志、喜味こいしは鬼籍に入ってしまった。彼らの晩年の心境や思いを文字にとどめることができたという意味でも本書は貴重なインタビュー集といえるかもしれない。
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by syunpo | 2013-09-19 22:00 | 古典芸能 | Trackback | Comments(0)

親子の噺〜『談志が死んだ』

●立川談四楼著『談志が死んだ』/新潮社/2012年12月発行

b0072887_958527.jpg 立川談春のベストセラー『赤めだか』を師匠談志はお気に召さなかったらしい。好意的に書評した談四楼に電話をかけてきて「てめえ談春の本を褒めやがったろ。でたらめばかり書きゃがってよくもオレの名誉をめちゃくちゃにしてくれたな。おまえは要らねえ出てけクビだ破門だとっとと失せろ」と一方的に宣告する。その後の顛末も含めてこのエピソードは談志の晩年の様子を活写した本書にあって中心的な一つといっていいだろう。

 それにしても立派な大人が師匠の言葉一つでこれほどまでに右往左往しなければならないものなのか。その日の仕事をキャンセルして詫びをいれにいく談四楼。テレビ局の控室、大勢の人間がいるなかで謝罪するも一蹴されてしまう場面は読んでいるこちらまでもが息苦しくなる。その後、談志の老いに伴う精神的な病いが疑われる事例が次々と明らかになってきて、談四楼の困惑も次第に別様のものへと変化していく。そのあたりの描写は当人の生前には書きにくいことだったかもしれない。

 むろんどのような乱心ぶりを描くにせよ談四楼の師匠に対する敬意は一貫して維持されている。師匠談志に対する遠慮から解放されているはずの本書にあっても、嫌味や後味の悪さを感じさせる場面はまったくない。その清濁をあわせて伝えんとする談四楼の筆致はあくまで至心にみちたものといえるだろう。

 談志との関係とそこから生まれた心理的な葛藤が本書の機軸を成していることは間違いないのだが、随所に挿入される他の落語家についての挿話にもそれぞれに味がある。兄弟子・喜久亭寿楽(元立川小談志)が談志のもとを去り落語協会に移籍した経緯は今もって著者には不明ながら、思い出話を拾いつつあれこれ思いをはせるくだりは印象深い。また同期・柳家権太楼との確執から和解へといたる話も感動的といいたいほどだ。

 余談ながら本書で言及されている演目《柳田格之進》の実演を私は聴いたことがある。講釈ネタにしては粋なサゲが付いていると思ったものだが、それは談志の意見を採り入れて談四楼自身が考案したものだという。おおいに納得。
 本書く派=談四楼の本領が遺憾なく発揮された本である。
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by syunpo | 2013-07-20 10:06 | 古典芸能 | Trackback | Comments(0)

教科書では学べないこと、あれこれ〜『米朝快談』

●嶽本野ばら著『米朝快談』/新潮社/2013年2月発行

b0072887_18182274.jpg 桂米朝の落語について綴ったエッセイ集。といっても全編これ落語にまつわる話というのでもなく、米朝の持ちネタを標題に立て、それにからめて自分自身の貧乏生活ぶりや趣味嗜好などのよもやま話にもかなりの字数を費やすという趣向である。

 本のオビには〈「門外漢」と侮るなかれ、幼少より寄席に通い、米朝落語に長年親しみ……〉と謳われているけれど、実際には米朝の高座を残念ながら観ていない、とあとがきに記されている。そのためか噺そのものについて論評した部分は意外と平板で、上方落語大全集の速記や米朝の著書からの引用が多く、ごく常識的な内容。松本紳助のテレビ番組や『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』について語る口調の方が熱く感じられた。

 実演を知らずに映像や録音に頼った落語本としてはほかに平岡正明の枝雀論『天才的落語家!』が想起されるが、弛れずに最後まで愉しく読み通せたのは平岡の才気や批評センスのなせる技だったのだとあらためて実感される。本書に関しては、身辺雑記風のくだりも箸にも棒にもかからないものだし、生の高座を知らない書き手の弱点がそのまま出てしまったような印象を拭えない。

 なお巻末に収められた創作落語《噺家綺譚》は内容的には可もなし不可もなしだが、サゲのフレーズはマクラの小噺には使えるかもしれない。
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by syunpo | 2013-03-29 18:28 | 古典芸能 | Trackback | Comments(0)

