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日本の政治にも影響を与え続ける!?〜『ヒトラー演説』

●高田博行著『ヒトラー演説 熱狂の真実』/中央公論新社/2014年6月発行

b0072887_197252.jpg ナチスが権力を掌握するに際しては、ヒトラーの演説が大きな役割を果たしたといわれる。本書は、ヒトラーが四半世紀に行った演説のうち合計五五八回の演説文を機械可読化して総語数約一五〇万語のデータを作成し、それらを分析してまとめた労作である。著者は近現代ドイツ語史の研究者。

 ヒトラー自身、「語られる言葉の威力」の大きさを力説していたらしい。「人を味方につけるには、書かれたことばよりも語られたことばのほうが役立ち、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な書き手ではなく偉大な演説家のおかげで拡大する」と。マルクス主義が一年で一〇〇万人もの労働者を獲得できたのも、大部の著作によるものではなく「何十万回もの集会」のおかげだとヒトラーは考えたのである。

 それではヒトラーの演説のいかなる点が人々を魅了したのだろうか。高田はヒトラーが多用したレトリックをいくつか挙げている。対比法、平行法、交差法、メタファー、誇張法などだ。それらはいずれも弁論術の理論にかなったものである。

 また高田はヒトラーが好んだ語句をいくつか指摘している。たとえばナチス独裁への足がかりを築いた全権委任法の審議では「国民革命」というキーワードを使うようになった。大がかりな軍事行動が始まると「平和」の語句を頻用するのもヒトラーの特徴であった。味方陣営を「われわれ」で包括する語り方によって、連帯感を形成する説得法も活用した。

 ヒトラーの活躍した時代は選挙が頻繁に行なわれたが、度重なる選挙戦はヒトラーの声帯を酷使した。そのため、ヒトラーはあるオペラ歌手から極秘裏に、発声法だけでなく、キーワードの抑揚の付け方やジェスチャーの仕方まで指導を受けたという挿話も興味深い。

 そしてもう一つ重要なのは、テクノロジーとメディアを積極的に利用したことである。大きな会場におけるマイクとラウドスピーカーの使用。外国メディアへの露出。移動に飛行機を使った遊説も当時としては新しいスタイルだった。さらに移動可能な大規模集会装置としての自動車キャラバン隊を編成したのもいかにもナチスらしいといえるかもしれない。

 ヒトラーの演説を分析することによってナチスドイツの政治手法を浮かび上がらせた本書は、ドイツの近現代史を知るうえでの有力な参考文献の一つとしてリストアップされることになるだろう。読みすすむうちに、そういえば極東の島国にも似たようなことをやっている政治勢力がいるなぁと思ったのは私だけではあるまい。それは偶然なのか。それとも意識して「手口」を真似ているのか。
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by syunpo | 2017-10-17 19:15 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

公平公正な議論のために〜『メディアに操作される憲法改正国民投票』

●本間龍著『メディアに操作される憲法改正国民投票』/岩波書店/2017年9月発行

b0072887_2044317.jpg 憲法改正をめぐる議論が現実味を帯びてきた。国会で改憲発議がなされると国民投票が行なわれる。しかしながら現行の憲法改正国民投票法には致命的な欠陥がある。投票運動期間中の広告規制がほぼ存在しないのだ。そのような欠陥が具体的にいかなる事態をもたらすか。

 大手広告会社の博報堂で営業マンとして活躍した本間龍によるシミュレーションは具体的である。公明正大な熟議を行なうにふさわしい情報環境からはほど遠い状態になることが予測されるのだ。

 改憲派にはまず国民投票の日程を決定できるというアドバンテージがある。それを逆算して早い段階から広報宣伝戦略に着手することが可能だ。政権与党が改憲発議をするわけだから、当然、政党助成金や企業からの献金など財力も護憲派に比べ豊かである。

「国民投票運動広告」はテレビCMは投票日の二週間前から放送禁止となるが、「意見広告」に関する禁止条項はない。最低六〇日間以上の長期にわたり、あらゆる手段で有権者に届けられる広告は予算がある方が絶対に有利。マーケティング技術は日々進化している。宣伝広告による働きかけが投票結果を大きく左右することは間違いないだろう。

 とくに電波メディアにおける広告資金量や発注タイミングの差は、圧倒的な印象操作を生む危険性が否定できない。これは国民投票が目指す公平で自由な投票を妨げる大問題であると本間は指摘する。

 国民投票の長い歴史をもつ欧州各国では、当然ながら国民投票に関して種々のメディア規制を敷いている。イタリア、フランス、イギリス、スペイン、デンマークなどではテレビスポットCMを原則禁止しているのは要注目。またフランスでは、賛成・反対両派の広報活動を監視する第三者機関が設置されるという。

 ……欧州の主要国でテレビのスポットCMが軒並み禁止されている事実は、テレビCMという宣伝媒体の怖さを十分に物語っていると思われる。各国がそれぞれの国民投票における歴史の中でテレビCM規制の必要性を感じ、同じように規制の網をかけている意味を、日本でも十分に検討する必要がある。(p44)

