入試問題でアクチュアルに歴史を学ぶ〜『「超」世界史・日本史』

●片山杜秀著『大学入試問題で読み解く 「超」世界史・日本史』/文藝春秋/2016年12月発行

b0072887_1128141.jpg 日本思想史を専攻する片山杜秀が歴史の大学入試問題に挑戦するという企画。編集部選りすぐりの記述式問題に片山が回答の方針を述べた後に専門家の模範解答が示され、その後にまた片山が解説を加えるという形式である。選ばれた入試問題は全部で二十三問。〈世界史〉〈中国史〉〈日本近代史〉〈昭和の戦争〉〈戦国時代〉の五つに章分けされて紹介されている。片山が問題を解いていく過程がそのまま歴史の学習に役立つという仕掛けで、問題に対する論評もスパイスがきいていて面白い書物に仕上がっている。

〈世界史〉では、二〇世紀につくられた国際機構(国際連盟と国際連合)に関する一橋大学の問題に違和感を表明しているのがおもしろい。国際連盟は「何もないところから、第一次世界大戦のあまりにも悲惨な結果を反省した国々が、ウィルソンの理念に共鳴して、集まってできた」ものだが、国際連合の方は第二次大戦の連合国を母体とする。入試問題では両者ともにモスクワ宣言で打ち出された理念を具現化する国際機構として想定、出題しているのだが、片山は「連合国の意向でできた国際連合を平和を求める人類の善意でできたかのよう」に考えるのは「錯誤」であると問題そのものに対して疑義を呈するのである。

〈中国史〉における科挙に関する問題に関連して、中国を手本にした日本が科挙を導入しなかった理由について解説しているくだりも興味深い。「能力主義は身分制や地縁・血縁の論理とは相性が悪く、それを排除しようとする傾向があります。ですから、科挙官僚の批判の矛先は、貴族だけでなく、世襲で君臨している天皇に向かった可能性があります」と片山は推論している。

 日本史関連では「統帥権の独立」の解釈が政治的対立の重要な争点となった事件(ロンドン海軍軍縮会議における統帥権干犯問題)の解説に片山らしさがはっきりと出ている。かねてからの持説である「未完のファシズム」問題の一端に論及しているからだ。
 当時、軍政と軍令は分離されていたが、これは明治憲法の権力分立思想の一面を示す仕組みでもあった。片山の見方によれば、統帥権干犯問題は軍政と軍令が分かれていたことに起因する。明治憲法下の権力分立による統治機構は総力戦時代には適合せず、権力の一元化を旨とするファシズム国家にはついになりえなかったというのが片山の「未完のファシズム」論である。

 このほか、昨今の欧州とイスラム圏との対立の根源に遡らせて十字軍遠征について答えさせる慶応義塾大学の設問と解説も骨太の歴史認識を問うもので勉強になったし、中国共産党と中国国民党との関係を問う問題なども現在の日中関係を考えるうえでは参考になるものだろう。

 片山の歴史観が時に強く押し出された本書の記述には賛同できない点もなくはないけれど、「アクチュアルに歴史を学ぶ」には恰好の新書であることは間違いない。
[PR]
# by syunpo | 2017-04-08 11:30 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

透明な膜が俺たちを包む〜『ビニール傘』

●岸政彦著『ビニール傘』/新潮社/2017年1月発行

b0072887_2036829.jpg『断片的なものの社会学』で話題を集めた社会学者の初の小説集。芥川賞の候補にもなった表題作に加えてもう一篇〈背中の月〉を収録している。鈴木育郎の撮った街の写真をふんだんに使って何とか一冊の本にしたという印象なきにしもあらずだが、ふだん小説を読まない人にも手にとってもらいやすい雰囲気をつくりだしているともいえるだろうか。

〈ビニール傘〉は大阪の片隅に住む若者たちの群像を複数の視点から描き出す。タクシー・ドライバーの男、ビルの清掃作業員、コンビニ店員、部品工場で働く派遣社員、解体屋の飯場で働く男……。視点が矢継ぎ早に切り換わっていくスタイルはやはり断片的ともいえる。が、読みすすむうちに彼らと交流のある女性は相互に関係しあい、あるいは人物そのものが重なっているかもしれないという図柄が浮かびあがってくる。あえて明瞭に描かない暈した書き方をしているのは最初から作者が意図したものであるだろう。

 沈滞する大阪を慈しむような岸の筆致には共感するし、大阪弁の会話も楽しい。困難な今を生きようとする若者たちのすがたにもある種のリアリティを感じることはできる。これが文学作品として傑作かと問われれば答えに困るかもしれないけれど、読者の想像力にゆだねる余地をいくつも残しているという点では当然のことながら『断片的なものの社会学』にもまして良い意味で文学的である。

