人間社会の枠組み自体を変えるもの〜『戦争とは何だろうか』

●西谷修著『戦争とは何だろうか』/筑摩書房/2016年7月発行

b0072887_1927559.jpg 戦争とは何だろうか。本書では、現在の戦争を理解するために世界の状況の変化につれて戦争がどう変わってきたのかを、近代以降にしぼって概観する。いわば近代の戦争史、あるいは戦争という出来事からみた世界近代史といえようか。戦争という行為の善悪をひとまず括弧に入れたうえで、その歴史的変遷を哲学的に検証している点に本書の特徴がある。

 戦争とは何だろうか。この一見素朴な問題提起による歴史的検証は実に奥の深いものであることが読み進むうちにわかってくる。現代の戦争を考えることは同時に主権国家のあり方や法の支配、個人の人権などについて考察することにもつながってくるからだ。

 近代の国民国家が成立して以後の戦争は主権国家同士の戦いとなった。これは重要な論点である。主権国家という以上、まず主権とは何かという問題は避けて通れない。西谷はその問題について以下のように論じている。

 ……では主権とは何なのか? 国内をみずからの課す法秩序に従わせ、その法を守らせるために死をもって罰することができる、そういう権力です。そして同時にその主権は外国に対して戦争を宣言し、その時には自国の兵士に、侵入や破壊や殺害を命じることができる。つまり、主権というのは、内に向けても外に向けても、「殺す」ことができる権力だということです。(p48)

 近代においては戦争の遂行を主権国家のみに認めた。それは全体としては戦争を抑止するシステムにもなった。いわゆるウェストファリア体制といわれるものである。

 主権国家間の戦争では当然ながら国民が戦場に駆り出される。そのことは政治の変化をも促すことになった。国民が生命を賭けて戦う以上は「当然そこに政治的発言権がついてくるように」なるからだ。国民軍による戦争が民主主義台頭のベースになったという西谷の逆説的な指摘は興味深い。

 こうした国家間の戦争は、二度にわたる世界大戦の経験を人類にもたらした。それは単に戦場の拡大ということのみを意味するわけではない。もっと大きくて深い変化である。

 ……「世界戦争」というのは、地理的に拡大しただけでなく、人間世界が丸ごと戦争に呑み込まれるようになる、そういう意味で「戦争が世界化する」と同時に「世界が戦争化する」ということでもあったのです。(p91)

 第二次世界大戦後には国際連合が創設される。しかしながら世界を二分する冷戦の時代という新たな局面を迎える。そこでは大国同士の大きな戦闘は避けられたが、局地的に代理戦争が戦われた。
 冷戦は旧ソ連の崩壊によって自由主義陣営が勝利したかのようにみえたが、その後にやってきたのは平和ではなく、さらなる混沌であった。先進国が「テロリズム」との戦争を行なう時代に入ったのである。いうまでもなくそれを主導したのは米国である。

 カール・シュミットは、主権者とは「例外状態について決定をくだす者」だとしたのだが、「テロとの戦争」宣言はアメリカの「世界の主権者」宣言といえる。もちろん「テロとの戦争」という表現じたいが、アメリカ主導の認識枠組みの典型である。その枠組みが戦争の概念そのものを変えてしまった。国家が対外的に暴力を行使することの制約が取り払われてしまった、と西谷はいう。

 ……「テロとの戦争」で決定的なのは、「殺してもよい人間」という新しいカテゴリーができてしまったことです。(p163)

 本来ならテロの首謀者や実行犯は司法の手続きをへたうえで有罪が確定したのちに処罰されるはずが、「戦争」となれば、そのような手続きなしにその場で「殺してもよい」ことになったのである。西谷はこれを否定的な意味をこめて「画期的なこと」と言明する。

 ……「テロとの戦争」という観念が作られ、それが現実化されて、全世界の主要国がそれを認めた時から、地上には存在を認められない人間、「非人間」という新しいカテゴリーができてしまった。アメリカの指導層が始めた「テロとの戦争」は、そのように根本から「文明」の倒錯に導くものなのです。(p166)

 本書を読むことによって、戦争という概念の変遷は同時に政治・経済から文明の問題にいたるまで基本的な理解の枠組み自体をも揺れ動かしているということが理解できる。その意味では戦争を知るとは人間社会そのものを知ることでもあるだろう。しかし戦争をしなくとも人間らしい社会を築くことは可能なはずである。
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# by syunpo | 2017-05-05 19:35 | 思想・哲学 | Trackback | Comments(0)

