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ブックラバー宣言

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東京落語の真髄を語る〜『名人』

●小林信彦著『名人 志ん生、そして志ん朝』/朝日新聞出版/2018年10月発行

b0072887_1856136.jpg 古今亭志ん生、古今亭志ん朝。昭和を代表する噺家の「名人」親子である。本書は二人を愛する作家の小林信彦のエッセイを集めたもの。後半に夏目漱石の『吾輩は猫である』を落語的観点から読解する文章を収めているのも一興だ。

 小林自身は東京の下町に生まれ育ち、東京弁を話す家族に囲まれて過ごしたらしい。幼少時のそのような体験は落語愛の形成には決定的なものであっただろう。志ん生に思いを馳せ、志ん朝の高座を愛した小林の語り口は思い入れたっぷりである。

 志ん生に関しては、当然ながらラジオでの聴取体験が中心になる。また志ん生について論じた書籍からの引用が多い。方法的には辛気臭い読み味になりがちなスタイルだが、熱烈な志ん生愛でもって読者を退屈させることなく引っ張っていく。

 志ん朝は一九九〇年から十年間、名古屋の大須演芸場で三夜連続の独演会を開催した。その独演会の後半五年間を小林は聴いていて、それに関する批評文が本書における志ん朝論の核を成している。そこで志ん朝は「くつろいだ感じ」を醸しながら自分の得意ネタをのびのびと演じたらしい。

 文楽の落語を古典音楽とするなら志ん生はジャズである。そう評したのは徳川夢声で、文楽との対比で志ん生を語るのは常套手法だが、志ん生の《お直し》に「明るく、荒涼としたユーモア」を感じつつ、ニヒリズムの裏づけを見出すのは小林ならでの評言かもしれない。

 志ん朝は父親からナンセンスな滑稽味を受け継ぎ、あわせて志ん生のライバルと目された文楽の端正さをも身につけた。
 若き日の志ん朝を評して小林は記している。

 ……なにより驚いたのは、〈若さ〉を抑制したたたずまいであり、涼しげな動きは、〈江戸前〉とか〈粋〉といったありきたりの言葉では形容できない。〈若さ〉のみが売りものにされる一九六二年に、こういう青年が存在するのか、と奇蹟を見る思いだった。(p142)

 そのようにしてもっぱら客席から見守りつづけた志ん朝の死は思いのほかはやく訪れてしまった。「ぼくの老後の楽しみはみごとに失われた」──その愛惜の気持ちが本書全体を覆っている。二〇〇一年十月一日、志ん朝他界の報せを受ける場面から本書は書き起こされているのだ。

 なお本書の親本は二〇〇三年に朝日新聞社より刊行された。二〇〇七年に文春文庫より刊行された後、二〇一八年にあらためて朝日文庫から刊行された。朝日文庫版では新たに小林と志ん朝との対談が一本加えられている。平成終りの年に昭和の名人親子を語る本が改めて文庫化されたのは、奇貨とすべきかもしれない。志ん朝を知るための資料は意外と乏しい。その意味でも貴重な一冊といえるだろう。
# by syunpo | 2019-01-16 19:02 | 古典芸能 | Trackback | Comments(0)

美しい国をこれ以上壊さぬために〜『日本の美徳』

●瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン著『日本の美徳』/中央公論新社/2018年7月発行

b0072887_10495166.jpg 御年九十六歳。同い年の二人が大いに語り合う。『源氏物語』について。長寿の秘訣について。昭和の文豪たちについて。日本の美徳について。

『源氏物語』は二人にとって重要な古典文学である。キーンはアーサー・ウエーリの英訳版『源氏物語』を読むことで日本への関心を高めた。物語のなかでは対立が暴力に及ぶことはなかったし、戦もなかった。主人公の光源氏は腕力が強いわけでもなければ、歴戦の戦士でもなかった。脅威的な軍事国家とは別の日本文化に触れることで、キーンの日本観ひいては人生そのものが大きく変わる。

 一方の瀬戸内は『源氏物語』を現代語訳した。言葉は時代とともに変化する。二十年周期ぐらいで。ゆえに源氏物語も新しい言葉で訳すことが必要なのだという。ただし長大な物語を現代語訳するのは生命を削るような作業であった。そうした二人の源氏物語談義はまことに味わい深い。

 読んで一番残るのは「美」です。一例にすぎませんが、手紙をおくるときはまず紙に気を使い、墨の濃淡を考える。そして歌を作り、美しい書体で書く。書き終えた手紙は、どう折るかということにまで心を配り、季節の花を添えます。つまり女性も男性も、いかに美意識があるかに、人としての価値を見出したわけです。(キーン、p18)

『源氏物語』は、言ってみれば不倫の話ばかりです。一人しか好きになってはいけないと言われても、三人を同時に好きになったりすることもあるじゃないですか(笑)。そういう人の気持ちというのは、どうしようもない。(瀬戸内、p22)


