ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
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話し合うこと、迷うこと〜『民主主義ってなんだ?』

●高橋源一郎、SEALDs著『民主主義ってなんだ?』/河出書房新社/2015年9月発行

b0072887_18283177.jpg 本書はSEALDsのメンバー三人と作家・高橋源一郎が語りあった記録である。前半はメンバーの生い立ちや活動を始めたきっかけ、SEALDsの方針や活動実態など。後半はタイトルにあるとおり「民主主義ってなんだ?」をテーマに、より一般的な議論が展開されている。彼らが街頭や国会前で活動を始めるようになった直接の理由である安倍政権の政策に対する批判は控えめで、原理的・理念的な話が中心になっているのが本書の特徴といえるだろう。

 学生たちの民主主義論・立憲主義論はむろん大雑把なもので理論的にはいくらでもツッコミどころはあるけれど、ここでそれを指摘することにさほど意味があるとも思えない。いや、それ以上にむしろルジャンドルやデューイ、イロコイ族に関する人類学的知見を参照するなど、その勉強家ぶりには感心させられたほどである。自分自身の学生時代を振り返ってみても、彼らほど政治の勉強をしていなかったと思う。

 一方、高橋も学生たちの話によく耳を傾けながら、彼らの生煮えの言葉を巧みに補完するような役回りを嫌味なく演じている。古代アテネの民主主義論をベースにしつつ、ルソーの読解などに(とくに名指ししているわけではないが)闘技民主主義理論など新しい政治哲学的理論をも踏まえて発言しているのが印象にのこった。とりわけ「決める」こと以上に自分の意見を反映させることができなかった人々の納得を得る手続きやプロセスを重視する点に民主主義の本義を見る高橋の議論は傾聴に値するのではないか。
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by syunpo | 2016-01-31 18:35 | 政治 | Trackback | Comments(0)

闘技的複数主義へ〜『民主主義の逆説』

●シャンタル・ムフ著『民主主義の逆説』(葛西弘隆訳)/以文社/2006年7月発行

b0072887_19233291.jpg 民主主義を近代的たらしめている自由民主主義は、異なる原理の接合によって構成されている。人権の擁護や個人的自由の尊重を重んじる〈自由主義〉と、平等原理や主権在民を主要な理念とする〈民主主義〉の伝統である。この二つの原理には必然的な関連があるわけではなく、近代において接合されたのは歴史の偶発性によるものであることはつとに指摘されてきた。
 この異種の原理の関係をどのように扱うかは政治理論にとって大きな課題である。自由主義者フリードリヒ・ハイエクは「民主主義は寧ろ本質的には一つの手段であり、国内平和と個人的自由を保障する功利主義的な一つの企画」と割り切った。これに対して民主主義を信奉する立場からは、自由主義的な諸制度にしばしば批判の目が向けられ、人民の意志が障害なしに表現されうる直接的な形態の民主主義を対置することが行なわれてきた。

 現存する民主主義に対して、それを根源から問い直す昨今のラディカル・デモクラシー理論にはいくつものバリエーションが存在する。そのなかでも民主主義と自由主義を「和解」させようとする議論はやはり有力といわねばならない。ジョン・ロールズやユルゲン・ハーバマスらの政治理論がそれにあたる。ハーバマスの議論を批判的に継承するジョン・ドライゼックらによって提起されているのが「討議(熟議)民主主義」理論である。
 討議民主主義が公共空間における理性的な合意を重視するのに対して、対立の局面を重視するのが「闘技民主主義」である。本書の著者シャンタル・ムフがその代表的論客といえるだろう。 

 自由民主主義とは、最終審級において両立しないふたつの論理の接合から帰結したものであり、両者が完全に和解することはありえないと理解することが民主主義政治にとって必須の契機である、というのが本書の議論の中心である。(p10)

 「闘技的」民主主義では、政治には対立と分離が内在するものであって、「人民」の統一の十全な実現としての決定的な和解が達成されるような場が存在しないことを、私たちは受け入れなくてはならない。(p25)