〈背中の月〉は妻をなくした男の心象風景を描いていて表題作に比べるとシンプルな構成を採っている。全体的にやや感傷的な雰囲気が支配していて私はあまり好きになれなかったが、夫婦の何気ない会話などに作者一流のさりげないヒューモアやペーソスが宿っていて捨てがたい味わいがあることも確かだと思う。
[PR]
# by syunpo | 2017-03-29 20:50 | 文学(小説・随筆) | Trackback | Comments(0)

書物を読みながら、走りながら、考えたこと〜『時局発言!』

●上野千鶴子著『時局発言! 読書の現場から』/WAVE出版/2017年2月発行

b0072887_1214758.jpg 本書は上野千鶴子が毎日新聞や熊本日日新聞などの読書欄に発表したコラムを書籍化したものである。通常の書評とは違って「同じ主題のもとに複数の本をまとめて論じるというスタイル」を採っているのが特徴。主題によっては上野自身が学者という立場を超えてアクターとして運動に関与している場合もあるので、アクチュアルな「時局発言」的な内容を含むものとなった。

 そんなわけで「書物を読みながら、走りながら、書いた」という文章がテーマ別に七つの章に括られ収録されている。〈社会を変える〉〈戦争を記憶する〉〈3・11以降〉〈格差社会のなかのジェンダー〉〈結婚・性・家族はどこへ?〉〈障・老・病・異の探求〉〈ことばと文化のゆくえ〉。

 何よりもブックガイドとして有益であると思う。民主主義について、憲法について、原発について、格差社会について、結婚について、介護について、……様々な角度から様々な人々の活動に目を配りながら、道標となりそうな書物を提示している。

 3・11の経験から語りおこして、マリー・キュリーの次女エーヴ・キュリーが著した『キュリー夫人伝』を紹介し、小林エリカの小説『マダム・キュリーと朝食を』や『光の子ども』へと話を展開したり。
 斎藤環の『オープン・ダイアローグ』を取り上げて「終わりのないオープンエンドのプロセス」と指摘したあとに、ハーバーマスの熟議民主主義を想起したり。

「自殺稀少地域」を調査した本として岡檀の『生き心地の良い町』に言及しているのも興味深い。自殺稀少地域の特徴は「もともと移住者の多い地域であること、いろんなひとがいて、つながりがゆるく、集団同調性が低く、好奇心は強いが飽きっぽい……などの発見を疫学的エビデンスとこくめいなフィールドワークから明らかにしていく」というのだ。読んでみたくなる批評文である。

 フェミニズムに関しては、盟友・岡野八代の著作を紹介している一文が印象に残った。近代リベラリズムの個人観は「個人的なことは個人的である」だったが、フェミニズムは「個人的なことは政治的である」という命題に言い換えた。そのように言明して、そうした文脈で岡野の『フェミニズムの政治学』を賞賛する。その理論的貢献は「公的領域」のジェンダー中立性神話を崩すことにあったという。

 あるいは岸政彦の『断片的なものの社会学』。「現実は『解釈されることがら』よりも、もっと豊かであることに、あらためて気づかせてくれる」と評してその読書の快楽へといざなう。そして社会学者としての心構えを再確認するのだ。

 社会学者とは、自分のなかよりも他人のなかに謎があると感じて、そのもとへ赴くおせっかいな職業だ。膨大な資料や記述を目の前にして、「で。それで?」という問いに立ちすくむ。だからむりやりつじつまを合わせるのだけれど、つじつまの合わないことがたくさんとりこぼされることを覚えていなければならない。そして自分が書いたものよりももっとたくさんの書かなかったことを、覚えておこうと思う。(p192)

 このほか加藤周一の著作をめぐる随想や「石牟礼道子、ことばの世界遺産」と題したコラムも素晴らしい。先頃、中日新聞に発表したインタビュー記事が批判を浴びたのは未だ記憶に新しいが、本書に関しては知に関する良き水先案内の書として意義深い本であるといっておこう。
[PR]
# by syunpo | 2017-03-25 12:03 | 書評 | Trackback | Comments(0)