 昭和の文豪たちとの交友を回顧するくだりは、さすがに錚々たる顔ぶれが登場する。谷崎潤一郎、三島由紀夫、川端康成、円地文子……。

 瀬戸内が作家デビュー以前に三島と手紙でやりとりしていたという話はおもしろい。ファンレターには返事を出さない主義の三島が瀬戸内の手紙には反応してくれたらしい。「あなたの手紙は本当に暢気で楽しいから、思わず返事を書きました」。

 二〇一二年、キーンは日本国籍を取得した。キーンによる日本賛美は「清潔」「礼儀正しさ」などいささかステレオタイプだが、瀬戸内は素直に応じるわけでもなく留保をつけるので、近頃流行の単純な「日本スゴイ」言説とははっきり一線を画したものになっている。

「日本は世界のなかでもとてもきれいな国」だとキーンは言う。しかしその後に「その美しさを自分たちの手で壊しているのが残念」と苦言を呈することも忘れない。政府による沖縄での蛮行を見るにつけ、日本を愛する者の愛情に満ちた叱咤を私は素直に受け止めたいと思う。
# by syunpo | 2019-01-13 10:56 | 文学(小説・批評) | Trackback | Comments(0)

音楽に国境があった時代の物語〜『冷戦とクラシック』

●中川右介著『冷戦とクラシック 音楽家たちの知られざる闘い』/NHK出版/2017年7月発行

b0072887_19505754.jpg 戦後のある時期、世界は二つの陣営に分断されていた。アメリカをリーダーに戴く西側。ソ連を盟主とする東側。両大国が直接一戦を交えることはなかったが、局地的な代理戦争はあった。キューバを舞台に核戦争の懸念を世界に与える危機も経験した。人はそれを冷戦と呼んだ。

 音楽に国境なしとよくいわれる。それなら冷戦という厳しい時代にあっても音楽は自由自在に国境を超えていくことができたのだろうか。クラシックの音楽家たちはその時代をどのように生きたのだろうか。本書では、レナード・バーンスタイン、エフゲニー・ムラヴィンスキー、ヘルベルト・フォン・カラヤンの三人を中心に冷戦期のクラシック音楽家たちの活動を振り返る。

 戦勝国のアメリカで生まれ音楽教育を受けたバーンスタインは、比較的自由に活動できたうちの一人かもしれない。みずからの政治信条に基づいて果敢に冷戦の時代を駆け抜けたが、それでもマッカーシー旋風の影響を免れることはできなかった。一九五三年には共産主義者の疑いがあるとしてパスポートの更新が拒絶された。当然ながら彼もまた時代の制約からは完全には自由ではなかったのである。

 ソ連ではいうまでもなく国際的に著名な音楽家たちも厳しく管理統制されていた。そのなかにあってレニングラード・フィルの主席指揮者を長く務めたムラヴィンスキーの活動ぶりは興味深い。フルシチョフ政権からブレジネフ政権に移行したとき、文化大臣はムラヴィンスキーの更迭を画策したが、果たせなかった。共産党幹部の親族の庇護を受けてそれなりに有利に立場にあったことも見逃せないが、それとともに世界的名声と自身の信念もまた彼の音楽活動を支えたといえる。

 カラヤンはヒトラー政権下でナチス党員になって出世した。戦後しばらくの間は音楽活動に復帰することはできなかった。しかし一九五五年にはベルリン・フィルを引き連れてアメリカへのツアーを行なう。ベルリン・フィルの米国公演は、ソ連東欧ブロックに対する西ドイツの政治的立場を重視した米国の政治的思惑があって実現したもので、そのことを内外に示す象徴的な意味合いをも含んでいた。

 この三人以外にも、もちろん様々な音楽家たちが登場する。

 ドミトリー・ショスタコーヴィチの浮沈の激しい人生は、まさに政治に翻弄されたものといえよう。才能豊かな音楽家が冷戦期の全体主義国家に生まれ落ちたことの不運を感じざるをえない。

 日本でも人気のあるグレン・グールドがソ連でコンサートを行なうために、彼の母国カナダのほか、ソ連、アメリカの政府が動いたというのは一九五〇年代ならではの挿話だろう。

 レニングラード・フィルの来日公演に際してソ連からのジェット機乗り入れの許可を得るために日本の興行師が交渉しなければならない相手が、日本政府でなくアメリカ駐留軍司令官であったことは戦後の対米従属路線を明瞭に示す現代史の一頁といえようか。

