ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
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カテゴリ:精神医学( 3 )


気合いと絆とバッドセンス〜『ヤンキー化する日本』

●斎藤環著『ヤンキー化する日本』/KADOKAWA/2014年3月発行

b0072887_18433816.jpg 斎藤環は二〇一二年刊行の『世界が土曜の夜の夢なら──ヤンキーと精神分析』で日本文化に偏在する「ヤンキー・テイスト」を分析した。本書はその続編ともいうべき対談集。

 日本社会はヤンキー化している。ではヤンキー化とは何なのか。それは不良や非行のみを意味しない。著者が「ヤンキー」の用語に込めているのは次のようなことである。

 ……彼らが体現しているエートス、すなわちそのバッドセンスな装いや美学と、「気合い」や「絆」といった理念のもと、家族や仲間を大切にするという一種の倫理観とがアマルガム的に融合したひとつの“文化”、を指すことが多い。(p9)

 斎藤はヤンキー化に対して批判的ではあるものの「単純に軽蔑したり排除したりできない」とも述べている。本書は、斎藤のこうした基本認識を踏まえての対話なので、比較的まとまりのある対談集にはなっていると思う。登場するのは、村上隆、溝口敦、デーブ・スペクター、與那覇潤、海猫沢めろん、隈研吾。

 村上との対話は、本書のテーマにしっくりハマっているとは言い難い雰囲気をもって始まるのだが、村上の仕事が「気合い」を重視していることを言明している点などは興味深く読んだ。

 溝口は暴力団の実態に詳しいジャーナリスト。斎藤の認識に同意を示しつつ、「暴力団や半グレと、ヤンキーの両者は近接領域にあっても別モノ」と指摘する。

 デーブとの対談はリラックスした雰囲気ながら本書の趣旨からは逸脱することなく進んでいく。それなりに楽しい対話。選挙の古臭さとヤンキー文化をからめる文脈で橋下徹人気を語るのは良いとしても、それにデーブが好意的なのは同意できないが。

 與那覇は安倍政権についてトンチンカンな発言も散見されるが、「インテリ派とヤンキー派」の対立を自民党政治にあてはめて「官僚派と党人派」と言い換えているくだりなどにかろうじて面白味が感じられた。

 梅猫沢は、社会心理学者の山岸俊男の(「頭でっかち」に対する)「心でっかち」というフレーズを引用して、心を重視するヤンキーリアリズムを批判的に語っているのが印象的。

 隈は建築という営みそのものがヤンキー的といい、日本のヤンキー文化を建築業界に沿って語っているのは勉強になった。「おたくとヤンキーというのは、ノンヒエラルキーな二〇世紀的工業社会が崩れてきた中で人間が生きていくための二つの道」と隈はいう。本書のなかでは私にはもっとも面白い対談だった。
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by syunpo | 2017-02-15 18:45 | 精神医学 | Trackback | Comments(0)

答えのない問題を考える〜『弱者はもう救われないのか』

●香山リカ著『弱者はもう救われないのか』/幻冬舎/2014年5月発行

b0072887_2133222.jpg 貧乏も失業も自己責任、負け組は自業自得なのだから他人が手をさしのべる必要はない。そのような考え方が社会に広く共有され、公言されるようになってきた。現実に社会的弱者を切り捨てるような政策が打ち出されてもいる。

 弱者はもう救われないのか。本書における著者の問題意識はその問いからさらに進んで「そもそも社会的弱者はなぜ救わなくてはいけないのか」という難問の領野へと踏み込んでいく。それに答えるために、キリスト教神学やフロイトの精神分析理論、現代思想、社会学などの知見に視野を広げながら、なんとか有効な答えを探りあてようとする。

 しかし香山の解答は最後まで読んでもはっきりと提示されるには至らない。いや全編をとおして「明快な答えはない」ということを確認するための書物といえるかもしれない。そして答えはないという認識が逆にある種の希望へと反転するのだ。

