ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
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〈アジア主義〉の再考と再興〜『愛国と信仰の構造』

●中島岳志、島薗進著『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』/集英社/2016年2月発行

b0072887_19133225.jpg 愛国心と信仰心が暴走したあげく戦争へと突入していった戦前日本の全体主義。それは戦争の直前に突然湧き起こってきたものではない。同じ轍を踏まないためには、明治維新まで遡って日本の宗教と国家デザインの変遷を考えるべきではないか。これが本書の基本認識である。そこで国家神道や国学的思想だけでなく、親鸞思想、日蓮主義など仏教諸派から派生した考え方が戦前戦中の国家主義と親和していった背景が検討に付される。

 興味深いのは、近代日本の歴史百五十年を第二次世界大戦を境にして七十五年で区切ることができ、それをそれぞれ二十五年単位で分けると三つの時代区分になるのだが、それが似通った変化を遂げているという見方だ。ゆえに戦前戦中の分析は今後の日本社会の行く末に関して大きな示唆を与えてくれることになるはずである。

 中島は、戦前に極端なナショナリズムに走った人々のタイプとして「煩悶青年」と呼ばれる若者像に着目する。石原莞爾は煩悶の末に日蓮宗系の国柱会会員となり、日本の軍国主義を背景に満州事変を起こした。三井甲之は親鸞主義の国家主義者となった。「煩悶青年たちは『自分探し』の果てに宗教と出会」い、そのうちの一部は超国家主義的なテロリズムへと走っていった、という見立てである。島薗は中島の分析を補強したり修正したりしながら「愛国」と「信仰」の構造を見極めるべく話を展開していく。

 ただ、前半でそのような歴史的考察を行なった後に今後の展望や処方を提起していく段になると、対話は陳腐な様相を呈してくるのが残念。中島は従来の保守思想の能書きを繰り返す発言がめだち、対する島薗も世俗政治での腐敗や失敗に起因する社会の閉塞状況の打開をもっぱら宗教に求めようとする。宗教学者とはいえいくらなんでも視野が狭すぎるだろう。宗教的な中間共同体の復興をともに唱えている点も本書の文脈ではあまり賛同できない。

 中島はさらに結語的にアジア主義の再編を提起し「多一論」なる概念を導入して相対主義の克服を目指すのだが、同時にそれは言語化できないとも述べている。机上の空論とまでは言わぬまでも抽象論の域を出るものではないだろう。柳宗悦の思想を一つの可能性として名指しするところもパッとしない。

 また、全体主義の体制からもはみ出した過激なテロ行為も全体主義の文脈で論じられていて、議論をいっそう粗雑なものにしている。日本が望ましからぬ方向へと急速に進んでいるという現状認識は私も共有するけれど、二人の対話はいささか尻すぼみで退屈だった。
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by syunpo | 2016-04-28 19:35 | 思想・哲学 | Trackback | Comments(0)

現代社会を考えるための〈読む事典〉〜『ナショナリズムとグローバリズム』

●大澤真幸、塩原良和、橋下努、和田伸一郎著『ナショナリズムとグローバリズム 越境と愛国のパラドックス』/新曜社/2014年8月発行

b0072887_18544335.jpg ナショナリズムとグローバリズムを理解する上で重要な用語を集めた「読む事典」。大澤真幸ら四人の研究者が分担執筆しているのだが、内容的には玉石混淆だ。

 大澤が書いた〈ネイション/ナショナリズム〉〈国語〉〈テロリズム〉などの項目はさすがに読ませる。たとえば「ナショナリズムの普及は、しばしば、古代史や考古学のブームとともに始まる。中世はほとんど問題にされていなかった『歴史』という学問が、ヨーロッパの大学で中核的な講座としての地位を獲得するようになり、次々と大歴史学者が産まれたのは、フランス革命が終わって、ヨーロッパでナショナリズムの嵐が吹き荒れていた、十九世紀の中盤以降のことである」(p24)という指摘にはなるほどと思った。

 それに対して他の執筆者の文章は総じて冴えない。グローバリゼーションに関連して多文化の共存という問題が根底に横たわる項目では、いささか優等生的な記述が目立ち、私にはちと退屈だった。
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by syunpo | 2015-05-24 18:57 | 思想・哲学 | Trackback | Comments(0)

近代性と現実主義に立つテロ国家!?〜『イスラム国』

●ロレッタ・ナポリオーニ著『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』(村井章子訳)/文藝春秋/2015年1月発行

b0072887_21223054.jpg 二〇一四年六月、イラクとシリアの両国にまたがって急速に勢力を拡大してきたイスラム過激派の一組織が「イスラム国」と称してカリフ制国家の樹立を宣言した。
 人質殺害の映像をネットで公開するなど、その残虐性を隠さないばかりか戦略的に広報しているテロ組織が一定の領土を確保し、世界から兵士を集めることができるのは何故なのか。イスラム国と戦うためには、やはりその背景についての考察が必要となる。この〈カリフ制国家〉の本質は「数十年に及ぶ欧米の政治および中東への介入と深くむすびついている」のだ。

 本書の著者は、北欧諸国政府の対テロリズムのコンサルタントを務め、各国の元首脳らが理事に就いている民主主義のための国際組織の対テロファイアンス会議の議長にもなっている人物。

 イスラム国は何よりも「サイクス=ピコ協定」の終焉をうたっている。それは第一次世界大戦中にイギリスとフランスによって締結された秘密協定で、戦後のオスマン帝国の領土分割を定めたもの。この協定よって中東地域には人為的な国境線が引かれた。イスラム国はそのような欧州が勝手に決めた国境線の無効を主張しているわけである。