 ムフが闘技民主主義へ至る基本認識を示すにあたっては、カール・シュミットを批判しつつも彼が指摘した自由民主主義の困難については積極的に参照している。
 シュミットは代表制の原理に基づく自由主義と同質性の原理に基づく民主主義とは両立不可能であると認識していた。その点に関してはムフも同意する。両者を安易に調停しようとすることは、政治の場から政治を排除することだというわけである。
 もっともシュミットは自由民主主義の両立不可能性から導かれる「友/敵概念」を本質化しており、それ故にその対立を固定化してしまう点で、ムフは批判に転じる。ムフは政治的秩序に根源的に内在する深い対立を障害と捉えずに、社会的抗争から社会的闘技へと転換していくことを主張する。

 そして闘技的な民主主義を構想する際に依拠するのがウィトゲンシュタインである。ウィトゲンシュタインの理論は複数性と矛盾を受けれ入れる必要性にわれわれを導き、さらに〈生の形式〉の重要性を認知させる。

 (=ウィトゲンシュタイン)によれば、同意は意味作用にではなく、生の形式にもとづいて確立される。それは同意、共通の生の形式によって可能となる声の混合なのであり、ハーバマスにおけるような合意、理性の産物ではない。(p109)

 ある主張を提起することはひとつの断定をつくりだすことである。ひとつの合意が生まれるときには、同時にそこに排除がはたらいている。討議民主主義は「合理性や道徳性のヴェールのもとで既存の排除の形態を隠蔽する」ことに加担する、とムフは考える。

 ムフによれば、私的領域という圏域を設定して公共的とみなされる問題のみについて理性的な議論のうちに合意を見いだすという構想は幻想的なものであり、むしろ民主主義を縮減してしまうものである。民主主義において対立や衝突は、不完全の徴であるどころか、民主主義が生きており、多元主義のうちに宿っていることを示すものということになる。かくしてムフは闘技的複数主義を民主主義の基本原理として提起する。

 ただし、ムフの理路には承服しがたい点が少なからずある。
 本書では、英国のトニー・ブレア前政権に対しては当然ながら厳しい批判を加えている。ブレアが率いた新労働党は「伝統的な左右対立を超克する」形で「ラディカルな中道」を訴えた。ムフはそれに対し「左翼アイデンティティ」の「放棄」として批判するのだが、むしろそうすることによって政権を奪取できたのであって、現実に政治を担う政治家が彼女が主張するような先鋭的な理念や政策を繰り返すだけではコアな支持者から喝采を浴びても広範な支持を得ることは出来なかっただろう。

 またそれ以上に疑問を感じるのは、ムフが提唱する「抗争性から闘技への転化」はいかなる形で可能となるのかという点だ。その具体的な制度設計や政治の形式にはほとんど言及されていない。この点に関しては熟議民主主義の陣営からも「闘技の成立条件に十分な関心を払っていない」(田村哲樹『熟議の理由』)などと批判的な指摘がなされている。

 とはいえムフによる合意志向に対する徹底的な異議は、討議民主主義理論に再考を迫るだけの論点を含んでいることも事実である。その結果、闘技性を織り込んだうえでの討議民主主義理論もあらわれてきている。その意味では、対立の局面を重視せよというムフの主張じたいが対立の緩衝になっている可能性も考えられる。民主主義の逆説を言うムフの理論にもまた良い意味で逆説は生じうる。
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by syunpo | 2011-05-22 19:37 | 政治 | Trackback | Comments(0)

