ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
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印象派と日本美術的な感性〜『モネのあしあと』

●原田マハ著『モネのあしあと 私の印象派鑑賞術』/幻冬舎/2016年11月発行

b0072887_18235110.jpg 本書はアートを主題にした作品で知られる作家の原田マハの講演記録に加筆修正したもの。モネに魅せられた原田がモネの魅力を存分に語っている。個人的なモネとの出会いの回想にはじまって、モネの生涯、彼が生きた時代の背景、印象派の美術史的な意義づけなどを要領良く解説していく。

 話の内容は、日本の浮世絵からの影響やチューブ入り絵の具の開発と風景画との関連など、毎度おなじみのもので特に斬新な視点が打ち出されているわけではない。ただ個展というスタイルの展覧会を始めたのがニューヨークにおけるモネ展だったというのは初めて知った。

 原田は「草や花を、命が宿っているように」描いている点に日本人との共通の感覚を見出し、「ひょっとしたらモネが感じ取って作品に表現しようとしていることを、私たちはモネ以上にキャッチしている、そんなふうに思えてならないのです」と締めくくっている。印象派絵画の日本での人気はよく指摘されるところだが、睡蓮を一つのモチーフとして描いたモネはことのほか日本人の感性と親和性が高いといえるのかもしれない。

 末尾にはモネを収蔵するミュージアムについての一覧も付されており、実際的な情報も含まれている。初心者にとってはモネ鑑賞の指南書として有益な本といえるだろう。
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by syunpo | 2016-12-22 18:32 | 美術 | Trackback | Comments(0)

人間の営みを結びつける架け橋〜『虹の西洋美術史』

●岡田温司著『虹の西洋美術史』/筑摩書房/2012年12月発行

b0072887_1131443.jpg 虹は西洋の絵画史において繰り返し描かれてきた。神話や宗教の恰好の題材となってきたと同時に、気象学や光学、色彩学、生理学など諸科学によって解明される対象でもあった。「虹はまさに、神話と宗教と科学と芸術という、人間の主要な営みを結びつける架け橋なのである」。

 美術史的にみると絵画に描かれる虹は様々なことがらを象徴したり暗示したりしてきた。その変遷をたどると、なるほど人類が真理と美をめぐって試行錯誤してきた歴史の一端が浮かびあがってくるようにも思われる。

 ノアの方舟をモチーフにした絵に登場する虹は「繰り返される天災に直面した人間の、救済への願いと希望を象徴している」という。
『黙示録』の虹は、神々しくてかつ畏怖の念を抱かせるもの、神秘的でかつ驚異に満ちあふれているものとしてあらわれる。虹が崇高なるものと結びつくようになるのは、主に十八世紀のロマン主義においてであるが、その起源のひとつは黙示録的な虹のイメージにあった。

 ギリシア・ローマ神話のなかに出てくる虹の女神イリスは、天上と地上を橋渡しする存在であり、絵画にもたびたび描かれるところとなった。またルネサンスの時代には虹は芸術の霊感源でもあった。
 肖像画にも虹はあらわれる。エリザベス女王の肖像画に描かれた虹は権力のシンボルであり、ルイ十四世の公妾の肖像画に描かれた虹は美とはかなさの象徴といえる。

 ルーベンスの《虹のある風景》は、色の基本原理を示すものであったと同時に人間の歓びや幸福、自然の恵みの象徴でもあった。
 イギリスの風景画にあらわれる虹はどうであろうか。たとえばターナーにとって虹は、詩人ワーズワースにとってそうだったように、自然の神秘と力と美しさの象徴である。しかし反対に空しさやはかなさの象徴ともなった。

 刻々と変化する陽光の効果を生の色彩によってとらえようとした印象派の作品には意外と虹を描いたものはかぎられているらしい。「印象派の絵においては、画面の全体がいわば虹のような効果を醸し出しているため、あえて虹そのものを描こうという発想にはならなかったのではないか」という。

 二十世紀の前衛的絵画でも虹は重要なモチーフになっている。カンディンスキーやマルクの作品群においてそれは顕著である。

 虹は古来より天上と地上、見えない世界と見える世界、精神的なものと物質的なものとを結びつけてきた。二十世紀の前衛画家カンディンスキーやマルクが革新的な手法によって好んで描きだした虹には、それにもかかわらず、こうした虹の伝統がしっかりと息づいているように、わたしには思われる。(p194)

 ところで、虹の色は美術史上の最初期には三色に描かれた。アリストテレスの『気象論』における虹の記述が後世まで多大な影響を与えたものと考えられる。その後、ニュートーンは『光学』において光の七つのスペクトルを提起した。これを受けて、たとえばアンジェリカ・カウフマンの《絵画》の虹は七色に描かれることとなった。

 美術と科学とは常に影響や刺激を与えあってきた。それは虹の描き方ひとつとってみてもうかがうことができる。そうして画家たちは虹に託して人間世界の様々な様相をとらえようとしてきたのである。
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by syunpo | 2016-12-11 11:07 | 美術 | Trackback | Comments(0)