他者との共存の作法を探る原理〜『プロテスタンティズム』

●深井智朗著『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』/中央公論新社/2017年3月発行

b0072887_18213173.jpg 禁欲を旨とするプロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神に適合していたという逆説はマックス・ウェーバーの有名なテーゼである。では資本主義の駆動を支えたとされるプロテスタンティズムの倫理とは具体的にどういうものかとあらためて問われて、きちんと答えられる日本人はそれほどいないのではないだろうか。そもそもプロテスタンティズムについて私たちはどれほどのことを知っているのだろうか。

 プロテスタンティズムと一口にいってもその言葉が包含する内容は今では広範で多岐にわたる。元来は「プロテスタント」とは「一五二一年から二九年までに開催された帝国議会で、神聖ローマ帝国の宗教問題の決定に『抗議』した帝国等族(帝国議会で投票権を持つ諸侯、帝国都市、高位聖職者)を指す議事録の言葉、あるいはそこから生まれた侮蔑的なあだ名」であった。それが一般にも普及していったのだが、ここでは「いわゆる宗教改革と呼ばれた一連の出来事、あるいは一五一七年のルターの行動によってはじまったとされる潮流が生み出した、その後のあらゆる歴史的影響力の総称」を指す。結果としてそれはナショナリズム、保守主義、ルベラリズム……などなど実に多様な相貌をもつことになった。本書はそのようなプロテスタンティズムについて初学者向けにわかりやすく概説したものである。

 宗教改革の前史から始まって、ルターがやろうとしたことを跡づけ、ルター以後に出てきたカルヴィニズムや洗礼主義を解説する。さらにドイツの歴史をサンプルに保守主義としてのプロテスタンティズムを論じ、リベラリズムを軸とするプロテスタンティズムの流れをたどる。……というのが本書のあらましである。

 いうまでもないことだが、プロテスタンティズムとは先に紹介したようにマルティン・ルターが創始した宗派というわけではない。ルターは一五一七年に「九五ヵ条の提題」を発表したが、それは議論のための一つの問題提起というほどのものだった。とくに彼が問題視したのは贖宥状の販売だった。贖宥状とは罪の償いが免除されるとして教会が発行した証書で、それが売り買いの対象になっていたのである。

 ルターが考えていたのは教会のリフォームであり、そのための討論を呼びかけた。その提題をただちに大衆が正確に理解し、社会に衝撃を与えたわけではないし、通常ある特定の神学のテクストが突然社会を揺るがすようなことはあり得ない。もちろん知識人のネットワークなどは刺激を受け、動きはじめるかもしれないが、影響はあくまで限定的であろう。(p44)

 しかし時とともにルターの行動の影響は大きくなっていった。もともと当時のヨーロッパは宗教的のみならず政治的にも経済的にも制度疲労をおこしていた時期にあたる。キリスト教が堕落していると考える人はほかにもいた。ルターの行動は、そのような改革の機運が芽生えていたところに「時代の転換のスイッチを押す機会」をとらえたものといえようか。それが宗教改革と呼ばれる一連の潮流を生み出すきっかけとなったのである。

 プロテスタントは当初カトリックとの戦いであったが、改革勢力同士の戦いもやがて始まる。改革を主張していた人々が政治勢力と結びついて安定した地位を得ると、よりラディカルな改革を求める人々との間に対立を生み出したのである。「改革の改革」を主張したものとしては、洗礼主義の運動やスピリチュアリスムスなどがあげられる。

 こうした「二つの二つのプロテスタンティズム」という認識については、深井は神学者エルンスト・トレルチを参照して念入りに紹介している。すなわち、宗教改革の時代のプロテスタンティズムを古プロテスタンティズムとし、そのあとに出てきた「改革の改革」者たちの活動を新プロテスタンティズムと呼んだのである。
 古プロテスタンティズムは、国家や一つの政治的支配制度の権力者による宗教市場の独占状態を前提しているのに対して、新プロテスタンティズムは宗教の自由化を前提としているのが大きな違いだという。

 ……新プロテスタンティズムの教会は、社会システムの改革者であり、世界にこれまでとは違った教会の制度だけでなく、社会の仕組みも持ち込むことになった。それは市場における自由な競争というセンスである。その意味では新プロテスタンティズムの人々は、宗教の市場を民営化、自由化した人々であった。(p117)

 興味深いのは、古プロテスタンティズムはその後、ドイツにおけるナショナリズムや保守主義と結びついていき、新プロテスタンティズムの方はアメリカ大陸においてリベラリズムとの親和性を高めていくことである。

 一八七一年のプロイセン主導によるドイツ統一の時代に入ると、ルター研究の復興がわきおこる。これは「決して純粋に神学的な関心によるものではなく、むしろ国策とそれに呼応した世論の興隆によるものであった」という。