生産的な論争のための〜『現代規範理論入門』

●有賀誠、伊藤恭彦、松井暁編『現代規範理論入門 ポスト・リベラリズムの新展開』/ナカニシヤ出版/2004年5月発行

b0072887_17371060.jpg マイケル・サンデルの講義がテレビ番組で紹介されたのを契機に、そこでテーマとなっていた「正義」や「平等」「自由」などに関する思想を解説した書籍が店頭を賑わすようになった。
 本書はそうした「正義論ブーム」以前に刊行されたもので、現代規範理論研究会なる研究者グループによるアンソロジーである。同研究会の議論の成果をまとめた本としては、二〇〇〇年刊行の『ポスト・リベラリズム 社会的規範理論への招待』に続く第二弾となる。
 内容は、現代社会において重要な諸価値をめぐる規範理論のこれまでの学説や争点を概観したうえで、その価値を問い直し、新たな展開を目指すものである。取り上げられているのは、正義、自由、平等、人権、福祉、疎外、共同体、公共性、民主主義、多元主義の十項目。

 入門と銘打っているだけあって全般的に教科書的な記述といえようか。いささか無味乾燥な読み味ながら、コンパクトにまとめられているので現代の規範理論におけるキーワードの概略や研究動向を手っとり早く知るには適しているかもしれない。

 とくに印象に残ったのは〈民主主義〉についての山崎望の論考。代表制民主主義に関して、シュンペーターに依拠しながら「古代の民主政が持っていた平等な民衆の参加による自己統治という理念は薄められ、民主主義概念は、実質的な決定を行なうエリートに正統性を供給する手段へとその内容を縮減されている」と述べ、さらに「政治参加を選挙に限定することで民衆を脱政治化させ」る傾向を指摘している。そのうえで、熟議民主主義や闘技民主主義などの新しい民主主義理論の紹介へと向かうのだ。
 もっとも「熟議……」も「闘技……」も現状では理念モデルの域を出ているようにも思えず、学界での議論は活発でも現実の政治に変化の兆しが見えないのは、どうしたものだろう。
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by syunpo | 2011-02-04 17:46 | 思想・哲学 | Trackback | Comments(0)

規範と経験の間の政治理論〜『熟議の理由』

●田村哲樹著『熟議の理由 民主主義の政治理論』/勁草書房/2008年3月発行

b0072887_1920951.jpg 中央集権的な国家による社会・政治秩序の制御が困難となった時代における原理として熟議民主主義(Deliberative Democracy)を再検討する。これが本書のコンセプトである。
 一般に再帰的近代化の時代において政治理論家が提唱する民主主義の有力な規範的モデルとしては、他に闘技民主主義がある。熟議民主主義が理性的な合意形成とその過程における「選考の変容」を重視するのに対して、闘技民主主義は政治における対立の局面を重視する。田村は闘技民主主義理論の成果をも参照しながら熟議民主主義の可能性を追求するというスタンスをとる。

 一般に熟議民主主義のあり方としては、ユルゲン・ハーバーマスの「複線モデル」(国家と市民社会とを媒介し、意思決定と意見形成とを区別する)がよく取り上げられるが、本書で注目されるのは、非制度的次元における熟議の重要性を提起している点にあるだろう。家族など親密圏における熟議、あるいは「脱社会的存在」を社会の側に引き寄せるための熟議……などなど。

 もっとも熟議民主主義の具体的なスタイルがどういうものであるのか、本書の記述だけでは今一つわかりにくい。著者自身も「理念はわかったが、どうやって実現するのか」という疑問がしばしば提起されることに触れて、熟議民主主義の「具体的な制度のあり方を考えていくことが、熟議民主主義の深化のために不可欠である」との認識を示している。本書では実例として「アソシエーティヴ・デモクラシー」と「熟議の日」について言及しているのだが、理念モデルとしての議論の白熱ぶりに比べるといささか迫力に欠ける印象を拭えなかった。

 本書は、横書きでページごとに注釈が添えられ、いかにも教科書風の作りになっている外見からもわかるとおり、叙述内容も一般向けというよりも、政治学や政治理論に一定程度の素養をもつ読者を想定していると思われる。
 熟議(討議)民主主義についてのかみ砕いた概説的な書物を求める一般読者ならば、本書にも引用されている篠原一の『市民の政治学——討議デモクラシーとは何か』(岩波新書)あたりから入っていく方が無難だろう。
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by syunpo | 2009-07-17 19:41 | 政治 | Trackback | Comments(0)