四人の画家たちの美しい物語〜『ジヴェルニーの食卓』

●原田マハ著『ジヴェルニーの食卓』/集英社/2013年3月発行

b0072887_1922025.jpg アンリ・マティス、エドガー・ドガ、ポール・セザンヌ、クロード・モネ。天才画家たちを題材にしたフィクション作品が四篇収録されている。

〈うつくしい墓〉はマティスの家政婦をしていた女性が新聞記者のインタビューに答えるという形式で、天才画家の姿を彫琢していく。ピカソとの交友が物語の核を成していて、二人の好対照のキャラクターの描写(「冬のひだまりと夏の真昼ほどに違うふたりの芸術家」!)が巧み。またマティスの静物画のモチーフとしても知られる白いマグノリアの花が鍵となるアイテムとして何度もあらわれ、自分の部屋の中の小物の配置まで細かく気を配っていたという挿話も興味深い。

〈エトワール〉は、ドガとモデルとなったバレエの踊り子との特異な関係を、米国出身の女性画家メアリー・カサットの視点から描出する。カサット自身が画家として生きていくうえでなめなければならなかった辛酸を含め、印象派黎明期の苦難にも触れられていて、文字どおり印象深い短編である。

〈タンギー爺さん〉はゴッホの描いた肖像画にも名を残すタンギー爺さんとセザンヌの関係をモチーフにした作品。タンギー爺さんの娘がセザンヌに送った書簡というスタイルをとる。セザンヌだけでなく当時の若い画家たちをタンギー爺さんが物心両面で支えていたことを物語る挿話が散りばめられていて、愛すべき爺さんの人間像が浮かびあがる。

 表題作〈ジヴェルニーの食卓〉では、モネと義理の娘ブランシュの数奇な運命を軸に、生涯にわたって光と格闘した画家の栄光と苦悩を描き出す。時制が行きつ戻りつする構成は、モネ一家とブランシュ一家の複雑な関係を叙述するにふさわしい。モネの「アトリエ」へ一緒に出かけ創作を助けたブランシュ。モネのパトロンだった元首相のクレマンソー。モネと彼を支えた人々に温かい光があてられたような一篇。

 誰もが知る画家たちの史実をベースに、文学的イマジネーションを働かせて人物たちの心の機微にまで分け入っていく筆致はなかなかのもの。美術館勤務の経験もある作家の持ち味が遺憾なく発揮された短編集といえるだろう。なお本書は二〇一五年に同じ版元によって文庫化されている。
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by syunpo | 2016-07-26 20:04 | 文学(小説・随筆) | Trackback | Comments(0)

内発的発展のもとに〜『グローバリゼーションの中の江戸』

●田中優子著『グローバリゼーションの中の江戸』/岩波書店/2012年6月発行

b0072887_19295084.jpg つい一昔前まで、江戸時代とは「鎖国」の時代であり、その社会のあり方は閉鎖的としてネガティブに論じられることが多かった。しかし、そうした見方は一面的という以上に、かなりの謬見を含んでいることがその後の研究によって明らかになってきている。そもそも「鎖国」なる用語は江戸時代の公式文書に使われたことは一度もない。

 本書ではロナルド・トビの『「鎖国」という外交』など歴史学の成果に立脚しながら江戸時代の日本を国際社会との関連によって、すなわちグローバリゼーションの中に位置づけて見ていく。

 たとえばファッション。着物は日本独特のものではない。その形は中国から来て東アジア諸国と共有し、その文様や技法はインドを含めたアジア全体と共有している。あるいは美術。印象派に日本の衣類や道具類、庭のデザイン、浮世絵が大きな影響を与えたことはよく知られている。その浮世絵じたいは中国版画の影響を受けて発展してきたと考えられている。日用品に関しても、陶磁器や眼鏡などは世界市場との関わりのなかで普及するようになった。

 また江戸時代の出現をグローバルな視点から分析するくだりにも蒙を啓かれた。豊臣秀吉の朝鮮出兵によってアジアで孤立を深めた日本は、江戸時代に大きな外交の転換をはかろうとした。「鎖国」というイメージとは反対に、江戸時代こそがようやく本格的なアジアとの外交が始まった時代と田中は指摘する。

 ……日本は、江戸時代になると初めて、東アジアで中国・朝鮮・ヴェトナムと対等になろうとしました。それも軍事的な力によるものではなく、文化・文明の高さと技術力において、対等になろうとしたのです。江戸時代の平和主義、官僚機構の整備、インフラ整備、治安の良さ、教育水準の高さは、そのような幕府の姿勢によって徐々に作られたもので、努力によって積み上げられたものです。(p157)

 また鉄砲の伝来が戦国時代の終焉をはやめたことはよく言及されることだが、本書ではさらに鉄砲を自国生産するようになったことに象徴的な意義を見出している点は興味深い。つまり(銀生産などの)資源で生きられなくなった日本は世界に存在する技術産品を自ら作ることができるようにすることで生き残りをはかったのである。