 チャイコフスキーコンクールやショパンコンクールの舞台裏も政治的な匂いが強く立ち込めている。開催国はそれぞれ自国の演奏家を勝たせるために様々な狡知を働かせた。そこでは音楽が世界の平和構築に貢献するよりもむしろ国威発揚に利用され、コンクールは政治的な機能をも果たしたのである。もっとも現実には、チャイコフスキーコンクールでアメリカのヴァン・クライバーンが勝ったりするなど、想定外の結果が生じることもあった。審査員のなかにも音楽家としての矜持を放棄せずに「国家の威信よりも藝術を重視する人」が存在したのである。

 中川は史実を淡々と積み重ねていく形で、冷戦時代の音楽家たちの動きを追っているが、なかで旧東ドイツのクルト・マズアに対しては「日和見主義者」と確言しているのが目を引く。彼のCDは何枚か持っているけれど、経歴をよく知らなかったのでいささか驚いた。
 音楽にも国境があった冷戦時代の音楽家たちの苦闘をとおして、政治と音楽の一筋縄でいかない関係が浮かびあがる。記述はやや単調ながら、主題の面白さで読ませてくれる本である。
# by syunpo | 2019-01-12 19:55 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

映画や文学を通して学ぶ法の原理〜『誰のために法は生まれた』

●木庭顕著『誰のために法は生まれた』/朝日出版社/2018年7月発行

b0072887_9374280.jpg 法とはそもそも何だろうか。何のために誰のために生まれたのだろうか。本書はその問題について考える。ローマ法を専門に研究している木庭顕が桐蔭学園中学・高校で行った特別授業を書籍化したものである。

 もっとも本書で検討される概念としての法は、専門家にとってはともかく一般読者にとっては必ずしもなじみやすいものではない。現実社会の法体系のようなものを意味するのではないらしいのだ。

 まず古代ギリシャの政治があった。徒党を組む人々がいる。徒党は個人に犠牲を強いて自由を侵害することがある。そこで徒党や組織を解体する必要が生じる。そのためには、人々が透明な空間で自由に議論することが求められる。ギリシャではこの意思決定のプロセスを政治と呼んだ。

 もっとも個人の自由のために成立したはずの政治が個人の自由を脅かすこともありうる。そのような場合、人々はやはり連帯し、反自由の政治に対抗して個人の自由を回復しようとつとめる。政治が孕んでしまう病理に処方箋を与えるためには政治によるしかない。これがより高度の政治を志向したデモクラシーと呼ばれるものである。むろんデモクラシーにもまたデモクラシー自身を問い直していくプロセスが含まれるだろう。

 古代ローマでは、そのようなデモクラシーを受け継いで、より独創的なデモクラシーを発展させようとした。そうしてローマ法が生み出される。法は占有という原理をもつ。徒党をなして実力行使をしてしまった場合、実力行使をされた方が占有訴訟の原告となってそのことを主張して勝てば、相手の破滅をもたらしうるのである。占有原理を基本とすることでローマ法は個人の自由を擁護し、交易に必要な信用を確立した。

 古代ギリシャ・ローマで行われた政治と法は、ルネサンス期を経て近代ヨーロッパの基盤となった。つまり近代国家の政治や法の体系は遡れば、ギリシャ・ローマに行き着くのである。占有というローマ法独自の原理はその後、基本的人権として普遍化される。日本の政治や法もその歴史的文脈に連なっていることはいうまでもない。

 ……九条二項の考え方も新しいものではなく、実はローマで占有概念の或る発展段階で出てきたものです。一見占有侵害がなくとも自分の占有の内部を溶解させていれば、占有侵害と見なすというものです。近代初期の国際法の父たちもキケローのテクストからこれに気づきました。(p374〜375)

 本書が異彩を放っているのは、以上のような政治や法の概念を学ぶにあたって、映画『近松物語』『自転車泥棒』、プラトゥスの喜劇、ソフォクレスの悲劇などを素材にしている点にある。

 ギリシャでは、政治を可能にする新しい性質の社会組織が出来上がるときに、文学が決定的な役割を果たしたというのが木庭の基本認識だ。一見回りくどいやり方を採るのはそのような認識による。授業でのやりとりは必ずしも理解しやすいものではないが、そこでの議論や検討によって教科書的に概念を覚えるだけで終えるのとは違った、感覚的身体的な学びの実感を得ることが目指されるのである。

 というわけで本書の知見には教えられるところが多かった。ただしその一方で澱のような違和感が胸中に沈んでいる感覚も払拭できない。本書そのものに対してではなく本書が描き出した史実に対する違和感というべきかもしれないが。

 何より古代ギリシャやローマは厳然たる性差別や奴隷制が行なわれていた社会である。今日の価値基準から古い社会のあり方を批判するのはフェアではないといっても、本書で参照されている法の理念が当時の社会全体をカバーしていたわけではないこともまた事実だろう。特定の階層が特定の階層の自由をあからさまに抑圧していた国家の法理が近代法治国家の礎になっているという壮大な人類史のパラドックスには、いささか複雑な思いがする。
# by syunpo | 2019-01-06 09:41 | 憲法・司法 | Trackback | Comments(0)

