ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
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民意を反映しないことの意義〜『代表制という思想』

●早川誠著『代表制という思想』/風行社/2014年6月発行

b0072887_20261.jpg 代表制民主主義の機能不全。今や多くの人が政治を考えるときに実感していることだろう。だが本当に代表制は民主主義の真価を発揮できない仕組みなのか。本書の答えは「ノー」。代表制民主主義は次善策や必要悪ではない。直接民主主義にはない特徴がある。本書は代表制論における豊富な議論の蓄積を参照しながら、その積極的な意義や役割を考察するものである。

 代表制への不信感を背景として主張されてきたものに首相公選論と熟議民主主義論がある。前者は魅力的な代表者のリーダーシップによって、後者は政治に積極的にかかわる市民の存在によって、曖昧な民意にかたちをあたえようと試みるものである。しかし問題も多いし乗りこえるべきハードルも高い。

 それらに対して代表制は「代表と市民という二重の主体を用意することによって、民意の多様性に対応しようとする」制度にほかならない。言い換えれば「単なる民主政ではなく、一種の『混合政体』になっていること」にひとつの特徴がある。それは「優れた者を選出するという貴族政的な機能を、有権者の判断によって民主的にコントロールすることができるということ」である。

 そもそも民主主義にとって、市民の意志の反映は重視されるべき事柄の一側面にすぎない。ウルビナティは代表制の役割は「意志」というよりも「判断」の領域に働きかけることにある、と考えた。意志とは現在の定まった意見であり、判断とは個々の人びとの意志が議論や行動を通じてやりとりされ変化していくなかで必要とされるものである。

 代表者は有権者の意志を受けとりはするが、それでも代表者は有権者自身ではない。ルソーの言葉にしたがえば、「意志というものは代表されるものではない」。だからこそ、代表は判断の領域に踏み込むことができる。しかも、意志をそのまま表現するわけにはいかないからこそ、齟齬の解消のために民主的な議論が喚起され、活発な政治参加の必要も生じてくる。(p193~194)

 代表制の特質は、そして代表制の意義は、直接民主制と比較して民意を反映しないことにあるのであり、民意を反映しないことによって民主主義を活性化させることにあるのである。(p194)


 著者の指摘する代表制の民主的性格と非民主的性格の両義性は、そのまま本書の記述をアクロバティックなものにしている印象もなくはないが、いずれにせよ代表制を直接制の代替策として捉えるのではなく、並列的に考えようという主張は傾聴に値するだろう。政治学の研究者にとっては常識の範疇に入る説であるとしても、私にはとても勉強になった。

 ただし「代表は代表であることそれ自体によって総合的な視点と判断力をもつように強いられる」といった認識などはやはり理念レベルでの話にとどまるのではないか。現実の政治に目を向ければ「総合的な視点と判断力」を持っているとは思えない政治家が数多く存在していることは否定できまい。本書における理論的な代表制擁護論が現行制度に不満を抱いている読者を納得させることができるかどうかはいささか微妙である。
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by syunpo | 2015-03-12 20:06 | 政治 | Trackback | Comments(0)

規範と経験の間の政治理論〜『熟議の理由』

●田村哲樹著『熟議の理由 民主主義の政治理論』/勁草書房/2008年3月発行

b0072887_1920951.jpg 中央集権的な国家による社会・政治秩序の制御が困難となった時代における原理として熟議民主主義(Deliberative Democracy)を再検討する。これが本書のコンセプトである。
 一般に再帰的近代化の時代において政治理論家が提唱する民主主義の有力な規範的モデルとしては、他に闘技民主主義がある。熟議民主主義が理性的な合意形成とその過程における「選考の変容」を重視するのに対して、闘技民主主義は政治における対立の局面を重視する。田村は闘技民主主義理論の成果をも参照しながら熟議民主主義の可能性を追求するというスタンスをとる。

 一般に熟議民主主義のあり方としては、ユルゲン・ハーバーマスの「複線モデル」(国家と市民社会とを媒介し、意思決定と意見形成とを区別する)がよく取り上げられるが、本書で注目されるのは、非制度的次元における熟議の重要性を提起している点にあるだろう。家族など親密圏における熟議、あるいは「脱社会的存在」を社会の側に引き寄せるための熟議……などなど。

 もっとも熟議民主主義の具体的なスタイルがどういうものであるのか、本書の記述だけでは今一つわかりにくい。著者自身も「理念はわかったが、どうやって実現するのか」という疑問がしばしば提起されることに触れて、熟議民主主義の「具体的な制度のあり方を考えていくことが、熟議民主主義の深化のために不可欠である」との認識を示している。本書では実例として「アソシエーティヴ・デモクラシー」と「熟議の日」について言及しているのだが、理念モデルとしての議論の白熱ぶりに比べるといささか迫力に欠ける印象を拭えなかった。

 本書は、横書きでページごとに注釈が添えられ、いかにも教科書風の作りになっている外見からもわかるとおり、叙述内容も一般向けというよりも、政治学や政治理論に一定程度の素養をもつ読者を想定していると思われる。
 熟議(討議)民主主義についてのかみ砕いた概説的な書物を求める一般読者ならば、本書にも引用されている篠原一の『市民の政治学——討議デモクラシーとは何か』(岩波新書)あたりから入っていく方が無難だろう。
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by syunpo | 2009-07-17 19:41 | 政治 | Trackback | Comments(0)

第二近代の民主主義〜『市民の政治学』

●篠原一著『市民の政治学』/岩波書店/2004年1月発行

b0072887_19495969.jpg 本書は、現在の世界状況をウルリッヒ・ベックの概念に基づいて「第二の近代」と規定し、そこにおける「新しい社会運動」に焦点をあてたものである。

 「第二の近代」はいかにあるべきか。その基盤となる「市民社会」のあり方をめぐってはこれまで多くの概念やモデルが提唱されてきた。本書はそうした知見の概説書・入門書という色合いが濃い。
 市民社会活性化の理論的モデルとして、ユルゲン・ハーバーマスらが提唱した「討議デモクラシー」、ピエール・ブルデューやジェイムス・コールマンのいう「社会関係資本」論などが紹介されている。
 著者が重視する「討議デモクラシー」の実践例では、「討議制意見調査」「コンセンサス会議」「計画細胞」「(政策課題を議論するための)市民陪審制」などが取り上げられている。

 従来の代議制デモクラシーを補完するものとして「討議デモクラシー」の制度化を目指すことに特に異存はないが、わが国にあっては未成熟な代議制デモクラシー本体の実効化に議論・模索すべき点が多々残っているように私は思う。
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by syunpo | 2008-03-02 19:01 | 政治 | Trackback | Comments(0)