……「なぜ弱者を救うべきか」の理由として考えられてきた無数の根拠は、どれひとつとして究極の答えにはならなかった、と述べたが、それは逆に言えば「考えても考えても答えが見つからないのは明らかなのに、それでもなお考えようとしてきた」ということでもある。
 私たちはきっと、本当は積極的かつ自発的に弱者を救いたいのではないだろうか。(p213)

 なぜ、弱者を救うべきなのか。この問いに、私はこういう問いでこたえたい。「あなたはなぜ、それほど弱者を救うのが好きなのか」
 救うのが好きだから、救う。「好き」という言葉で表現すると誤解を生じるかもしれないが、それ以外に適当な表現が思い浮かばない。(p214)


 社会的弱者の救済にさまざまな理屈をつけることは、逆にそれ以上の強い理屈が出てきたときには脇に追いやられるだろう。現に「新しい強烈な理屈である新自由主義経済に敗北しようとしているのではないか」。理由なんて何もない。そのように言い切る覚悟を持てるかどうか──。

 もっとも引っかかる点もいくつかある。そもそも「弱者を救う」という問題の立て方じたいに「上から目線」という批判がありうるかもしれない。さらにそれを国家の政策理念、共同体における倫理、個人の行動規範などの次元を混同し未整理なままに考察しているのも議論を大味なものにしている。香山の意見には頷けるところも多々あるけれど、残念ながら諸手を挙げて人に勧めたくなるような本ではない。
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by syunpo | 2016-05-27 21:07 | 精神医学 | Trackback | Comments(0)

安心して悩める社会に〜『「悩み」の正体』

●香山リカ著『「悩み」の正体』/岩波書店/2007年3月発行

b0072887_18565118.jpg マスメディアで重宝されている人気の精神科医によるエッセイの集成ともいうべき新書である。
 ここには、社会のあり方について、人の生き方について、再考するキッカケとなりうる興味深い逸話がいくつか紹介されている。著者自身は、当然ながら個々の問題の背景に奥深く立ち入ることなく示唆的な記述にとどめている風だが、その素材のいくつかは社会学的、政治学的、哲学的な考察の対象になるような意味深長さを備えているように思えた。
 本書における香山の問題意識は、あとがきにおける次の文章に要約される。

 以前なら悩まなくてもよかったようなことまでが、今では多くの人にとっての大きな「悩み」となっているのは、それはその悩める本人の責任ではなく、むしろ社会や世間の問題なのではないか、ということだ。(p188)

 たとえば、「ハッピー子育て」や「スピリチュアル子育て」のガイドブックの隆盛。
 従来は子どもをもって親になることで、自分の人生の意味を確認し、自己肯定感を高めることができたのに、今では子どもをもってなお「本当にこれで良かったの」と出産以前に遡って迷いなおす人が増えた。そういう母親たちが「スピリチュアル子育て」のガイドブックを手にして「あなたは充分頑張っていますよ」というメッセージに出会って救われる。
 そこで、香山は問いかけるのである。それほど自分の人生にこだわる人たちなのに、自分の周囲の家族からの評価を感じることができずに、カリスマカウンセラーの言葉の方が信用できるとしたら、問題はむしろそのことのほうにあるのではないか、と。

 あるいは、夫の家庭内暴力に苦しめられている女性が「悪いのは私なんです」と、答えを自分の中に見つけてしまうケース。周囲の状況を調整したり環境の問題点を改善すれば解決に向かうようなことでも、自分の内面を見つめすぎるために精神的な病いをより深刻化させてしまう。「自信がない私が悪いのではなく、この私に自信がないと思わせる社会が悪い」、それくらいに思ってもよいのではないか、と香山はいう。

 もっとも、香山自身は、日々、診察室で精神的な悩みを抱えた患者と対面する立場にある。本来なら「悩み」になる必要のない「悩み」であったとしても、目の前にいる患者に対しては、具体的な処方が必要だ。そのジレンマが本書の低層に滞留し、時に著者自身の「悩み」として行間から滲み出てくるような印象をもった。
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by syunpo | 2007-03-29 19:09 | 精神医学 | Trackback | Comments(0)