 そこで本書では以下のような提案がなされている。

(A)あらゆる宣伝広告の総発注金額を改憲派・護憲派ともに同金額と規定し、上限を設け国が支給する(キャップ制)。
(B)テレビ・ラジオ・ネットCM(電波媒体)における放送回数を予め規定し、放送時間も同じタイミングで流す。もしくは同じ金額と規定する。
(C)先行発注による優良枠独占を防ぐため、広告発注のタイミングを同じとする。
(D)情報内容や報道回数、ワイドショーなどでの放映秒数などで公平性を損なわないよう、民放連に細かな規則を設定させ、違反した場合の罰則も設ける。
(E)宣伝広告実施団体(政党・企業)の討論・ワイドショー・報道番組等へのスポンサード禁止。
(F)意見表明CMも投票日二週間前から放送禁止とする。インターネットのポータルサイトなどでも同様とする。
(G)いちばん高額であり、視聴者、民放各社にさまざまな影響を及ぼすテレビCMを全面禁止とする。

 私は何よりも(G)を是非実現してほしいと考える。細かいルールを作って細かいチェックをするくらいなら、いっそ欧州の主要国並に全面禁止にするのが最も明快だろう。この規制が行なわれるだけでもかなり落ち着いた公明正大な議論の土俵ができあがるのではないかと思う。

 本間はかつて『原発プロパガンダ』で日本のマスメディアと国民がいかに原子力ムラの広報宣伝戦略にしてやられたかを描きだした。フクシマでの事故によって皮肉にもようやく私たちはその悪夢のようなプロパガンダを冷静に相対化する契機を得た。憲法改正のような重要な問題で再び「『カネの力』による報道の制圧」を受けるような事態を迎えるのは愚の骨頂というべきだろう。

 なお本書の内容は、ジャーナリストの今井一が主宰し、著者のほか田島泰彦、井上達夫、堀茂樹、南部義典、宮本正樹、三宅雪子らで構成する「国民投票のルール改善を考え求める会」よる検討を経て得られた知見をもとにしている。
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by syunpo | 2017-09-23 20:10 | メディア論 | Trackback | Comments(0)

安全神話から安心神話へ〜『原発プロパガンダ』

●本間龍著『原発プロパガンダ』/岩波書店/2016年4月発行

b0072887_18581915.jpg 日本のような地震大国で多くの国民が原発推進を肯定してきたのはなぜなのか。その背景には電気料金から得た巨大なマネーを原資に、日本独特の広告代理店システムを駆使して実現した「安全神話」と「豊かな生活」の刷り込みがあった。本書は原発推進のための一方的な情報の流布を「原発プロパガンダ」と定義し、その実行主体と協力者、その手法と事例を解説したものである。著者は博報堂に勤務した後、フリーで活動している著述家。

 電力業界の広告には二つの意味がある。ひとつは原発の安全性や原発誘致のメリットを訴える、文字どおり広告としての役割。今ひとつは、報道を統制するための手段である。すなわち「平時における電力会社の広告出稿は、常に原発政策はバラ色ですと報道してもらうための『賄賂』であり、事故などの有事の際は、出稿引き上げをちらつかせてメディアに報道自粛を迫る『恫喝』手段に変貌する……」。

 原発に批判的な報道を行なったメディアへの原子力ムラの攻撃は徹底したものだったという。たとえば青森放送が六ケ所村の核燃料サイクル施設の建設をめぐって分断される地元の苦悩を描いた番組は業界では高い評価を得たが、それゆえに原子力ムラからは執拗な弾圧を受けることになった。最終的には社長の退陣に加えて、番組の制作母体であった報道制作部の解体にまでおよんだ。財政基盤の弱いローカル局が大スポンサーの電力関連企業や原発推進官庁からの圧力に屈した例はほかにも紹介されている。

 ところで原発プロパガンダの内容をみると、福島原発の事故以前と以後とでは大きな相違がみられる。事故前は、原発の安全性を訴えることが主眼となっていた。事故後は「原発が停止すれば大停電が起き、日本経済が破綻する」というキャンペーンに切り替わった。しかし停止しても何も起きなかったので、その後は事故の深刻さを伝える報道や発言を「風評被害を発生させる」と叩いたり、健康被害を否定するなどの「ダメージ緩和」、輸入資源の高騰で国際収支が赤字となっている現状を訴えて「エネルギーベストミックスによる原発必要論」を前面に押し立てる作戦にシフトしてきている。

 ボランティアの協力を得て行なったリサーチをもとに原発プロパガンダの実態を可視化していく本書の記述はなかなかに説得的である。とくにメディア業界全体に大きな影響力をもっている電通や博報堂にも批判の刃を向けている点は特筆ものだろう。

 広告とは本来、企業と生活者の架け橋になって豊かな文明社会を築くのに貢献するはずの存在だった。が、いつのまにか「権力や巨大資本が人々をだます方策に成り下がり、さらには報道をも捻じ曲げるような、巨大な権力補完装置になっていた」と本間は痛切にまとめている。現政権による言論統制はあらゆる分野に及びつつあるから、これまで以上に国民にはメディア・リテラシーが求められる世の中になった。その意味でも本書のような具体的な検証はまことに意義深いといえよう。岩波新書らしい力作。
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by syunpo | 2016-07-28 19:00 | メディア論 | Trackback | Comments(0)