●鶴見俊輔編著『新しい風土記へ 鶴見俊輔座談』/朝日新聞出版/2010年7月発行
鶴見俊輔の対談集。対談相手は、姜尚中、中村哲、徳永進、アーサー・ビナード、上野千鶴子、四方田犬彦、中島岳志、孫歌、池澤夏樹。前半収録の対論は新聞掲載用に行なわれれたものらしく、長時間交わされたであろう対話を短く要約してあるためか消化不良の感じは否めない。どの対話でも学力エリート批判にもっていってしまう鶴見のワンパターンも相変わらずで、こうも執拗に繰り返されるとさすがにシラけてしまう。 それでもホスピスケアに従事している徳永が「あきらめていく力」の大切さをおずおずと指摘しているくだりや、四方田の著作『先生とわたし』と絡めて展開されている師弟論は悪くない。できることなら量的にもう少しキチンとした筆記録で読みたかった。
●加藤周一著『歴史・科学・現代 加藤周一対談集』/筑摩書房/2010年7月発行
「私は座談を好んで、演説を好まない」と加藤周一は書いている。「人の話を聞きながら、あるいは自ら喋りながら、考える」。本書はそのような座談の成果を一つの形にしたものである。六〇年代後半から七〇年代前半にかけて行なわれた対談・鼎談の記録を集めたものだが、相手の顔ぶれが凄い。丸山眞男、湯川秀樹、久野収、渡辺一夫、笠原芳光、ジャン=ポール・サルトル、西嶋定生。一九六六年に行なわれたサルトルとの鼎談(司会役として白井浩司が同席)には、加藤がその後に著わした『日本文学史序説』における基本認識──歴史を通じて日本文化の基底にあるのは、過去や未来と切り離された〈今、ここ〉への強い関心──がすでに示されている。サルトルの質問に応える形で「今、ここ」への執着を「伝統的態度」だとして国民生活全般にも見出しているのだ。晩年まで保持された加藤の日本文化観が早い段階で固められていたことが窺われ、興味深い。ちなみに同じ見解が、一九七二年初出の丸山との対談〈歴史意識と文化のパターン〉、笠原との対論〈絶対主義と闘う相対主義〉でもさらに明瞭な口調で披露されている。 湯川との対論は二篇が収録されている。〈科学と芸術〉は議題を大上段に構えたために論談がやや一般論に傾き、私にはいささか退屈だったが、江戸時代の学者・富永仲基をめぐって交わされた〈言に人あり〉は、物理学者・湯川の別の一面──中国の古典や宗教などに対する関心──がよく出ていて愉しく読んだ。日本の仏教を「加上説」で捉えようとした富永の認識をベースにして、日本の宗教史や科学史が縦横に語られている。 全体をとおして、もともと医学博士として世に出た加藤の幅広い見識が遺憾なく発揮された内容といえるだろう。 本書は昨年ちくま学芸文庫に収められたものだが、原本は一九七三年に刊行された。今や対談集は簡便な本作りの形式としてすっかり定着してしまったが、編集者・鷲巣力の述懐によれば、当時は対談集など出版の邪道との意識が強かったらしく、社内で企画を通すのに苦労したらしい。しかし、そのおかげで政治的に変革機運の高まった時代に一線で活躍していた知識人たちがいかなる考え方や識見をもっていたのか、現代の読者にも手軽に読める形で残されることになったのは悦ばしい。
●島田雅彦編『無敵の一般教養』/メタローグ/2003年11月発行
今や教養主義を否定する身振りはかえってダサいものになってしまった。アンチ教養主義者の言説が単に無教養を露呈しているだけの場合もある。政治や外交の退廃やメディアの偽善を見抜く目——それは「教養」にほかならない——こそが社会に役立つ、と島田雅彦はいう。かくして「一般教養(パンキョー)の出番」となる。本書は「素人が疑問に思っていることに痛快な回答を与えてくれる名物教授」を召喚して、島田雅彦が「講義」を受けた記録である。 登場するのは、松井孝典(惑星物理学)、森浩一(考古学)、足立恒雄(数学)、茂木健一郎(脳科学)、関野吉晴(文化人類学)、田中克彦(言語学)、加藤陽子(近現代史)、筑波常治(農学)の八人。 学問の面白さを素人レベルに引き下げてきて素人にアピールするためには、聞き手は一見馬鹿っぽく振る舞って、学者を巧く乗せなければならない。しかし、ここでの島田は個々の分野についてなまじ教養があったりするので、謹んで講義を拝聴するというよりも、「対論」的なやりとりを展開することとなった。それが書物として面白い結果をもたらしたかどうかはいささか微妙。たとえば茂木健一郎との対論などは二人して意気投合している雰囲気は感じられたものの「脳科学」の面白さはほとんど伝わってこなかった。 また、これは島田のホストぶりとは特に関係ないが、数学者の足立が語る天才教育論などもこれまで幾度となく聞かされてきたありふれた議論でやや退屈した。 それ以外の対話は、ところどころに教授陣の卓見がみられそれなりに面白く読めた。 ……ベーリング海にいちばん近いところに住むチュクチの人とセイウチ狩りに行ったんです。 ……セイウチが体当たりしてくるから怖いんですよ。ボートがひっくり返されて、自分が殺られてしまうかもしれない。要するに、殺れるかもしれないけれども、殺られるかもしれない。あれは本当に生態系の一員としての狩りなんですよ。人間は生態系の一員として暮らしている限りはそれを壊さないんです。でっかい捕鯨船で、自分は絶対殺られることはないという位置で銛を打つのとは、全然違うわけです。 野生動物を殺して食べることは許せないなどといって、でっかい鉄の船で重油を吐き出しながら文句を言ってるやつのほうが、より生態系に悪いし、何より正義づらしているのがぼくは許せない。(関野吉晴、p158) ……(日本語は)ことばというものを成り立たせる二つの対立する原理、一つは、有限個の音によってことばを固定していこうという方向、もう一つは、ことばは音ではなくて、究極的には意味であって、意味を単位にした文字、漢字を維持していこうという方向ですが、その二つの最後の闘争の場、実験の場になるんじゃないかと思っています。 日本語はそういう運命を背負いながら、闘争の場を生きていく。たんに漢字を保持するか否かではなくて、日本語は二つの原理のたたかいの場なんです。(田中克彦、p201) 電話帳はこの世でもっとも分厚い詩集である、とか言ったのは寺山修司だが、人は誰でも想像力を羽ばたかせて、いろんな世界に飛んでいくことができる。電話帳を読んで、詩的感興に浸ることができるほどの想像力を私はあいにく持ち合わせてはいないが、そんな凡人にも、輝きに満ちた別世界へと連れ出してくれる書物は、まわりにあふれている。 「近頃、面白い本がない」というのは、単にその人が面白い本をハンティングする意欲や能力に欠けているからにすぎない。 私が出会った、エキサイティングな本、知的スリルを満喫させてくれた本、新しい地平を広げて見せてくれた本……そんな本たちを、ここに呼び込んでいきたい。 < 前のページ次のページ >
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