読むことと語り合うことによる発見〜『漱石漫談』

●いとうせいこう、奥泉光著『漱石漫談』/河出書房新社/2017年4月発行

b0072887_9133167.jpg いとうせいこうと奥泉光の文芸漫談シリーズ『文芸漫談 笑うブンガク入門』『世界文学は面白い。』に続く第三弾。タイトルが示すとおり夏目漱石の作品をだけを収めている。国民的作家の作品を深刻になりすぎず、肩のこらない調子で軽快に読み解いていく。といってもいい加減な読み方ではない。相変わらずの面白さである。

《こころ》を同性愛の観点から読むのは今ではありふれた読解だが、ここではいくつもの組合せにそれを見ようとしている点で、より徹底しているといえる。先生とK。先生と西洋人の知り合い。トーマス・マンの《ヴェニスに死す》を引き合いに出すあたりもなかなかオツである。

《三四郎》はユーモア小説であり、三四郎の成長譚としての教養小説でもあり、最先端のファッションを描きこんだ風俗小説でもある。二人はそのような作品の多層性を確認していく。そのうえで「絵画」の世界があらわれると奥泉が指摘するのは斬新な視点だと感じ入った。

 代表作《吾輩は猫である》での語りはいっそう漫談は熱を帯びる。猫を語り手にした着眼をひとしきり称賛するのはお約束としても、「どんどんと言葉が言葉を引き出していくところ」に魅力を見出しているのはなるほどと思う。描写の美文、教養の炸裂、リズム、フレージング……。
 吾輩たる猫が鼠を取るシーンは日露戦争のバルチック艦隊との決戦のパロディになっていることはすっかり忘れていた。

 また、いとうが漱石と虚子のホモ・ソーシャルな関係に言及しつつ、苦沙弥先生のミソジニー的な人物像を批判しているのも傾聴に値する。「ヘイトは面白くないぞ」と。

 漱石作品では最もポピュラーだと思われる《坊っちゃん》。いとうは政治小説としてそれを読む。明治維新とは薩長土肥による江戸の征服であり、坊っちゃんは旧幕臣の出身ゆえ敗者ということになる。相棒の山嵐は会津っぽなのでその文脈からしても仲間である。「敗者である江戸の人間が、薩摩、長州までは行けないが、なんとかその近いところで大暴れしてやろうと画策する、意趣返しともとれる」。もっとも奥泉はその説にはあまり乗ってこなかったのだが。

《草枕》は小説についての小説、いわばメタ小説の観点から論じられる。「この小説の持っている批評性は衰えを知らない」と奥泉はいう。作中において小説の読み方まで示されているという点ではたしかに批評的といえよう。当時隆盛していた自然主義リアリズムとは対極にある作品なのだ。

《門》。略奪婚で友人から女性を奪った主人公の宗介。その友人が隣家に出入りする可能性のあることがわかって狼狽えるのだが、実効的なことは何もできず、一人で勝手にお寺の座禅入門コースみたいなところに通い始める。漱石作品には読んでいてイライラさせられる男がよく登場するが、宗介はそのなかでも格別だろう。いとうは「男の卑怯さがこの小説のテーマだ」と総括する。なるほど女性の立場から作品を読み直すのも一興だろう。

《行人》は読めば読むほどにアラが見えてきて「語りの構造が破綻している」(奥泉)点が気になってくる。とはいえ兄嫁の直についていとうが強い関心を示しているのは興味深い。「女=蛇=水」の道成寺の図式で捉え、神話的なイメージとして直の存在感を浮かび上がらせるのだ。

《坑夫》に対する二人の評価はきわめて高いのも印象的である。いとうが大岡昇平の『野火』を想起すれば、奥泉はドストエフスキーの『地下生活者の手記』を引き合いに出す。風変わりな構造をもつテクストだが、いやそれゆえに、二一世紀の読者に対しても世界の文学史の記憶を呼び覚ますような力をもつ作品とでもいえばよいか。

 全編をとおして、奥泉が漱石作品の登場人物を覆っている独特の孤独感について言及している点は注目に値するだろう。それは「他人と関係を持とうとし、コミュニケーションしようとするけれど、それに失敗してしまう者の孤独」である。漱石自身が感じていた孤独でもあるだろう。

 そのように語り合ういとうせいこうと奥泉光の対話は、漱石の登場人物たちを反面教師とするかのように、豊かなコミュニケーションの成果を示してくれている。かかる文芸漫談というスタイルそれじたいが漱石文学を読むことの快楽を体現しているのである。
# by syunpo | 2019-01-05 09:17 | 文学(小説・批評) | Trackback | Comments(0)