カテゴリ:宗教( 7 )

他者との共存の作法を探る原理〜『プロテスタンティズム』

●深井智朗著『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』/中央公論新社/2017年3月発行

b0072887_18213173.jpg 禁欲を旨とするプロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神に適合していたという逆説はマックス・ウェーバーの有名なテーゼである。では資本主義の駆動を支えたとされるプロテスタンティズムの倫理とは具体的にどういうものかとあらためて問われて、きちんと答えられる日本人はそれほどいないのではないだろうか。そもそもプロテスタンティズムについて私たちはどれほどのことを知っているのだろうか。

 プロテスタンティズムと一口にいってもその言葉が包含する内容は今では広範で多岐にわたる。元来は「プロテスタント」とは「一五二一年から二九年までに開催された帝国議会で、神聖ローマ帝国の宗教問題の決定に『抗議』した帝国等族(帝国議会で投票権を持つ諸侯、帝国都市、高位聖職者)を指す議事録の言葉、あるいはそこから生まれた侮蔑的なあだ名」であった。それが一般にも普及していったのだが、ここでは「いわゆる宗教改革と呼ばれた一連の出来事、あるいは一五一七年のルターの行動によってはじまったとされる潮流が生み出した、その後のあらゆる歴史的影響力の総称」を指す。結果としてそれはナショナリズム、保守主義、ルベラリズム……などなど実に多様な相貌をもつことになった。本書はそのようなプロテスタンティズムについて初学者向けにわかりやすく概説したものである。

 宗教改革の前史から始まって、ルターがやろうとしたことを跡づけ、ルター以後に出てきたカルヴィニズムや洗礼主義を解説する。さらにドイツの歴史をサンプルに保守主義としてのプロテスタンティズムを論じ、リベラリズムを軸とするプロテスタンティズムの流れをたどる。……というのが本書のあらましである。

 いうまでもないことだが、プロテスタンティズムとは先に紹介したようにマルティン・ルターが創始した宗派というわけではない。ルターは一五一七年に「九五ヵ条の提題」を発表したが、それは議論のための一つの問題提起というほどのものだった。とくに彼が問題視したのは贖宥状の販売だった。贖宥状とは罪の償いが免除されるとして教会が発行した証書で、それが売り買いの対象になっていたのである。

 ルターが考えていたのは教会のリフォームであり、そのための討論を呼びかけた。その提題をただちに大衆が正確に理解し、社会に衝撃を与えたわけではないし、通常ある特定の神学のテクストが突然社会を揺るがすようなことはあり得ない。もちろん知識人のネットワークなどは刺激を受け、動きはじめるかもしれないが、影響はあくまで限定的であろう。(p44)

 しかし時とともにルターの行動の影響は大きくなっていった。もともと当時のヨーロッパは宗教的のみならず政治的にも経済的にも制度疲労をおこしていた時期にあたる。キリスト教が堕落していると考える人はほかにもいた。ルターの行動は、そのような改革の機運が芽生えていたところに「時代の転換のスイッチを押す機会」をとらえたものといえようか。それが宗教改革と呼ばれる一連の潮流を生み出すきっかけとなったのである。

 プロテスタントは当初カトリックとの戦いであったが、改革勢力同士の戦いもやがて始まる。改革を主張していた人々が政治勢力と結びついて安定した地位を得ると、よりラディカルな改革を求める人々との間に対立を生み出したのである。「改革の改革」を主張したものとしては、洗礼主義の運動やスピリチュアリスムスなどがあげられる。

 こうした「二つの二つのプロテスタンティズム」という認識については、深井は神学者エルンスト・トレルチを参照して念入りに紹介している。すなわち、宗教改革の時代のプロテスタンティズムを古プロテスタンティズムとし、そのあとに出てきた「改革の改革」者たちの活動を新プロテスタンティズムと呼んだのである。
 古プロテスタンティズムは、国家や一つの政治的支配制度の権力者による宗教市場の独占状態を前提しているのに対して、新プロテスタンティズムは宗教の自由化を前提としているのが大きな違いだという。