 欧米の専門家の多くはイスラム国をタリバンと同じ時代錯誤の組織だと考えているが、著者の認識は異なる。イスラム国が「先行するどの武装集団とも決定的にちがう点は、その近代性と現実主義にある」という。
 シリア内戦やイラクの混乱による政治の空白を巧みに利用し、新しい地域支配者を名乗るにいたった経緯をみると、グローバル化・多極化した世界において大国が直面する限界を明確に理解していたといえる。

 イスラム国がその残虐性を戦略的に示している一方で、国家を建設するための政治的パフォーマンスにも注目すべき点が多々ある。領土をとり、石油を確保して経済的に自立する。領土征服後には住民の承認を得ることにも熱心。道路を補修し、食料配給所を設け、電力を安定的に供給し、ポリオの予防接種まで行なっている。また高度な会計技術を使って財務書類を作成する労も惜しまない。

 イスラム国を過去の歴史と照らし合わせるとき、いくつかの類似点を先例に見出すことが可能である。
 イスラム国の考える国民国家とは、同一民族で構成されるだけでなく、民族と宗教を共にする国家である。この点はイスラエルに似ている。
 また著者はローマ建国をも想起して次のように述べている。

 これ(=イスラム国)と同じように野心的な国家建設プロジェクトは、じつは過去にもあった。全近代的な部族社会でなされたその建国プロセスもまた完全に武力に依存していたし、超自然的な権威によって正統性を誇示し、失われた黄金時代への郷愁を喚起しようとした。それは、ローマの建国である。(p96〜97)

 イスラム国の広報戦略はどうか。「国家としての正統性を主張するために『イスラム国』が使った手法は、じつに皮肉で逆説的なことに、アメリカに倣ったものだ」と指摘する。

 ナポリオーニは、そうした考察をおこなったうえで「外国の軍事介入が中東の不安定化の解決にならないことははっきりしている」と明言。この新しいパワーに対抗するには、戦争以外の手段を模索すべきである、という。
 事態の進展に合わせて緊急に出版されたもののようで、やや荒削りな記述であることは否めないが、イスラム国の背景を理解するうえでは有益な本といえよう。
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by syunpo | 2015-05-15 21:23 | 国際関係論 | Trackback | Comments(0)

イスラーム経済の唯物論的擁護〜『緑の資本論』

●中沢新一著『緑の資本論』/集英社/2002年5月発行

b0072887_2214767.jpg 中沢新一が侮れないのは、そんじょそこらの学者とは違って、それなりに話芸に秀でていることだ。その当否はともかくとして、面白い説を組み立てる構想力にはやはり非凡なものがある。本書は最後の一文を除いて、米国で発生した九・一一同時テロを契機に綴った文章を集めたものだが、いずれも中沢らしい柔軟な着想で興味深く読んだ。

 タイトル論文の「緑の資本論」は、著者自身の言葉をそのまま記せば「一神教の原理を唯物論的に擁護しようとする試み」である。
 マックス・ウェーバーは、プロテスタンティズムの世俗内禁欲という倫理観が資本主義を発展させる原動力となったことを論述したが、中沢はイスラーム経済に資本主義批判、経済学批判をみようとする。
 九・一一同時テロの発生以降、政治学者や社会学者は数々の論文を提出してきたけれど、イスラームの原理から世界経済に言及した論考というのは、やはりユニークな試みというべきではなかろうか。

 イスラーム的一神教は「タウヒード」の論理に貫かれている。タウヒードは、アラビア語で「ただ一つとする(一化する)」を意味する。そこでは増殖性の危険につながるような一切の誘惑が排除される。経済学的にいえば「利子(利潤)の発生を倫理的禁止とという形を通して抑制しようと試み」られてきたということになる。そこで「無利子銀行」のようなイスラーム特有の実践がなされることとなった。ユダヤ教やキリスト教が、必ずしも利子の概念を否定しなかったのとは対照的である。それはとりもなおさず、利子(利潤)を基礎とする資本主義と対立する考え方であった。
 本文では、マルクスの『資本論』やマルセル・モースの贈与論などが引用され、かなり立ち入った考察が繰り広げられていて、生半可な読解力では太刀打ちできないことを言い添えておこう。

 エピローグとして綴られているスーク(バザール)の話がイスラーム経済を理解する一助となる事例だろう。ハーン・ハリーリーのスークにおける香水商は、ありとあらゆる種類の香水を用意して、多様な欲望をもってやってくる顧客のニーズに逐一応えようとする。「どこかの工場で大量生産されたまったく同じ商品を、違った欲望を抱いてスークにやってくるお客様に押しつけることなどは、商人の道に外れたいかがわしい行為」と考えられる。

 資本主義にとっての「他者」は、この地球上にたしかに実在する。イスラームはわれわれの世界にとって、なくてはならない鏡なのだ。(p124)

 また、冒頭に収録されている「圧倒的な非対照」も独創的な文章だ。
 テロリズムと狂牛病をパラレルな現象として捉え、宮沢賢治の作品やサハリン島・アムール河流域に伝わる神話を引きながら「富める者」と「貧しい者」に引き裂かれた今日の「非対称」的な世界に警鐘を鳴らしている。
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by syunpo | 2007-11-14 22:19 | 思想・哲学 | Trackback | Comments(0)