 江戸期日本は閉鎖的というよりも国際社会のアクターとして、諸外国との間で相互に影響を受けたり与えたりしていた。しかもそれを内発的に為していたことは注目に値する。江戸時代に様々な問題点のあったことは確かだが、よく言われる日本の島国的・鎖国的な発想というのは、江戸時代にはまったくあてはまらないことがよくわかる。岩波ジュニア新書〈知の航海〉シリーズの一冊だが、大人が読んでもおもしろく勉強になる本だ。
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by syunpo | 2015-05-01 19:37 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

明暗の対比にみる絵画史〜『フェルメールの光とラ・トゥールの焔』

●宮下規久朗著『フェルメールの光とラ・トゥールの焔──「闇」の西洋絵画史』/小学館/2011年4月発行

b0072887_18395436.jpg 西洋絵画は中世の終わり頃から一貫して光と闇の対比の効果を追求してきた。ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが確立した革新的な「闇」の表現。バロック絵画の先駆者カラヴァッジョによる光と闇のドラマを経て、ラ・トゥールやレンブラントらの静謐な光と闇の描写へ。そこからさらにフェルメールは闇を払拭する白昼の光をそのまま結晶させたような美の世界に到達した。その後につづく印象派になると戸外の明るい陽光を写し出して華やかな色彩が画面を彩るようになった。

 以上のように宮下規久朗は西洋絵画史の流れを「光/闇」という視点で手際よくまとめてみせた。小学館ビジュアル新書の第二弾だが、本文で言及されている約七〇点の作品がカラー図版で掲載されているのが何より好ましい。編集者の労にも拍手をおくりたい。
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by syunpo | 2011-08-10 18:55 | 美術 | Trackback | Comments(0)

競売人による新たな美術史〜『印象派はこうして世界を征服した』

●フィリップ・フック著『印象派はこうして世界を征服した』(中山ゆかり訳)/白水社/2009年7月発行

b0072887_19211569.jpg ドガ、ルノワール、モネ、ピサロ……フランスの十九世紀後半に始まった印象派は今日、美術作品の「ブランド」として押しも押されもせぬ地位を築いている。しかし、当初はまったく受け入れられなかったばかりか、画家たちにはしばしば「精神異常者」「無能者」「アナーキスト」などの罵詈雑言が浴びせられた。

 そんないかがわしい前衛芸術の一つにすぎなかった印象派絵画がいかなる経緯で世界的に認められるようになったのか?
 本書は、絵を観る人、買う人たちが印象派をどのように受け止めてきたのか、その受容のしかたがこの百数十年のあいだにどのように変遷してきたのかをあとづけたものである。著者はクリスティーズとサザビーズという二大オークション会社の競売人として経歴をつみ、画商としても活躍した英国人。

 フランス本国では強い反発をもって迎えられた印象派を先駆けて評価したのは米国でありドイツであった。米国には生来のフランス贔屓と若い国に特有のセンス、すなわち芸術的偏見が少ないという背景があった。また国の富が急激に増加している時期にあたり、巨額のアメリカン・マネーが印象派絵画の購入を可能ならしめた。ドイツにあっては、急進的で反帝国主義的な政治的心情が印象主義と結びついた。ナチスは印象派を認めなかったが、その経済的価値については充分に理解していた。

 第二次世界大戦の後、一九五〇年代になると美術市場は活況を呈するようになるが、なかでも印象派絵画の価格は劇的に上昇した。印象派以降に生まれたモダンアートのおかげで、印象派の「親しみやすさ」が相対的に浮かびあがってきたことに加え、古い時代の絵画とは違って真贋論争に巻き込まれるリスクが少ないというメリットのあったことも見逃せない。

 印象派絵画は富豪層のステータスシンボルとなり、その傾向は世界的規模に拡大する。芸術的嗜好のグローバリゼーションはオークション会社の台頭とともに加速した。それはまた米国の世界的な文化覇権の確立を背景としたものでもあっただろう。エリザベス・テイラーがオークションでモネの絵を落とし、ニューヨークの海運王がルノワールの作品を落札する……。
 こうして印象派の絵画を「多額の金銭と同一視する見方」は大衆の意識のなかにも根をおろすようになった。バブル期の日本ではもっぱら投機的な理由から印象派の絵画が購入され、しばしば外国から非難を浴びたが、その傾向はすでに六〇年代後半の欧米において芽吹いていたといえる。

 「二十世紀後半の社会では、芸術は新しい宗教である」(p212)というフィリップ・フックの記述は、文脈こそ異なるものの、アカデミズムの立場から書かれた松宮秀治の『芸術崇拝の思想』と奇しくも重なりあう。印象派はその主題が睡蓮やカフェなどきわめて日常的・庶民的なもので、聖書や信仰の世界から切り離されたものであったのに(それ故に当初は軽視された)、いつのまにか新たな〈宗教〉の中心に祭り上げられてしまったようだ。

 絵画市場という資本主義のただ中を生きてきたビジネスマンの手になる書だからといって侮ってはいけない。これは美術史に新たな視角を与えてくれる実に面白い本である。
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by syunpo | 2009-12-24 19:40 | 美術 | Trackback | Comments(0)