 ……新プロテスタンティズムの教会は、社会システムの改革者であり、世界にこれまでとは違った教会の制度だけでなく、社会の仕組みも持ち込むことになった。それは市場における自由な競争というセンスである。その意味では新プロテスタンティズムの人々は、宗教の市場を民営化、自由化した人々であった。(p117)

 興味深いのは、古プロテスタンティズムはその後、ドイツにおけるナショナリズムや保守主義と結びついていき、新プロテスタンティズムの方はアメリカ大陸においてリベラリズムとの親和性を高めていくことである。

 一八七一年のプロイセン主導によるドイツ統一の時代に入ると、ルター研究の復興がわきおこる。これは「決して純粋に神学的な関心によるものではなく、むしろ国策とそれに呼応した世論の興隆によるものであった」という。

 ……そこで政治的に再発見されたルターの宗教改革は、近代的なヨーロッパの起源であり、近代的自由の思想の出発点であり、ドイツ精神の源流とされたのである。これを「政治的ルター・ルネッサンス」と呼ぶことができるであろう。(p132)

 ルターの思想はナチスにも利用された。ルター派の方も「不遇なヴァイマール期をナチスが終わらせてくれるのではないかという期待を持った可能性がある」と指摘している。

 一方、アメリカ大陸にわたったピューリタンたちのプロテスタンティズムは、彼の地でリベラリズムの担い手となった。新プロテスタンティズムは、国家による宗教の統制に対し、個人の自由な信仰や決定を重視した。そうした彼らの言動は結果としてアメリカのリベラリズムを支える一つの勢力となったのである。

 ちなみに日本に到来したプロテスタンティズムは基本的には新プロテスタンティズムといえるものである。戦後の日本社会にもその影響は少なからず影を落としている。

 ……戦後の日本社会は、本書で見たような新プロテスタンティズムの深層構造を持ったアメリカ社会の影響を排除して成立する社会ではない。経済、政治、文化、学問、どれをとってもそれがよいか悪いかは別としてアメリカの大きな影響のもとにある。そうであるなら、異質で、無関係とも思えるプロテスタンティズムの歴史とその精神を知っていることは、この影響をより正確に理解するのに有用かもしれない。(p199)

 ルターの出来事に始まった、異なる宗派の並存状態やそれゆえに起こる対立や紛争のなかで、プロテスタンティズムは次の問題を考えざるを得なくなった。すなわち「どのようにすれば、異なった宗派や分裂してしまった宗教が争うことなく共存できるのかという問題」である。その問題と取り組んできたこと、これこそがプロテスタンティズムの歴史であるという。
 そうして深井は結論的に述べる。「プロテスタンティズムが現代の社会に対して貢献できることの一つは共存の作法の提示であろう」と。

 プロテスタンティズムの多面的な相貌を簡潔にまとめた本書は、初学者が読んでもわかりやすい記述になっている。その明快さは、著者自身もあとがきに述べているように大胆な簡略化のなせるわざであろうが、入門書とは概してそういうものであるだろう。洗礼主義といった聞き慣れない用語が出てきたりして、一部専門家からは批判らしきものも提起されているようだが、プロテスタンティズムの入門書として読んで損はない一冊だろうと思う。
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by syunpo | 2017-05-02 18:27 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

密教世界を完結させた宗教者〜『空海』

●高村薫著『空海』/新潮社/2015年9月発行

b0072887_2027499.jpg 二十一世紀を生きる一日本人にとっての二十一世紀の等身大の空海像をとらえるべく高村薫は、高野山をはじめ京都、四国、さらには中国・西安へと空海ゆかりの地を旅する。本書は共同通信社によって配信された連載記事に加筆修正をほどこしたものである。

 高村が宗教に関心をもつようになったのは、阪神大震災の経験がきっかけだった。「長らく近代理性だけで生きてきた人間が、人間の意思を超えたもの、言葉で言い当てることのできないものに真に直面」したからだという。