おれが縋れるのは落語しかないんだ〜『人生、成り行き』

●立川談志著『人生、成り行き 談志一代記』/新潮社/2010年12月発行

b0072887_17425953.jpg 立川談志、晩年の語りの記録である。幼少の頃の思い出、柳家小さんに入門して前座修業に励んだ日々、キャバレー回りで稼いだ二つ目時代、政治家時代の騒動、落語協会脱退の顛末、弟子・志の輔のこと……などなどさすがに談志の一代記は波乱万丈、下世話な楽屋話を含めてネタには事欠かない。

 すでに談志自身が高座で喋ったり、本に書いたりしたエピソードも多く、談志の芸や人柄について認識を新たにすることはさほどないが、それでもやはり談志の語りはおもしろい。円生や小さんらが政治家と席を同じくした時の挿話など、彼らの卑屈な態度に歯に衣着せぬ論評をしているあたりも談志ならではといえるだろう。

 談志はかつて落語家を「作品派」と「個人派」に類別した。談志自身はそのいずれでもなく、三浦雅士的にいうなら談志の人生が一つの作品だったという思いを本書を読んでいっそう強くする。

 ただし聞き手・吉川潮の談志に対するヨイショぶりにはいささか辟易させられた。立川流顧問という立場からすれば致し方ないのかもしれないが、一方的な他者批判でも政治的な話題でも吉川の追従は徹底していて、とりたてて談志の贔屓でない読者には不快感をおぼえる場面の多い本かもしれない。
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by syunpo | 2012-07-27 17:57 | 古典芸能 | Trackback | Comments(0)

上方の江戸前!?〜『吉朝庵』

●上田康介著『吉朝庵 桂吉朝夢ばなし』/淡交社/2011年12月発行

b0072887_1957667.jpg 二〇〇五年に惜しまれつつ他界した関西の落語家・桂吉朝。本書はその一人息子で現在はカメラマンとして活躍している上田康介が故人と縁を結んだ人びとにインタビューしてまとめた記録である。身内の単なる回想的なエッセイではこれだけ立体的に人物像を描き出すことはできなかっただろう。予想以上に内容の濃い本であった。

 最後の高座となった「米朝・吉朝の会」に向けて燃やした渾身の奮闘。仲間内で見せた茶目っ気たっぷりの悪戯。東京でも受け容れられた端正な話芸。……あれやこれやのエピソードが著者自身の追想はもとより関係者の証言によって具体的に描出されていく叙述は吉朝の贔屓筋でなくとも充分に読ませる内容だと思われる。
 鈴々舎馬桜や春風亭一朝夫妻が吉朝に関して「上方の江戸前」と評するのもなかなか面白いし、下座囃子方の女性に示した気配りなども吉朝の人柄や器量をうかがわせて興味深い。

 また芸風のまったく異なる兄弟子ざこばとは微妙な関係にあったようで、吉朝の振る舞いに対してざこばが何度か苦言を呈したことも具体的に記されている。そのざこばが吉朝の密葬の席に夜遅くやって来て棺の中の顔を見て弟子の一人に香典を渡した後、一度も座ることなく風のように立ち去っていく場面は、泣かせる。

 私も吉朝の高座には何度も接して感銘を受けたが、本書を読んで彼の早過ぎる死にあらためて無念の気持ちがこみあげてきた。
 なお本書には《くっしゃみ講釈》と《深山隠れ》を収めた特典CDが付いている。
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by syunpo | 2011-12-28 20:03 | 古典芸能 | Trackback | Comments(0)

縦横無尽に芸を語る〜『藝、これ一生』

●桂米朝著『藝、これ一生 米朝よもやま噺』/朝日新聞出版/2010年2月発行

b0072887_19291513.jpg 昨年は落語家で初めて文化勲章を受章した桂米朝。今や上方落語界の重鎮というワクを超えて文字どおり日本文化における至宝ともいうべき存在といって過言ではなかろう。
 本書は二〇〇七年に刊行された『米朝よもやま噺』の続編ともいうべき本である。朝日放送のラジオ番組での語りを朝日新聞記者が再構成し、さらにそれに加筆修正を加えたものである。昔の寄席芸人の思い出話や弟子に関する論評などが中心で、基本的に話し言葉がそのまま生かされているのが好ましい。