 ……そこで政治的に再発見されたルターの宗教改革は、近代的なヨーロッパの起源であり、近代的自由の思想の出発点であり、ドイツ精神の源流とされたのである。これを「政治的ルター・ルネッサンス」と呼ぶことができるであろう。(p132)

 ルターの思想はナチスにも利用された。ルター派の方も「不遇なヴァイマール期をナチスが終わらせてくれるのではないかという期待を持った可能性がある」と指摘している。

 一方、アメリカ大陸にわたったピューリタンたちのプロテスタンティズムは、彼の地でリベラリズムの担い手となった。新プロテスタンティズムは、国家による宗教の統制に対し、個人の自由な信仰や決定を重視した。そうした彼らの言動は結果としてアメリカのリベラリズムを支える一つの勢力となったのである。

 ちなみに日本に到来したプロテスタンティズムは基本的には新プロテスタンティズムといえるものである。戦後の日本社会にもその影響は少なからず影を落としている。

 ……戦後の日本社会は、本書で見たような新プロテスタンティズムの深層構造を持ったアメリカ社会の影響を排除して成立する社会ではない。経済、政治、文化、学問、どれをとってもそれがよいか悪いかは別としてアメリカの大きな影響のもとにある。そうであるなら、異質で、無関係とも思えるプロテスタンティズムの歴史とその精神を知っていることは、この影響をより正確に理解するのに有用かもしれない。(p199)

 ルターの出来事に始まった、異なる宗派の並存状態やそれゆえに起こる対立や紛争のなかで、プロテスタンティズムは次の問題を考えざるを得なくなった。すなわち「どのようにすれば、異なった宗派や分裂してしまった宗教が争うことなく共存できるのかという問題」である。その問題と取り組んできたこと、これこそがプロテスタンティズムの歴史であるという。
 そうして深井は結論的に述べる。「プロテスタンティズムが現代の社会に対して貢献できることの一つは共存の作法の提示であろう」と。

 プロテスタンティズムの多面的な相貌を簡潔にまとめた本書は、初学者が読んでもわかりやすい記述になっている。その明快さは、著者自身もあとがきに述べているように大胆な簡略化のなせるわざであろうが、入門書とは概してそういうものであるだろう。洗礼主義といった聞き慣れない用語が出てきたりして、一部専門家からは批判らしきものも提起されているようだが、プロテスタンティズムの入門書として読んで損はない一冊だろうと思う。
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# by syunpo | 2017-05-02 18:27 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

最高の権力作用に関する考察〜『憲法改正とは何だろうか』

●高見勝利著『憲法改正とは何だろうか』/岩波書店/2017年2月発行

b0072887_1949084.jpg 日本の国会は衆参両院で改憲派の議員が三分の二以上を超え、いつでも憲法改正案を国民に発議し、国民投票に持ち込むことができる状態になった。本書は憲法を改正するということの法哲学的な意味を考え、現憲法の改正規定の成立過程をたどり、改正手続法の問題点を洗い出し、そのうえで安倍首相の憲法観の危うさを論じるものである。

 前半、憲法を改正するという営みがもつ法哲学的な意味をジョン・バージェスやハロルド・ラスキやらを参照しながら考察するくだりは私にはたいへん興味深いものだった。「改憲とは最高の権力作用である」という言葉は心に刻んでおく命題であるだろう。
 憲法改正による体制転換は正当かという問題については昔から種々の議論があるが、高見は芦部信喜の説を引いて次のように述べている。

 もとより、国民がそのオリジナルな制憲権を行使して憲法を創設する場合であっても、それが「立憲主義憲法」と評しうる憲法であるためには、「人間価値の尊厳という一つの中核的・普遍的な法原則」に立脚したものでなければならない。そして、この憲法をして憲法たらしめる「根本規範」ともいえる「基本価値」が、憲法上の権力である改正権をも拘束する。(p34)

 そのような理路を示したうえで「憲法の永続的性質ないし安定化作用の観点からすれば、憲法改正には限界があるとする」見解が「基本的に支持されるべきである」というのである。

 現憲法の改正規定の成立過程をたどるくだりは、かなり詳細な記述になっていて一般読者には専門的にすぎるかもしれない。とはいえ、国民投票法が長いあいだ整備されてこなかった背景についての分析は明快である。
「政府は、一貫して、憲法改正案とワンセット論で国民投票法の整備を考えてきた」と述べ、「したがって、憲法第九六条の手続の未整備は、憲法の明文改正を意図的に回避し、その解釈・運用で賄ってきた自民党歴代政権のしからしめるところである」と指摘しているのには納得させられた。

