カテゴリ:脳科学( 2 )

脳科学の可能性を拓くために〜『つながる脳』

●藤井直敬著『つながる脳』/NTT出版/2009年5月発行

b0072887_18122762.jpg 脳は常に他者や社会など外部環境とつながりをもち、そのつながりの中で働いている。藤井直敬はそのような観点から社会的脳機能について研究を続けてきた脳科学者である。本書は現在の脳科学が抱えている問題やその問題を乗り越えるための方策や展望などを率直に叙述したものである。

 前半では、脳科学が直面している四つの壁について論述する。「技術の壁」「スケールの壁」「こころの壁」「社会の壁」。
 社会の壁を論じたくだりでは、似非脳科学的な言説がマスメディアに安易にのってしまう傾向に釘をさしていて、その点は坂井克之の『脳科学の真実』(刊行は本書の方が五ケ月早い)とまったく同じスタンスである。

 後半では、藤井がこれまで行なってきた複数のサルを使って社会性課題に挑んだ実験の結果が具体的に詳述されていく。結論的に記せば、サルたちは自分よりも強いサルが隣にくれば、自分を弱いサルとして振る舞い、自分より弱いサルがやって来たには、強いサルとして振る舞う。初めて会ったサル同士は、まずはどちらも強いサルとして相対する。

 つまり、サルたちのデフォルトのモードは強いサルなのだと僕は思います。
 このことは、デフォルトの社会性フリーの強いサル状態から、社会性をもった弱いサルに自分を変えるときに新しい機能が必要とされ、逆に自分が強いサルに戻ったときには、その機能を解除することでもとに戻るということを示唆しているように思います。(p128)


 以上のような観察・分析から「抑制というものが社会性の根本にあるのではないか」と結論づけるあたりに、著者の認識が明確に示されているといえるだろう。ちなみに社会性のもう一つの有力な要素だと思われる「協調行動」については「新しい脳内認知機能の発現によるものというより、文化的、教育的側面からの学習体得の要素が強い」(p133)という。

 ただし、こうした考察は従来の動物行動学的な観察をもとに得られたもので、とくに脳科学の成果というほどのものではないだろう。
 そのような予備実験の結果を踏まえて、これからの脳科学の可能性や展望について述べたまとめのチャプターで著者の脳科学者としての姿勢がよりクリアになる。

 一般に従来の脳科学では脳に対する操作不可能性が最大の問題点であるとされてきた。著者が考える有力な解決方法はブレインーマシン・インターフェイス(BMI)といわれるものである。これは脳内部の神経活動を記録し、その活動から情報を抽出することを可能にする技術である。その方法やメリットについては縷々説明がなされているのだが、とにもかくにも「脳科学最大の問題点であった操作不可能性を克服すること」が「ファンタジー」を脱して「科学」へと移行するために必要なのだと著者は力説する。

 「私たちが明らかにできたことは、生命を機械的に、操作的に扱うことの不可能性だった」──そのように述懐したのは分子生物学者の福岡伸一である。しかし研究対象が「生命」ではなく「脳」になると、そのような悠長なことを言って済ますわけにはいかないらしい。

 藤井は脳を操作的に扱うことの倫理の問題についても当然ながら言及している。
 そもそも、BMI技術はすでに知らない間に世界に浸透しており「情報デバイスの機能という点で携帯電話とBMIの間に差がない」。ゆえに、BMI技術などによって脳を人為的に操作することを「倫理的に制限することは困難かもしれません」と述べているのだ。
 知覚能力を拡張する技術としての携帯端末と、脳に直接働きかけるBMI技術とを同一次元のものと見做す見解には、あるいは反発や異論がありうるかもしれない。

 また「西洋の宗教は自己とは何かという点について、神を離れたところでの明確な基準をもっていないように思えますから、BMIに関しては感情的な対応しかできないかもしれません」などという発言はどうだろう。明確な基準など何処にもないからこそ議論することの重要性があるのに、そのための建設的な問題提起も不充分なままに、感情的な対応しかできないかもしれない、などという粗雑な感想をそのまま記述してしまう無神経ぶりには、はっきり言って共感できない。
 ついでにいえば、最終章で脳科学の範を越えてマキャベリなどに言及しつつ、あるべき社会や国家像について論述しているくだりなども失礼ながら陳腐という以外の感想を抱きえなかった。

