ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
by syunpo
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
検索
記事ランキング
最新の記事
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
マーラーが死の前年に書き..
from dezire_photo &..
経済成長がなければ私たち..
from 天竺堂の本棚
『せつない(新訳 チェー..
from 施設長の学び!
カール・マルクス『ルイ・..
from 有沢翔治のlivedoorブログ
愛国の作法
from 蔵前トラックⅡ
雑考 自由とは何か④
from 読書メモ&記録
東浩紀 『クォンタム・フ..
from 身近な一歩が社会を変える♪
純粋に哲学の問題だ「ベー..
from 夕陽の回廊
バーンスタインのミュージ..
from クラシック音楽ぶった斬り
memento mori..
from 試稿錯誤
タグ
ブログジャンル

タグ:古墳 ( 4 ) タグの人気記事


普遍的な概念でストーリーを語る〜『げんきな日本論』

●橋爪大三郎、大澤真幸著『げんきな日本論』/講談社/2016年10月発行

b0072887_1957078.jpg 今や講談社新書の名物コンビとなった橋爪大三郎と大澤真幸の対談シリーズ第三弾。テーマは日本史である。時流に媚びたような書名にはあまり共感できないが、ここにいう「げんき」とは「自分なりのストーリーを見つけること」。具体的には「普遍的な概念をもって説明」することで「科学的な検証にたえる」ようなストーリーを再発見するという意味らしい。
 社会学者二人による議論なのであくまで「仮説」の提起というレベルにとどまるものの、歴史の読み物としてそれなりにおもしろいことは確かである。

 全体を古代・中世・近世に対応する〈はじまりの日本〉〈なかほどの日本〉〈たけなわの日本〉と三部構成にしたうえで、それぞれに六つの問題を配して二人が語りあっていくというスタイルをとる。

「なぜ日本では、大きな古墳が造られたのか」を考える一章では、「余剰労働を『非軍事的に消費する』こと自身が、目的だったのでは」と推察したり、平安時代における古典文学の成立によって「日本という文化的空間の、アイデンティティ(自己同一性)が揺るぎないものになった」といった橋爪の発言はなるほどおもしろい。

 承久の乱の画期性を指摘するあたりの議論も勉強になったし、戦国大名は統治権が伝統に基づかないという橋爪の指摘を受けて「日本史上初めて出現した事実上の政府」と大澤が受けるやりとりも異論はありそうだが、興味深く読んだ。

 安政の不平等条約について「条約の内容は不平等かもしれないけれども、条約という形式は、両者の対等性を前提にしている」という認識にもなるほどと思う。二人の認識によればこの条約のおかげで日本の独立が保障され、ヨーロッパ列強による植民地化を免れたということになる。

 日本史学の専門家であればもっと精緻な議論が求められるだろうが、専門外の気楽さから自由闊達に仮説を披瀝している点に良くも悪くも本書の特質があるといえるだろう。
[PR]

by syunpo | 2017-02-24 20:01 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

信仰のテーマパーク!?〜『日本人はなぜ富士山を求めるのか』

●島田裕巳著『日本人はなぜ富士山を求めるのか 富士講と山岳信仰の原点』/徳間書店/2013年9月発行

b0072887_13104928.jpg フェイスブックにはよく富士山の写真が投稿される。東京と大阪を頻繁に往復しているビジネスマンたちが新幹線や飛行機から撮った写真をお披露目するのだ。銭湯の壁画といえば富士山が定番だし、葛飾北斎の描いた富士山は日本人なら誰もが印刷媒体で一度は見たことがあるだろう。

 昔も今も富士山は日本人にとって特別に思い入れの深い山。富士山に対する人々の言動は、日本で一番高い山という以上の引力を感じさせる。いったい富士山の何が私たちを引きつけるのか。本書は信仰や文化の観点からその問題を考えるものである。

 著者によれば、富士山には日本人の宗教観が凝縮されている。日本人は富士山を拝むことで様々な「御利益」を引き出そうとしてきたのである。もっとも信仰のあり方は時代とともに変遷をとげてきた。

 富士山にまつわる信仰の歴史は中世にまでさかのぼる。富士山はまず修験道の山として開拓された。修験道とは仏教をもとにしながら神道の要素を含んだ宗教で、日本独特の神仏習合の信仰から生まれたものである。日本には山の数だけ修験道の道場があるといわれているが、富士山もそのひとつだ。