 安倍首相の憲法観にはむろん批判的だ。欧米首脳の前では憲法的価値の共有を力説しながら、国内向けには日本精神を基に憲法一新を説く姿勢を「二枚舌」と喝破するくだりはとりわけ舌鋒鋭い。
 全体的にややかったるい読み味といえば失礼かもしれないが、憲法改正を考えるうえでたいへん勉強になる本であることは間違いない。
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# by syunpo | 2017-04-20 19:50 | 憲法・司法 | Trackback | Comments(0)

偽物は本物の対立物に非ず!?〜『ニセモノ図鑑』

●西谷大編著『ニセモノ図鑑 贋造と模倣からみた文化史』/河出書房新社/2016年10月発行

b0072887_1221674.jpg 国立歴史民俗博物館が二〇一五年に開催した企画展《大ニセモノ博覧会─贋造と模倣の文化史!》の展示内容をベースに編集した本。ニセモノ(フェイク、イミテーション、コピー、レプリカなど)の意義や価値を文化史の観点から再考しようという試みである。

 人をもてなすうえで重要な空間だった大家の「床の間」を歴史的に再検証したり、偽文書の時代背景を考察したり、コピー商品の価値を天目茶碗を実例として吟味したり、人魚などの架空の存在を博物学的に振り返ったり……と内容は多岐にわたる。

 全体をとおしてニセモノ文化に対して寛容な態度、という以上に積極的な価値を見出そうとする姿勢が貫かれている。たとえば偽文書の研究をとおして当時の社会状況や時代背景を個別具体的に知ることができるし、博物館におけるレプリカには、実際に見聞することのできない物事を時空を超えて展観できる大きなメリットがあるだろう。

〈本物/偽物〉という旧套な二項対立を相対化・無効化するような論考はジャン・ボードリヤールをはじめこれまでにも提起されてきたので、本書のスタンスに独創性があるわけではない。が、基本的には本物を志向しているはずの博物館の企画展示という点では、冒険的なものであった様子がうかがわれる。そのあたりの楽屋話も後半に披瀝されていて興味深い。

 いささか散漫な印象は拭えないが、写真やイラストなどビジュアル素材がふんだんに掲載された作りは「図鑑」の名にふさわしく、楽しい本であると思う。
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# by syunpo | 2017-04-14 12:28 | 文化全般 | Trackback | Comments(0)

アナーキー!?な魅力に満ちた絵本〜『穴の本』

●ピーター・ニューエル著『穴の本』(高山宏訳)/亜紀書房/2016年4月発行

b0072887_18214158.jpg 絵本を開くと、文字どおりページの真ん中に穴があいている。トム・ポッツくんが銃をいじくって誤って発射してしまい飛び出したたまがあけた穴。たまはだいじなフランス時計をうちくだき、壁を突き抜けて台所のボイラーをうちぬき、ブランコのつなを切り、自動車、画家の絵、水そう……と次々に貫通していく。

 そのために、シュミットじいさんのパイプが割れたり、ディック・バンブルの麦のふくろに穴があいて麦がこぼれおちたりする。その一方で、ナシの木の枝が折れてその下で待っていた少年がナシをたくさん手に入れたり、ネコに襲われそうになっていたネズミが逃走できたり。

 たまはそうして地球を一周する勢いだったのだけれど、菓子づくりをしていたニューリウッドの奥さんの家のがっしりした氷に当たってしまい、おとなしくぺしゃんこに。あらゆるものを貫通して進んでいたたまが、最後にぺしゃんこになるというエンディングはなんだか示唆に富んでいる。

 ところで訳者の高山宏によれば、本には「おもちゃ本」「遊び本」と呼ばれるジャンルが以前から存在する。ポップアップ・ブックはなかでもよく知られているが、ほかにも本の中でページを折らせてみるなどいろいろな仕掛けがほどこされた本が作られてきた。「絵本の魔術師」といわれるピーター・ニューエルの手になる本書もそうしたジャンルに連なるものといえるだろう。

 さらに高山は「本は大切なもの」という規範が確立し本が大人の文化の象徴になった現代の知のあり方に対しても、本書をもって相対化せんと試みる。むろんそれもまた大人の見方・読み方であることを高山は充分に自覚しているのだが。

 それにしてもこうした絵本をみていると、本の「モノ」性を強く意識させられる。電子ブックの利便性は否定すべくもないが、「おもちゃ本」のような仕掛けは紙の本によってこそ可能になるからだ。紙の本に強い愛着感をアピールする物書きは未だに少なくないけれど、本書のような絵本に触れると郷愁ではなくもっと積極的な意味でモノとしての本の可能性を考えたくなる。何はともあれ、高山宏が翻訳するだけのことはある、大人が読んでも愉しい絵本にちがいない。
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# by syunpo | 2017-04-12 18:23 | 絵本 | Trackback | Comments(0)