 空海の足跡をたどりながら、高野山の庭儀結縁灌頂三昧耶戒の法会に立ち会い、空海が生きていた時代へと想像力を飛翔させる。平行して空海に関する文献や資料を丹念に読み込む。さらには、四国八十八ヵ所霊場を巡り結願した人物に会うために国立ハンセン病療養施設を訪ねたりもする。

 二人の空海がいた、と高村は書く。都で天皇や貴族たちを相手に講説を続けた宗教的リーダーとしての顔。満濃池修築工事や綜藝種智院創設などに力を発揮した社会事業家としての顔。さらには入滅した後にも弘法大師として庶民の信仰の対象として生き続けた歴史的カリスマとしての顔を付け加えることができるかもしれない。

 日本古来の自然やアニミズムを滲みこませた身体の直接体験と、中国語の論理や修辞が合体したとき、まさに空海独自の比類ない密教世界が開かれた。空海ただ一人が開き、空海ただ一人で完結し、後世に革新や進化が起こるべくもなかった理由がここにある。(p183)

 オーラ。宗教的天才。作家の手になる空海論としては語彙や表現がやや凡庸という感想は否めないけれど、空海や真言宗の概略を知るうえでは有意義な本といえるだろう。
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by syunpo | 2016-09-13 20:28 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

信仰のテーマパーク!?〜『日本人はなぜ富士山を求めるのか』

●島田裕巳著『日本人はなぜ富士山を求めるのか 富士講と山岳信仰の原点』/徳間書店/2013年9月発行

b0072887_13104928.jpg フェイスブックにはよく富士山の写真が投稿される。東京と大阪を頻繁に往復しているビジネスマンたちが新幹線や飛行機から撮った写真をお披露目するのだ。銭湯の壁画といえば富士山が定番だし、葛飾北斎の描いた富士山は日本人なら誰もが印刷媒体で一度は見たことがあるだろう。

 昔も今も富士山は日本人にとって特別に思い入れの深い山。富士山に対する人々の言動は、日本で一番高い山という以上の引力を感じさせる。いったい富士山の何が私たちを引きつけるのか。本書は信仰や文化の観点からその問題を考えるものである。

 著者によれば、富士山には日本人の宗教観が凝縮されている。日本人は富士山を拝むことで様々な「御利益」を引き出そうとしてきたのである。もっとも信仰のあり方は時代とともに変遷をとげてきた。

 富士山にまつわる信仰の歴史は中世にまでさかのぼる。富士山はまず修験道の山として開拓された。修験道とは仏教をもとにしながら神道の要素を含んだ宗教で、日本独特の神仏習合の信仰から生まれたものである。日本には山の数だけ修験道の道場があるといわれているが、富士山もそのひとつだ。

 神道には救済という概念がないが、修験道は個人が修行を積むことによって救済されるという考えが基本にある。富士山における修験道は「水垢離」や「みそぎ」など、水を修行の手段として活用されてきた。富士山一帯は降水量が多く、火山砂礫に水が染みこんで地下に集まり、斜面を移動して裾野に湧き出しているので、その場所が水の聖地として巡礼の対象となったのである。

 江戸時代になると「富士講」が庶民の信仰を集めるようになった。彼らは富士山の山頂を目指すだけでなく、噴火でできた溶岩洞窟「人穴」や「富士八海」と呼ばれる霊場をまわった。こうした信仰の中心になったのが浅間神社である。これは富士山そのものがご神体であるという古くからの考えにもとづく。

 当時は伊勢参りも盛んだったが、興味深いことに伊勢志摩から富士参りに来る人たちが非常に多かったという。「伊勢参りをする人たちには、一生に一度の伊勢参りという思いがありましたが、伊勢志摩の人たちにとっては、一生に一度の富士参りの方がはるかに価値が高かったのです」。

 富士講の隆盛はさらに富士塚を生み出すことになった。江戸からは富士山がよく見えたが、登るにはあまりにも遠かった。そこで富士山が見える丘や古墳を利用して富士塚をつくり、そこにお参りすることで、富士山に参拝する代わりとしたのである。各地に富士見町や富士見坂の地名が伝わっているのはその名残だ。