 神道には救済という概念がないが、修験道は個人が修行を積むことによって救済されるという考えが基本にある。富士山における修験道は「水垢離」や「みそぎ」など、水を修行の手段として活用されてきた。富士山一帯は降水量が多く、火山砂礫に水が染みこんで地下に集まり、斜面を移動して裾野に湧き出しているので、その場所が水の聖地として巡礼の対象となったのである。

 江戸時代になると「富士講」が庶民の信仰を集めるようになった。彼らは富士山の山頂を目指すだけでなく、噴火でできた溶岩洞窟「人穴」や「富士八海」と呼ばれる霊場をまわった。こうした信仰の中心になったのが浅間神社である。これは富士山そのものがご神体であるという古くからの考えにもとづく。

 当時は伊勢参りも盛んだったが、興味深いことに伊勢志摩から富士参りに来る人たちが非常に多かったという。「伊勢参りをする人たちには、一生に一度の伊勢参りという思いがありましたが、伊勢志摩の人たちにとっては、一生に一度の富士参りの方がはるかに価値が高かったのです」。

 富士講の隆盛はさらに富士塚を生み出すことになった。江戸からは富士山がよく見えたが、登るにはあまりにも遠かった。そこで富士山が見える丘や古墳を利用して富士塚をつくり、そこにお参りすることで、富士山に参拝する代わりとしたのである。各地に富士見町や富士見坂の地名が伝わっているのはその名残だ。

 庶民の信仰の基本はご利益信仰である。そのため、宗教施設の側は、神社であれ寺院であれ、そこに参拝すればいかにご利益があるかを強調する。富士山でも各種の仕掛けが施された。
 たとえば今でも行われる「胎内巡り」。船津胎内樹型と吉田胎内樹型が世界文化遺産の構成資産に含まれているが、これらは流れ出た溶岩が樹木を覆い、そのまま固まってしまったもので、樹木は燃え尽きてしまうものの、樹木の型だけが残ったもの。内側の形が胎内に似ていることから、その名がついた。富士講の信者は富士山に登る前に胎内巡りをしたという。胎内巡りは安産祈願であるが、母の胎内をめぐることで信者は生まれ変わりの体験をすることにもなる。

 近代以降には、富士山の麓で多くの新宗教が生まれた。創価学会は富士山と密接な関係があるし、扶桑教は富士講にはじまる神道系の新宗教である。三保の松原のある三保半島には、かつて国柱会という日蓮主義の宗教団体の本部の建物があった。

 富士山をめぐる信仰や霊感の内容は様々であるが、人々は富士山を仰ぎ見ながら時には誇りの源泉をそこに見出し、時には芸術的なインスピレーションを得たりした。二〇一三年、富士山が世界文化遺産に登録された際の正式な登録名は「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」である。本書は「信仰のテーマパーク」として存在してきた富士山についてコンパクトに論じた面白い本といえるだろう。
[PR]

by syunpo | 2016-05-21 13:12 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

東西南北に走る奔放な視線〜『大阪アースダイバー』

●中沢新一著『大阪アースダイバー』/講談社/2012年10月発行

b0072887_2155466.jpg 中沢新一が語る大阪は地元文化人が語る凡百のお国自慢とは一味違う。「戯れの虚物(こしらえもの)」とみずから断わりながら、歴史学はもとより人類学や哲学の知見を参照して紡ぎ出される大阪地誌は祝祭的なイカガワシサに充ちている。本書の面白味はもちろんこのイカガワシサが醸し出すものに相違なく、そこに眉を顰めるような生真面目な読者はハナから中沢本など読まぬが花、他の学術書でもひも解くがよろしかろう。

 中沢はまず大阪の上町台地に沿って南北に走る軸を「アポロン軸」、太陽に移動に沿って東西に走る軸を「ディオニュソス軸」と呼ぶ。前者は権力の観念に関わり、後者には生と死の循環をめぐる観念がまつわりついている。アポロン的な政治的権力の威厳の表現として、たとえば古墳群が残された。一方、東西の軸線の最初の発見者は中沢によれば海民・渡来民たちである。彼らの子孫・末裔たちは商人的な自由空間を形成するのに貢献した。この異種の二つの軸に基づく思考法が「たがいに混じり合うことなしに、垂直に交わりながら、一つの大阪という世界を形成していった」というのが中沢の基本的な見立てである。

