カテゴリ:実験社会科学( 1 )

文理横断的な実験によるアプローチ〜『モラルの起源』

●亀田達也著『モラルの起源 ──実験社会科学からの問い』/岩波書店/2017年3月発行

b0072887_2048055.jpg 人間の社会を支える人間本性とはいかなるものか。これは古来、当の人間にとって最も主要な論題の一つとして繰り返し問われ研究されてきたものである。本書ではその問いに対して実験社会科学という新しいアプローチで答えようとする。

 まずヒトの社会行動や心の働きはほかの動物と比較したときに、どう位置づけられるか。そしてそのような生物学的基礎をもつ「ヒトの心」が、人文社会科学が対象とするような「人の社会」の成立とどう関わるのか。利他性・共感性・正義など「モラル」を構成する人間の心の起源にそのようなステップを踏んで迫っていく。

 当然、そこでは分野横断的な態度が必要になるだろう。本書では、脳科学、進化生物学、霊長類学、行動科学などに加え、人類学、社会学や行動経済学、心理学、哲学などなど、あらゆる科学的知見が動員される。とりわけ様々な実験やゲームによって得られた知見や推論が多く参照されていて、そこに本書が実験社会科学を標榜している所以がある。

 まず、霊長類学者のダンバーの調査によれば、霊長類の大脳皮質の大きさは、その種における群れのサイズとの間に正の相関関係があるという。群れのサイズが大きい種ほど大脳皮質が大きい。群れが増大すればするほど、必要な情報処理量(認知、判断、言語、思考、計画など)の増大も必要となると考えられる。

 進化時間におけるヒトの心の適応には、このような集団での生活形式が重要であることは明らかだろう。

 人間生活のもっとも根本的な基盤が集団にあるとすると、ヒトもまた、集団の中でうまくやっていくための心理・行動メカニズムを進化的に獲得しており、そのようなメカニズムこそ、生物種としてのヒトが備えている行動レパートリーの中でも中心的な位置を占めると考えることは、非常に妥当な推論のように思われます。(p18)

 では、群れ生活への進化的適応を果たすうえで、生物種としてのヒトの社会行動や心はどのような仕組みになっているのか。結論的にいえば、ヒトは他者の行動や思いに対して極めて「社会的感受性」の強い動物だといえる。

 ハチやアリのような社会性昆虫のコロニーでは、自分と同じ巣の仲間は遺伝子を共有する血縁者なので、自分の適応度を下げてもコロニーの仲間を助ける行動は、同じ遺伝子を残すという観点から意味がある。進化生物学では、この行動が個体と血縁者全体を含む包括適応度を上げると考える。
 しかし非血縁の相手とともに生きなければならないヒトの場合は事情は異なる。いくら群れレベルで望ましい結果を生むはずの行動でも、当の個人の生き残りに不利になるようなら、その行動は定着しない。ヒトは、他者の意図を敏感に察知し、極めて戦略的に反応する「空気を読む」動物なのである。

 では、どのようにしたら互いに助け合う安定した協力関係を作ることができるのか。
 そこで言及されるのが「評判」の働きである。前出の霊長類学者ダンバーは、人が集まる場所での会話を分析し、会話のほとんどが「今ここにいない誰か」についてのゴシップであることを示した。そのような噂話によって人は他者の情報を得る。それは対人マーケットにおいて重要な選別の機能を果たしているという。
 近年の研究によれば、間接互恵性で見られるような自発的な親切行為や援助行動は、このような言語を介した評判のメカニズムを基盤として、ヒトの心に定着したのではないかと考えられている。

 そのような考察を重ねてきたうえで本書が最後に重要な問題と考えるのは「共感/同感」である。アダム・スミスが「同感」こそは人間社会における秩序の最大の基礎になると論じたことはよく知られている。
 近年、共感とは「思いやり」だけでなく身体模倣や情動の伝染などを含む重層的なシステムであり、その一部はヒト以外の動物たちにも共有されているのではないかと指摘されるようになった。

 一般に、共感には「情動的共感」のほかに「認知的共感」がある。後者は相手の視点を取るときに働くもので、より複雑な機制をもっている。認知的共感は、必ずしも情動的共感のように、いつでも直ちに「温かくやさしい思いやり」を生むものではないが、内集団を超える利他性を発揮するために、欠くことのできない本質的な役割を担うと考えられるのである。

 正義やモラルの芽ばえのような行動は、さまざまな動物たちの集団にも観察される。しかし、正義やモラルが言語という媒体を活かして、多くのメンバーを吸引する力をもつのは、人間社会においてのみである。たとえば、社会運動における不公正の糾弾、革命家の血湧き肉躍らせるレトリックは、人々を広く動員する。

 では政治的存在としての人間を動かす正義やモラルとは何だろうか。その考察が本書のハイライトといってもいい。その具体的な課題として「分配」が取り上げられる。

 限られたモノをいかに分配するか。この分配の原理は、社会・文化レベルの要因によって規定されていることは、いくつもの実験によって明らかになっている。

 大雑把にいえば、市場経済化が進んでいる社会ほど「フェア」な取引が文化規範となっているのに対して、市場取引とは無縁の伝統的社会では血縁や特定の相手を重視する行動こそが「正義」とされる。アメリカのジャーナリスト、ジェイン・ジェイコブズが「市場の倫理」「統治の倫理」という二つの類型化を提起したのは、そうした命題に対応するものといえるかもしれない。

 分配をめぐる道徳規範には文化差があるとすれば、個別のモラルを統合する「メタモラル」を構想するにはいかなる考え方が適切だろうか。本書では、ジョン・ロールズの『正義論』などにも熱く言及しているのだが、結論として「功利主義」を挙げている。

 哲学者のジョシュア・グリーンは功利主義こそが人類共通の基盤となり得ると考えた。功利主義には固有名詞がないからである。「功利主義は、自分を含めて誰かを特別扱いすることなく、人々の平等を前提として『幸福』の総量を最大化しようとする考え方」である。そこで著者は「功利主義の難しさ」を指摘したうえで、グリーンの主張する功利主義に共感を示すのである。

 この結論にはおそらく賛否両論あるだろう。ここに至るまでの論考が多彩なものであっただけに、私にはいささか凡庸に感じられたというのが率直な感想。しかしそれを差し引いても、本書における様々な実験とそこから得られる知見には学ぶところ大であったことは間違いない。一読に値する面白い本であると思う。
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by syunpo | 2017-05-24 21:06 | 実験社会科学 | Trackback | Comments(0)