 庶民の信仰の基本はご利益信仰である。そのため、宗教施設の側は、神社であれ寺院であれ、そこに参拝すればいかにご利益があるかを強調する。富士山でも各種の仕掛けが施された。
 たとえば今でも行われる「胎内巡り」。船津胎内樹型と吉田胎内樹型が世界文化遺産の構成資産に含まれているが、これらは流れ出た溶岩が樹木を覆い、そのまま固まってしまったもので、樹木は燃え尽きてしまうものの、樹木の型だけが残ったもの。内側の形が胎内に似ていることから、その名がついた。富士講の信者は富士山に登る前に胎内巡りをしたという。胎内巡りは安産祈願であるが、母の胎内をめぐることで信者は生まれ変わりの体験をすることにもなる。

 近代以降には、富士山の麓で多くの新宗教が生まれた。創価学会は富士山と密接な関係があるし、扶桑教は富士講にはじまる神道系の新宗教である。三保の松原のある三保半島には、かつて国柱会という日蓮主義の宗教団体の本部の建物があった。

 富士山をめぐる信仰や霊感の内容は様々であるが、人々は富士山を仰ぎ見ながら時には誇りの源泉をそこに見出し、時には芸術的なインスピレーションを得たりした。二〇一三年、富士山が世界文化遺産に登録された際の正式な登録名は「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」である。本書は「信仰のテーマパーク」として存在してきた富士山についてコンパクトに論じた面白い本といえるだろう。
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by syunpo | 2016-05-21 13:12 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

現代に連なる日本的精神〜『八紘一宇』

●島田裕巳著『八紘一宇 日本全体を突き動かした宗教思想の正体』/幻冬舎/2015年7月発行

b0072887_10292938.jpg 二〇一五年三月、参議院予算委員会で質問に立った自民党の三原じゅん子議員は「日本が建国以来大切にしてきた価値観」として「八紘一宇」という言葉を持ち出した。いうまでもなくそれは先の戦争において日本の海外進出を正当化する役割を果たした言葉である。直後から多くの批判的な意見が出たのは当然だろう。

 だが、島田はそれをただ揶揄するだけで終わらせてはならないと考えた。本書では「八紘一宇」という言葉の広がりをみすえながら「それが近代の日本社会においてどういった役割を果たし、どのようにして多くの人々を魅了し、日本の社会を突き動かしていったのか」を検証していく。

 八紘一宇のもとになった「掩八紘而為宇」ということばは日本書紀に出てくるが、それ以来、三原議員が述べたような家族主義を示す言葉として日本の社会で使われたわけではなかったし、日本的な価値観として継承されてきたわけでもない。
 八紘一宇とは田中智学の造語である。智学は日蓮信仰と皇国史観を合体させ、戦前において大きな影響力をもった宗教家であった。彼の作り上げた組織「国柱会」には、宮沢賢治や満州事変を起こした石原莞爾、伊勢丹の創業者、小菅丹治などが加わっていた。国柱会以外にも日蓮信仰と皇国史観を合体させた「日蓮主義」と呼ばれる思想運動に共鳴する人々は少なくなかった。井上日召の血盟団や二・二六事件で死刑になった北一輝らである。八紘一宇はあくまで近代的な概念であった。

 智学が唱導した日蓮主義はなぜ日本社会に大きな影響を与えたのか。鎌倉時代には日蓮以外に法然、親鸞、一遍、栄西、道元らがあらわれ、その教えをもとに各宗派が形成されていったのだが、国家ということを視野に収めていたのは日蓮だけである。それ以外はもっぱら個人の救済や悟りを問題にした。「その意味で国家ということが問題になった近代において、日蓮に注目が集まったのも必然であった」。

 しかも日蓮は数々の法難を被りながら波乱万丈の生涯をおくった人物。人は日蓮と一体化することによって、たちまちにして国家を救う英雄へと変身することができたのである。

 本書ではさらに日蓮主義が戦後においても生き延びていることを指摘する。智学の説いた国立戒壇の考え方は創価学会に取り入れられることによって戦後の日本社会にも重要な働きを示しているという。