他者への想像力をきたえるために〜『「今、ここ」から考える社会学』

●好井裕明著『「今、ここ」から考える社会学』/筑摩書房/2017年1月発行

b0072887_2032337.jpg『排除と差別の社会学』『戦争社会学』などの著作で知られる好井裕明による社会学の入門書である。ちくまプリマー新書の一冊。

 導入部で六人の社会学者を紹介しているのが本書の良き羅針盤となっている。行為の社会性に注目したマックス・ウェーバー。相互行為に焦点をあて闘争の社会学を論じたゲオルグ・ジンメル。「構造」という視点から秩序や道徳を考えたエミール・デュルケーム。主我(I)と客我(me)のダイナミクスによる自己の形成を考えたジョージ・ハーバート・ミード。「日常生活世界」を再発見しそれを重要な課題としたアルフレート・シュッツ。互いに差異をもった「人々の方法」論としてエスノメソドロジーを提唱したハロルド・ガーフィンケル。

 本書のタイトル「今、ここ」はシュッツの日常生活世界に拠る。ただし本書の解説を読んでも、その意味や画期性は私には今ひとつ理解できなかったのだが。

 この世界は、私という人間存在を中心として空間的、時間的に位相を変えて構成されています。そしてその世界のゼロ点であり、意味を生きている私の存在を確認できる原点が「今、ここ」という瞬間なのです。(p36)

 この箇所に限らず全体を通して理念やお題目が先行していて、私にはいささか退屈な読み味だったというのが正直なところ。
 スマホを中心とするIT時代の考察も紋切型の域を超えているとは思えないし、障害者の問題に関してもとくに異論はないものの優等生的な記述がつづき、私的には社会学の醍醐味を充分に感じるまでには至らなかった。

 考えてみればすぐわかるように、私たちが普段生きているとき、具体的に出会う人々よりも出会わない人の数の方が圧倒的に多いのです。とすれば出会わない人々と自分が「今、ここ」で生きているとはどういうことなのかなどを考え、「見たことのない、会ったことのない他者」が同じ時間を生きていることへの想像力を鍛え他者理解のセンスを磨くことは、けっこう面白い営みではないでしょうか。(p189)

「今、ここ」と「会ったことのない他者」とをいかにつなげて考えていくのか。口でいうほど簡単なことだとは思えないが、具体的にそれを思索し実践するのは読者自身ということなのだろう。
[PR]
# by syunpo | 2017-03-23 20:36 | 社会学 | Trackback | Comments(0)

日常生活の実践として〜『デザインの教科書』

●柏木博著『デザインの教科書』/講談社/2011年9月発行

b0072887_20112238.jpg 本書が論じている「デザイン」はかなり幅広い射程を有している。辞書には「作ろうとするものの形態について、機能や生産工程などを考えて構想すること」(スーパー大辞林)などの語釈が記されているが、ここでの対象は「ものの形態」にとどまらならい。そこから展開を広げて生活様式や思考方法なども含み込もうとする。もちろんそのような捉え方は柏木博の独創ではなく、今では多くの人が共有している認識ではあるだろう。

 二〇世紀のデザインは近代社会の出現によって提案されたものである。モダンデザインの特徴として柏木は四つの点を挙げている。「経済的計画」「人々の生活様式を新たなものにする提案」「普遍的=ユニヴァーサル」「消費への欲望を喚起する」である。

「経済的計画」の代表的な例として、フォードが始めたベルト・コンベア方式の生産がある。これはその後、住宅をはじめ様々な分野に適用されることとなった。デザインによる生活様式の提案は、ウィリアム・モリスやバウハウスなどがその先鞭をつけたものだが、バックミンスター・フラーによる「ダイマクション・ハウス」などによって発展していった。

 デザインの普遍性という点では、建築家ミース・ファン・デル・ローエの「ユニヴァーサル・スペース」というコンセプトが有名。グラフィック・デザインでも、その名のとおり「ユニヴァーサル・タイプ」と命名された文字が一九二五年に登場した。二〇世紀後半にはマーケットの論理によって「消費への欲望を喚起するデザイン」が優先されるようになった。

 以上のような概説をおこなったうえで、柏木はクロード・レヴィ=ストロースを引いて、計画的なモダンデザインにはない「器用仕事(ブリコラージュ)」の可能性を語ることも忘れない。
 さらには、フェリックス・ガタリの『三つのエコロジー』を参照しつつ、環境的エコロジーのみならず社会的・精神的エコロジーに言及している点など、柏木の知見もまた領域横断的である。

 デザインを考えることは、ものと人間の関係をどう考えるのか、あるいはものともの、人間と人間の関係をどう扱っていくのかということを考えることだともいえるだろう。(p176)

 つまり本書にいうデザインとは人間生活全般に関わる営みということになる。その意味では、よくデザインするとはよく生活するということなのかもしれない。余談ながら本書は東日本大震災の直後に刊行された新書だが、それにことさら狼狽えることなく淡々とデザインについて考察している姿勢にも好感をいだいた。
[PR]
# by syunpo | 2017-03-19 20:17 | デザイン全般 | Trackback | Comments(0)