 それにしても大阪という都市の見えない奥に横たわる抽象的な仕組みをアースダイバー的に探り当てていこうとする中沢の姿勢は良くも悪しくも自由闊達。
 河内音頭における俊徳丸神話を語るに、ハイデッガーを引用してその神話的骨格を浮かび上がらせる。かと思えば、聖徳太子という象徴的存在から日本人の生み出した最初の偉大な弁証法的思想を取り出す。「縁」と資本主義の関係を概説したあとに超無縁社会の見事な典型を船場の伝統に再発見し、しかるのちにナニワ商人の「信用」概念にプロテスタント型信仰をアナロジカルに見出してマックス・ウェーバーをパロディ化してみせる。マラルメの詩句を引いてエンタツ・アチャコの漫才の神秘を語り、晩年はチェスばかりしていた芸術家・マルセル・デュシャンには修羅の棋士・阪田三吉を重ね合わせる……という具合だ。

 後半、俯瞰から虫瞰的な観察へと視線を切り換えたあとの筆致は細密さを付加したぶん、おちついた感じになるが読者を弛れさせることはない。生業による差別の問題や黒門市場の成立過程の描出は網野善彦の知見を下敷きにしながらも中沢らしい想像力が発揮されているし、環濠都市・堺の自治精神や岸和田のだんじり祭を分析したくだりも愉しく読んだ。
[PR]

by syunpo | 2013-05-22 21:21 | 地域学 | Trackback | Comments(0)

認知考古学の試み〜『列島創世記』

●松木武彦著『列島創世記』/小学館/2007年11月発行

b0072887_1792117.jpg 小学館が出している〈全集 日本の歴史〉シリーズ全一六巻のオープニングを飾る一冊。旧石器時代から縄文・弥生を経て古墳時代に至るまでの時代、文献資料が乏しいためもっぱら考古学にその研究が委ねられている時期が対象となる。

 本シリーズに先駆けて刊行された講談社の〈日本の歴史〉シリーズでは、本書の後半部に該当する時代を扱った寺沢薫の『王権誕生』(二〇〇〇年刊行)が標題どおり古代列島における政治の覇権争いと稲作の伝来・普及をめぐって記述の多くを費やしていることを思えば、本書の多角的な叙述は松木の視野の広さのみならず、日本考古学の日進月歩の歩みをも感じさせて、まことに興味深い。

 とはいえ本書から得た印象をざっくりいえば、先端の考古学の面白さと同時にいくばくかの疑問をも感じずにはいられなかった。話題の認知考古学の手法を導入しているのが売りの著作なのだが、正直なところ認知考古学なるものの真価は本書を読んだかぎりでは今一つよくわからない。

 認知考古学とは何か。ヒトの心の現象を科学的に分析する「心の科学=認知科学」の成果を考古学に採り入れたものだという。著者によれば、それは「歴史科学の再生」のために導入される。在来の考古学では科学的な叙述を行なうには限界がある、ということなのだろうか。もっとも松木は認知考古学の科学性をアピールするのに、冒頭ではすでに命脈が絶たれたと思しきマルクスの史的唯物論をやり玉にあげ、まとめの部分では文献史学の限界を指摘している。

 最近、朝日新聞に掲載されたインタビュー記事で松木自身が「警察の捜査に例えると考古学の発掘は“鑑識”で、心理学に近い認知考古学は“プロファイリング”」と解説しているのを読んで、本書の消化不良感の所以が理解できたように思った。鑑識結果は容疑者の特定にも起訴後の公判維持にも貢献するが、プロファイリングとは推論でしかなく役に立つのは犯人逮捕まで。それじたいは科学的知見に基づいてはいても裁判での証拠としては使えない。

 さて、本書が描く認知考古学的方法による先史時代像のクライマックスの一つは〈美的モニュメント〉の代表例とみられる壮大な前方後円墳の出現をもたらした、その根本的要因を探るくだりであろう。
 松木は力をこめてまず次のように述べている。

 旧石器時代からの四万年の列島史のなかに古墳を位置づけたり、列島の古墳が世界でも最大級の規模を誇るまでになった要因を説き明かしたりするためには、さらに大きく視野を広げ、心の科学を武器にして、ヒトとモニュメントとの関係を分析することも必要だ。(p318)

 そうした視野から分析した結論は以下のようなものだ。

 日本列島に、美的モニュメントの典型のひとつといえる巨大前方後円墳が現われたもっとも根本的な要因、ないし人類史的な理由は、文字が本格的に使われるようになる以前に社会の格差が先行して進んだために、人工物の知覚を通じてそれを合理化する必要性がどこよりも著しく高まったからだろう。(p322)

 神話や史書によってみずからの地位を権威づけたり、法制による統治を目指したりするような、文字をもとにした情報による支配の制度が未熟だからこそ、美的モニュメントのような人工物に多大の労力を注ぐ必要があったとする松木の分析は説得力を感じさせる。