 もちろん一国会議員が現代に八紘一宇なる言葉を呼び出したとしても、ただちにその概念の支持者が増えたということはない。だがその概念を生み出したもととなる日蓮主義なる考え方が近代の日本社会で果たしてきた役割を軽視することはできないのである。
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by syunpo | 2015-11-01 10:30 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

聖書を読んで読み抜いた修道士〜『マルティン・ルター』

●徳善義和著『マルティン・ルター ──ことばに生きた改革者』/岩波書店/2012年6月発行

b0072887_9219.jpg ドイツの片田舎に生まれた若き修道士の探究心がヨーロッパのキリスト教史のみならず社会全体を大きく塗りかえた。ことばに生き、Reformationを牽引した改革者。本書はマルティン・ルターの生涯をあとづけた初学者向けの評伝である。

 ひたすら聖書を読み続けたルター。聖書をドイツ語に翻訳したルター。民衆に語りかけたルター。歌うルター。……ルターの様々な相貌を外連味なく素描する著者の筆致は、庶民にもわかることばでキリスト教のあるべきすがたを論じようと努めたルターにふさわしい。

 またドイツ農民戦争との関わりや、のちにヒトラーに悪用されるユダヤ人をめぐる発言など、ルターのネガティブな面にもきちんと言及している点で信頼のおける入門書だと思う。
 読み、書き、歌うこと。そこからしか革命は起きない。──佐々木中の熱いテーゼを裏付けるかのようなルターの劇的な人生の軌跡を手っ取り早く知るには最適の一冊といえるかもしれない。
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by syunpo | 2013-05-18 09:05 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

関西弁で甦る〜『歎異抄』

●唯円著、親鸞述『歎異抄』(川村湊訳)/光文社/2009年9月発行

b0072887_1951216.jpg 『歎異抄』は、親鸞聖人の弟子唯円が、聖人の死後、その教えが歪められ、異なったものになってゆくことを憂え歎じて、それを正すために書いたものとされている。親鸞の生前の発言内容を唯円が記憶のままに記した前半部と、唯円が親鸞と交わした対話、親鸞の教説を唯円が解釈したり敷衍した後半部とから成る。

 現代語訳はすでに何種類も出ているが、「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」というコンセプトで注目を集めている光文社古典新訳文庫の一冊ということで、本書は思い切った策に出てきた。全編コテコテの関西弁風スタイルで現代語訳しているのだ。

 これは親鸞が京都に生まれ比叡山で修業を積んだことに拠るものだが、著者と目されている唯円は常陸国の人とされているから、関西弁に置き換えるという試みじたいに無理を感じる読者のいることは当然予想される。何より非関西人にしてみれば従来の普通の現代語訳の方が読みやすいには違いない。

 もっとも関西人で仏教にさほど詳しくない私としては、いささかバイアスのかかった現代語訳本ということを承知のうえで、それなりに面白く読めた。
 ちなみにどのような訳文かというと、たとえばあの有名なフレーズ「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」は「善え奴が往生するんやさかい、ましてや悪い奴がそうならんはずがない」となる。その後段部分「煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるをあはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、……」は以下のような具合である。

 アホで悩みっぱなしのワテらは、いくら何をやったところで、悟りなんかひらけるもんかいな。それを見越してアミダはんが、可哀想なやっちゃ、こらあ、いっちょう救ったろかいなと、願かけしてくれはったんや。(p18)

 無論、親鸞の考えはたとえ平易な言葉と文章によって再現されようとも、われわれ凡夫には必ずしもわかりやすいものではない。が、自力による思考や「はからひ」といったものは不要だと親鸞が考え、法然の教えを「もっと庶民的に、一般人に向けて押し広げたもの」とする川村の認識は訳文からもそれなりに伝わってきた。

