ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
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カテゴリ:科学全般( 2 )


新しい発見の栄光に酔う前に〜『科学者は戦争で何をしたか』

●益川敏英著『科学者は戦争で何をしたか』/集英社/2015年8月発行

b0072887_1920487.jpg 益川敏英といえば原発や安保法制など政治問題にも積極的に発言をしていることでも知られるが、それは確固たる信念にもとづいて実践しているのだった。科学と実社会との関わりにも深く関心をもつようになったのは、恩師・坂田昌一の教えが大きかったと本書でくり返し述べているのが印象的だ。「勉強だけでなく、社会的な問題も考えられるようにならないと、一人前の科学者ではない」というのが坂田の持論だったという。その教えのとおり益川は職場では組合活動にも精力的に関わってきた。

 もっともそうした政治的な言動には眉をひそめる向きもあるらしい。たとえばノーベル賞受賞の記念講演に際して事前に複数の知人にチェックを頼んだところ草稿が出回ってしまい、戦争体験に言及している点について間接的に批判の声が聞こえてきた。「ノーベル賞受賞記念講演というアカデミックな場で、戦争に関することを発言すべきではない」と。どのような業界にも政治に対してあからさまにアレルギーを示す勢力は一定程度存在するのだなとあらためて思う。

 科学者が過去の戦争でいかなる役割を果たしてきたか。科学者本人はそのつもりはなくとも科学的発見がいかに軍事利用されるか。……といった本書の核となるテーマについてはとくに目新しい史実が提示されるわけではないものの具体的事例を挙げながら批判的にあとづけていく。

 科学とは本来「中性」的なもので、使う人間によって人類の生活の進展に資することもあれば、軍事利用されて人類に害を及ぼすこともある。あたりまえの話だが、その両義性がくり返し強調される。実際、祖国の戦争に自発的にせよ強制されたにせよ協力した科学者は昔も今も後を絶たない。「科学に国境はないが、科学者には祖国がある」というパスツールの言葉はなるほど至言なのだと思わせられる。

 そのうえで銘記すべきなのは「戦時下における科学者の立場というものは、戦争に協力を惜しまないうちには重用されるものの、その役目が終われば一切の政策決定から遠ざけられ、蚊帳の外に置かれ」るという事実だ。それでもなお「自分の研究がどんな使い方をされるのか、そこだけはしっかりと目を見開いて」監視していく姿勢が必要だろう。

 本書をとおして著者が述べていることはおしなべて建前論にすぎないとの寸評もあるかもしれない。だが、建前を嗤う者はしょせん現状追認論者にすぎないことも事実ではないか。

 誠実な科学者であれば、新しい発見の栄光に酔う前に、発生し得るであろう負の部分に警鐘を鳴らすべきなのです。(p29)
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by syunpo | 2016-02-15 19:22 | 科学全般 | Trackback | Comments(0)

物性、中間子、分光学〜『日本語の科学が世界を変える』

●松尾義之著『日本語の科学が世界を変える』/筑摩書房/2015年1月発行

b0072887_8442486.jpg 日本人は日本語で科学をしている。私たちはそれを当然のように思っているけれど、欧米の言語とまったく異質な母国語を使って科学をしている国は世界的にみれば希有なことらしい。フィリピンやインドネシアなど東南アジアの国々では、最初から英語で科学教育を進めているところが多い。

 日本語で科学ができるという当たり前でない現実に深く感謝すること。著者は冒頭でそのように記している。なるほど西洋から入ってきた学術用語を日本語に翻訳していく明治期エリートたちの苦心談は興味深いし、現代日本人が先達の敷いてくれたレールのうえを歩んでいることを知るのは有意義なことだろう。そこまでは私を含めて多くの読者が納得するに違いない。

 本書ではそこからさらに「日本語主導で独自の科学をやってきたからこそ、日本の科学や技術はここまで進んだのではないか」という仮説の提起に向かう。現実に日本人は西洋科学の概念を日本語に移しかえながら科学を営み、そこそこの業績を重ねてきたわけだから、そのような主張が出てきても不思議はないかもしれない。

 しかし結論的にいえば、本書が主張する「仮説」には首肯しがたい点が多々ある。著者のもちだす状況証拠はあまりにも主観的かつ粗雑といわざるをえない。「日本語で研究することのメリット」が曖昧模糊とした記述であるうえに、「日本で研究することのメリット」と話が混淆してしまっていることも本書の主張をいっそう漠然とした印象にしている。

 後者の指摘にしたところで、メインテーマからはズレている点を脇に置いたとしても、さほどの切れ味は感じられなかった。世界で認められた日本の科学者をピックアップして、その研究内容と日本の文化的背景とを強引に結びつけるような怪しげな記述が多い。たとえば湯川秀樹博士のパイ中間子理論を東洋の中道・中庸思想と関連づけるのはいかにもこじつけという感じがする。また山中伸弥博士のiPS細胞の研究などの例を引いて、日本には「聖書の縛りがなく、生命体に素直に向かい合える」という見解も、進化論がヨーロッパに発祥したことを想起するだけで説得力のないことがわかるだろう。
 要するにその多くが、東洋思想や日本文化論のステレオタイプを安直に科学研究の成果に結びつけようとするものなのだ。そのような著者がしきりに科学者の「パラダイム転換」を主張しているのは悪い冗談というほかない。

 ついでにいえば、ノーベル賞に対する態度が一貫性を欠いているのにも引っかかった。「人間のやることなので政治的だったり間違いもあるということだ」と腐しておきながら、日本人科学者を賞賛する場合には「……二一世紀に入ってからの受賞数を国別比較したら、日本はトップクラスにあるのではないか」などとノーベル賞を引き合いに出してくるのは噴飯物。

「日本語主導で独自の科学をやってきたからこそ、日本の科学や技術はここまで進んだ」という仮説は、そもそもその命題の内実が曖昧であるという点も含めて、仮説というほどの内容を伴ったものではない。著者自身の雑感というレベルの話ではないかと思う。本書に対しては、科学ジャーナリストによる素朴なお国自慢のエッセイ集と割り切って気軽に付き合った方が良いだろう。

 念のため付記しておけば、私は日本人科学者の世界的な活躍に関しては誇るべきことだと思っているし、彼らの実績にケチをつけるつもりはもちろんない。私が違和感を表明しているのは、あくまで本書の内容に対してである。
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by syunpo | 2015-06-06 08:46 | 科学全般 | Trackback | Comments(0)