 ただ疑問に思うのは、このような叙述は松木がいうように本当に「認知考古学」という「武器」の導入をもって初めて可能になったものなのかどうか、ということだ。失礼ながらこの程度の分析なら、大仰に「認知科学」を引っぱり出してこなくとも、在来の社会科学的知見だけで充分書ける内容ではないかと思う。
 同じことは前半で縄文式土器の脱機能的な「凝り」をめぐって展開される文化論・コミュニケーション論的な分析にもいえる。

 もっとはっきり言ってしまおう。認知考古学の看板がかえって記述の混乱をまねいている箇所もみられる。
 たとえば、弥生時代中期の終わりから紀元前後に各地に増えた高地性集落をめぐるヒトの心の変化を述べたくだりだ。この時期に人びとが高所への興味を強めた根本的要因は「やはりヒトの心の中に探るべきだろう」(p249)との認識を示して、以下、その考察にすすむ。

 高いところが醸し出す心の現象は二つある。
 一つは、高所からの眺望がもたらす空間認識の客観性。二つめは「上下」の関係性の体感が社会的な序列や不平等と結びつくという事象である。
 以上二つの現象から、高所願望の根本的要因として「正しい空間認識や地理情報への社会的要請が強まっていたこと」「『上・下』の関係をはらむ世界観が、社会の階層化と連動しつつ人工物に演出されようとしていたこと」を指摘するのである。
 だとするなら、話はそこで終わるはずはない。「正しい空間認識や地理情報への社会的要請が強まったのは何故なのか」「上・下の関係をはらむ世界観が、社会の階層化と連動しつつ人工物に演出されようとしていた社会的背景は何なのか」という新たな問いがただちに提起されるはずである。実際、松木自身もその問いに答えるべく考察を深めていく。
 その結果、大陸からやってきた鉄器の普及に代表されるように「生産や生存を支える物資を、海や陸を越えた遠いところから取り寄せなければならない」状態が到来した、という生存条件の変化を指摘するに至る。
 つまり、弥生時代中期の人びとが高所への関心を高めた要因には、彼らの心に変化があったことは疑えないが、別にそれが「根本的」なのではない。そのような心の変化を促す社会の変化があったということが決定的に重要なのであり、それこそが「根本的要因」というべきだろう。

 無論、この一連の考察には論理的破綻はない。ただ、松木が前提的に「ヒトの心の中」を過大評価しているにすぎない。したがって「人びとが高所への興味を強めた根本的要因は、やはりヒトの心の中に探るべきだろう」という趣旨の認知考古学(というよりも心理学)を意識したフレーズを削除しさえすれば、ここでの叙述の整合性がとれるのだ。

 ちなみに前述した寺沢薫の著作では、高地性集落出現の背景については鉄器との関連から見る説を斥けてもっぱら軍事的必要性が強調されている。今回、松木は明らかにそうした異論への再批判を企図したものと思われる。ただ従来どおりの説を繰り返すだけでは芸がないので「認知科学」的な視点を加えて理論武装をはかったところが、空回りしてしまった、というところだろう。
 いずれにせよ、松木が本書において安易かつ頻繁に用いている「根本」「本質」の語句には注意を要する。

 以上をまとめあげていえば、著者自身が「プロファイリング」(=推論)であることを自認している方法をもって、先史時代の出来事の「根本的な要因」を探ろうとしたり、「科学の再生」を図ろうとしている方法的矛盾に加えて、その分析内容じたいも必ずしも斬新さを感じさせるものではない、ということだ。
 新しい学問領域の旗を掲げるためには、それなりのパブリシティが必要なことは察するけれど、それにしても叙述のあちこちから松木の気負いが伝わってきて読んでいて息苦しくなった。

 もちろん参照できる知見があれば、どこからでも引っぱってくれば良いと思う。考古学が考古学の枠組みに縛られなければならない理由などあろうはずはない。今やあらゆる学問は他の学問から知恵を借りる時代、学際的研究が志向される時代なのだから。
 実際のところ、松木は明記していないだけで、本書の記述に限ってもホッブズの自然状態=社会契約説の古代版という趣の推論があったり、文化人類学的な知見と通底する叙述があったりするのだ。
 その意味では、松木がことさら認知科学のみに固執する必然性もないだろう。必要以上に「ヒトの心」を強調するあまりに、もともと唯物論的な科学として営んできたはずの考古学が凡庸な観念論に侵食され、かえって曖昧化しかねない危うさを本書からは感じてしまった。
[PR]

by syunpo | 2010-04-07 12:10 | 歴史 | Trackback | Comments(0)