 ただ、問題の「本願他力」を「人まかせ」としているのは、いくら何でもやりすぎではないか。親鸞は自力による善行に見返りを期待する心に傲慢を見出してそれを戒め、仏の力に帰依することをとなえたのであって、「人まかせ」ではそのようなニュアンスからますます遠ざかってしまう。この言葉は歎異抄のキーワードであり、本文中でその概念の意味するところは繰り返し説明されている。従来の現代語訳──梅原猛にしても五木寛之『私訳歎異抄』にしても──その多くがそのまま「本願他力」で通しているのもそのためだろう。無理に噛み砕いてインパクトにも欠ける訳語に置き換えるくらいなら「本願他力」のままでも良かったように思う。

 また、「ライブ感あふれる関西弁」を前面に打ち出しのはいいけれど、全般的にギクシャクしたガラの悪い関西弁なのが惜しまれる。とくに「……になるんや」という語尾が頻出するのが気になった。そこだけを取り出せばなんだか関西人のオヤジが競艇場でくだを巻いているような口調ではないか。たしかにいまどきの坊さんにも威張って品のない人もいるかもしれないが、ここはやはり「……になりますのや」くらいにしてほしかった。
 案の定、川村湊は非関西人、北海道の出身らしい。どういう経緯で本書が刊行されたのかは知らないが、このアイデアでいくならやはりネイティブ関西人で仏教にも詳しい人間が手がけるべきではなかったかと思う。
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by syunpo | 2010-11-14 19:11 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

精神の〈古層〉をめぐって〜『日本宗教史』

●末木文美士著『日本宗教史』/岩波書店/2006年4月発行

b0072887_1964321.jpg 宗教全般にわたってその通史を記した本というのは、意外とこれまであまりお目にかかったことがないように思うのだが、本書は、仏教学・日本思想史を専門とする研究者がその難題に挑戦したものである。それぞれの宗教が、相互に関連し影響を与えあいながら変遷をたどってきた流れが手際よくまとめられていて、大変勉強になった。

 本書の核を成す基本認識は、歴史以前から歴史を一貫して貫く日本的発想の〈古層〉なるものを否定し、〈古層〉自体が歴史的に形成されてきたもの、と考える点にある。
 そのような観点からすれば、日本独自の伝統的な信仰と目される神道も古くから連綿と続いてきたものではなく、時代とともに内実を変化させてきたものとして捉えられる。『古事記』や『日本書紀』などの神話も仏教との関連抜きには語れない。

 古代から中世にかけては、まさに神仏を中心に複合的な形で宗教が展開した。一般に神仏習合といわれる現象であるが、それ自体が多様な形式をとるものである。時に、仏教側の神祇不拝や神道側からの神仏隔離などの思潮も見られはしたものの、仏教の影響を受けながら神道理論が形成されるようになった。

 近世になると、武士階級のイデオロギーとなった儒教を含めた神仏儒の交渉の時代になる。また、この時期には国学から復古神道が台頭してくるなかで、再び記紀神話への傾注がみられるが、その中に純粋で理想的な日本の〈古層〉を発見するということは、むしろ新たな〈古層〉の創出と見るべきだ、と著者は主張する。
 
 明治時代から戦前にかけては、国家神道が宗教の枠を超えることによって、その他の宗教は制約を受けることになったが、キリスト教、仏教、新宗教などそれぞれが心の問題や社会問題への対応をめぐって、宗教としての活動を展開した。

 興味深いのは、日本を神国とする優越的な認識も、末法思想的な国家観が後に逆転したもの、という指摘である。

 末法の辺土には、仏がそのまま現われて衆生を救うことができないから、そこで日本の神として垂迹することが必要になる。……(中略)……こうして、神でなければ救われないから、日本は神国なのであり、神国説はもともと必ずしも日本の優位を言うわけではなかった。それがやがて逆転して、日本は神によって守護された特別の国であるという意に用いられるようになるのである。(p65〜66)

 著者は宗教史の最大の課題は「表層から隠れて蓄積してきた〈古層〉を掘り起こして顕在化させ、その〈古層〉がいかにして形成されてきたかを検証すること」と述べている。本書はそれを概観することによって充分にその役割の一翼を担っている、と言っていいと思う。
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by syunpo | 2008-04-15 19:26 | 宗教 | Trackback | Comments(0)