 とはいえ、これからの脳科学のあり方をめぐって一線の研究者がどのような意識や展望をもっているのかを知るうえでは本書はきわめて有益な本といえるだろう。
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by syunpo | 2010-11-08 18:33 | 脳科学 | Trackback | Comments(0)

わかりやすさに潜む危うさ〜『脳科学の真実』

●坂井克之著『脳科学の真実』/河出書房新社/2009年10月発行

b0072887_10235724.jpg 本書は科学の名のもとに提唱されている「脳トレーニング」「ゲーム脳」など昨今の皮相的な「脳科学」ブームに警鐘を鳴らすものである。著者は、自称・脳科学者による一般書の多くは問題が多い、脳科学の実験データを自説展開に都合良く利用しているだけで内容的には人生訓や処世術に脳科学の意匠をくっつけただけの似非科学であるなどと繰り返し批判している。

 認知神経科学を専攻する著者の立場からすれば、脳と心の関係はわからないことだらけで、「脳科学者」がメディア上で主張しているような命題にははっきりと実証されていないものが少なくない。また脳科学はそう簡単に日常社会に応用できるものでもない、という。

 本書における脳科学風言説への批判はたしかに説得力を感じさせるものだ。にもかかわらず今日の脳科学風言説は真実らしさの衣をまとって人びとに広く受け入れられている。その危なっかしいブームを支えている要因は何か。
 ……ある研究結果の一面のみを捉えて大仰に紹介する単純で過大なマスコミ記事とそれに迎合するような「脳科学者」の振る舞い。研究現場におけるプロジェクトの有用性アピール合戦を加速させる研究費獲得競争の激化。……無論、こうした社会状況は何も「脳科学」分野にだけあてはまる問題ではない。興味深いのは何といっても脳科学という学問が独自に孕みもつ問題への言及だ。

 ……(分子細胞生物学などの研究成果と比べて)脳と心の関係についてはその詳細なメカニズムを明らかにしたと言える研究はそれほど多くはありません。これは「脳」という物質を実験対象としていながら、その目的は「心」という捉えどころのないものの成り立ちを明らかにするという、科学としてかなり無理な設定に伴う必然的な帰結といえるでしょう。あるいは「心」を目的とすることで避けては通れなくなった要素還元の到達レベルの限界と言えるかもしれません。(p169)

 脳を考えるのも脳にほかならない、という自己言及的なサイエンスの困難。その困難と向き合うことにこそ脳科学の醍醐味があるのでは、と私などは思うのだが、そうした基礎的学問に対する社会の要求がより具体的なものへと変化してきたのも事実であろう。ありていにいえば、あらゆる科学に対して実社会への応用や還元を求める気運が高まってきたのである。そしてその波は当然「脳科学」の領域にも押し寄せてきた。その波にちゃっかり便乗する科学者もあらわれた。かくして今日のお手軽な「脳科学」ブームが到来した。

 科学のおもしろさは、知的な意味でのおもしろさだと思います。そこにはなんの誇張も脚色もなく、またその実情は単純明快さとは程遠いところにあるがゆえにおもしろいのではないでしょうか。情報発信のあるべき形とは、実際の科学研究をありのままに紹介することではないでしょうか。(p207〜208)

 坂井が結論的に述べている見解には奇を衒ったところは微塵もなく、あたりまえゆえに誠実さを感じさせるものだと思う。

 ただ、本書の叙述スタイルには疑問がなくはない。
 おそらくは編集者かゴーストライター相手に語った内容を文字に起こしたものだろう、繰り返しや重複が多く、推敲の不足を感じさせる粗雑な構成といい、ところどころで顔をのぞかせる弛緩した語り口といい、いささかお手軽につくりあげた本といった雰囲気は否めない。もし著者自身が最初から執筆した原稿ならば、学者としての文章力・構成力に疑問符がつく。いずれにせよマスメディアで活躍する疑似科学者に対して批判的なスタンスをとっている著者であるならば、もう少し精緻な本づくりを目指してほしかった。
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by syunpo | 2010-04-29 10:30 | 脳科学 | Trackback | Comments(0)