 「その昔、(茂山)千之丞さんと狂言の解説や落語のマクラで、わかりづらい言葉をどこまで説明しておくべきかという議論をしたことがありました。私はわからんことがあってもええと思っているんです。芸というものは、あまり説明し過ぎないことも大事やないかと考えています」(p147)といった含蓄に富んだ芸論が随所にでてくる。
 そういえば、私も米朝の生の高座や古い録音を聴いていて幾度かわからない言葉にぶつかり、《大阪ことば事典》や《古語大辞典》をよく紐解いたものだ。落語のおかげで私は関西弁の語彙を増やしてきたのだ。それはとりもなおさず日本語の豊かさを再認識していくことでもあったように思う。
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by syunpo | 2010-02-24 19:41 | 古典芸能 | Trackback | Comments(0)

枝雀が甦る〜『哲学的落語家!』

●平岡正明著『哲学的落語家!』/筑摩書房/2005年9月発行

b0072887_20191418.jpg これは、いい。出色の桂枝雀論・落語論だ。
 故枝雀の落語について論評した文章には、これまであまり面白いものにお目にかかったことはなかった。あの破天荒にして繊細な構成をもった高座の圧倒的な魅力、あるいは晩年のロレツが少し回らなくなりマクラが以前にもまして理屈っぽくなった高座の憎めない空転ぶり。好演でも凡演でもインパクトに欠けることのなかった枝雀の話芸に拮抗するだけの書き言葉を紡ぎ出すのは至難の業なのだろう。

 平岡正明が枝雀落語を語る、その口調は、彼が愛するジャズにも似て自由奔放、素養に裏打ちされたイマジネーションが横溢している。
 枝雀が強い影響を受けたとされる夢野久作や有明夏夫の小説を軸にして、浪曲、新内などの古典芸能は無論のこと、カフカの『審判』、ダンテの『新曲』、ハリウッド映画から現代音楽作曲家ルベ・エマニュエルまで、ありとあらゆる表現ジャンルの作品が動員されて枝雀落語の「哲学」的成り立ちが熱く語られる。
 通常、落語の批評にこれだけの素養を持ち出して理論武装を施すとかえって野暮ったくなるものだが、平岡の筆致はあくまで粋である。

 冒頭の《三十石》論は、一九九五年、枝雀がトリをとって演じた落語研究会での高座をベースにしている。私はその高座を観た。私にとっては《三十石》の実演を初めて生で聴いた印象深い高座であった。
 枝雀独自の解釈でこの名作を爆笑の渦に巻き込んで、古来伝わるサゲを採用せず「西の空を真赤に染めておりました太陽が沈みます。一番星、二番星、三番星。空が昏くなりますにつれておいおいと増える星の数。見上げますともういつの間にやら今にも降ってきそうな満天の星。……乗り合いの連中はすでにしてもうみんな夢の中。三十石は夢の通い路でございます」と旅情豊かにシメるのを、FM放送の『ジェットストリーム』に準えるくだりを読んで、あの日の枝雀の熱演が鮮烈に甦ってきたのだった。

 小佐田定雄創作の《幽霊の辻》を語るに、平岡自身の根津神社のこども神輿や火の用心の少年隊の思い出話から入る話の運びも悪くないし、《まんじゅうこわい》にハリウッド映画『アパートの鍵貸します』を想起し、最後に『三国志演義』を引用して饅頭の由来を語ってまとめるあたりのセンスと教養は、凡百の演芸評論家の及ぶところではない。
 同じく小佐田定雄=枝雀の名コンビが生み出した佳品《貧乏神》における貧乏神の「きれいな夕焼けだなあ、明日は洗濯物がよくかわくだろう」というセリフに、赤塚不二夫『天才バカボン』と同種の抒情(!?)を感じ取るというのも面白い。

 枝雀のマクラでは必ずといっていいほど言及される《日和ちがい》での「アメーバーから人類までの万有進化論」のスケールの大きさをあらためて賞賛し、賛否両論にわかれる《地獄百景亡者戯》についても枝雀の宗教観や哲学を析出して読み応え充分である。
 批評もまた一つの芸、とは本書を読めば充分頷ける。

 枝雀の落語を聴くことはエリック・ドルフィーのジャズを聴くように楽しい。(p299)
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by syunpo | 2008-06-27 20:26 | 古典芸能 | Trackback | Comments(0)