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川の流れのように♪〜『西洋音楽史』

●岡田暁生著『西洋音楽史』/中央公論新社/2005年10月発行

b0072887_18543655.jpg どのようなジャンルであれ、「通史」で面白い本にお目にかかる機会は少ないものだ。その例にもれず、本書で描かれる音楽史もパッとしない。
 交響曲や弦楽四重奏曲などのドイツ音楽を「真面目な音楽」などと記述してしまう語彙の貧しさは度しがたいし、人間の「精神性」や「感性」がテクノロジーの進展と無縁でありうるはずはないのに、その当たり前の認識を欠落させているのが致命的だ。

 暇つぶしにちょっと添削してみよう。たとえば、以下のような一九世紀ロマン派に関するピント外れの記述。

 一九世紀において、一方であれほど音楽の「精神性」が強調されながら、他方で演奏技術の開発に人々がかくも血眼になっていたことは、皮肉というほかない。産業革命と科学発明の時代にあっては、音楽もまた世の工業技術化の波から逃れることはできなかったのである。(p147)

 私だったら、次のように書き直したい。

 一九世紀において、音楽の世界にも当然、産業革命の波が押し寄せてきた。楽器の性能も高められ、それに伴い演奏技術の洗練も進んだ。そうした「技術」上の変革は、おのずと音楽の内容そのものにも影響を与え、その結果として、音楽の「精神性」をめぐる議論が活発化したのも時代の必然であった。

 ちなみに著者・岡田暁生の専門は一九世紀の音楽史だそうです。
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by syunpo | 2007-12-08 19:00 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

交響するコミューンへ〜『社会学入門』

●見田宗介著『社会学入門』/岩波書店/2006年4月発行

b0072887_2234589.jpg 宮台真司や大澤真幸、吉見俊哉らの精鋭がゼミから巣立っていったことで知られる社会学者の大御所、見田宗介による文字どおりの入門書。著者が大学で行なった講義のなかから、社会学の「序論」「総論」「結論」にあたる部分を抜粋し、手を加えたものである。

 社会学とは「関係としての人間の学」と定義づけ、あらゆる個別の学問の領域を仕切る国境を越えつづけることにその存在意義を見出す序章「越境する知」、旅の面白さを比較社会学へと連関させていく一章「鏡の中の現代社会」は、まさに社会学への扉を開く魅力に満ちた文章だ。

 二章「〈魔のない世界〉」における色彩の受容史から現代を読み解く視点は興味が尽きないし、さらに紫貝をめぐるメキシコ人とユーラシア大陸人の歴史的挿話は、大いなる余韻を残して私たちを深い洞察へと誘う。

 三章「夢の時代と虚構の時代」では、著者の戦後史分析が概論的に述べられている。一九四五年から六〇年頃までの「理想」の時代、六〇年から七〇年代前半までの「夢」の時代、七〇年代後半からの「虚構」の時代……と区切る戦後史観は、別著『現代社会の理論』で体系的に展開されているものだ。
 続く四章「愛の変容/自我の変容」は、七〇年代初頭から九〇年代初頭までの朝日新聞「朝日歌壇」に寄せられた短歌から時代相を読み取るものだが、社会学的考察というよりも学者による随想といった方がよいかもしれない。

 五章「二千年の黙示録」は、D・H・ロレンスの『アポカリプス』、吉本隆明の「マチウ書試論」をもとに「関係の絶対性」について考察したもの。
 六章「人間と社会の未来」では、人類史を数次の産業革命とみなす壮大な見取り図を描きつつ、未来へつなぐ「革命」を呼びかける。「道具・言語の発明=第〇次産業革命」「農耕と牧畜の発明=第一次産業革命」「工業を基礎とする第二次産業革命」「情報化を中心とする第三次産業革命」を経た現代は、まさに大きな歴史的転換点にある、という認識である。

 補章「交響圏とルール圏」は「未来の社会構想の骨格を記したもの」として、本書の結論部に相当するものだが、著者自身の言葉を借りれば「難解」なため、補章として括られた。
 「交響するコミューン」として提示されるその構想は、従来の「コミューン」像とは異なったコンセプトが打ち出される。

 社会のこれまでの通念史の内の「コミューン」という名称のほとんどが強調してきた、「連帯」や「結合」や「友愛」ということよりも以前に、個々人の「自由」を優先する第一義として前提し、この上に立つ交歓だけを望ましいものとして追求するということである。(p181)

 そこでは、個人たちの同質性でなく、反対に個人たちの異質性をこそ、積極的に享受する。すなわち「異質な諸個人が自由に交響するその限りにおいて、事実的に存立する関係の呼応空間である」。

 見田宗介の提唱する「交響するコミューン」は、特に目新しいビジョンというわけではなく、他に類似の理論モデルを指摘することは可能かもしれない。たとえば、別の社会学者なら「コモンズ」と呼んでいるもの、あるいは、岩井克人の「市民社会」、柄谷行人の「アソシエーション」などとも通底するものだろう。

 本書全体を総括すれば、多彩な素材を駆使しながら、社会学の果てしない魅力と可能性を感じさせてはくれるものの、ややまとまりを欠いているような印象も否定できない。
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by syunpo | 2006-11-23 22:07 | 思想・哲学 | Trackback(1) | Comments(4)