●坂井克之著『脳科学の真実』/河出書房新社/2009年10月発行
本書は科学の名のもとに提唱されている「脳トレーニング」「ゲーム脳」など昨今の皮相的な「脳科学」ブームに警鐘を鳴らすものである。著者は、自称・脳科学者による一般書の多くは問題が多い、脳科学の実験データを自説展開に都合良く利用しているだけで内容的には人生訓や処世術に脳科学の意匠をくっつけただけの似非科学であるなどと繰り返し批判している。 認知神経科学を専攻する著者の立場からすれば、脳と心の関係はわからないことだらけで、「脳科学者」がメディア上で主張しているような命題にははっきりと実証されていないものが少なくない。また脳科学はそう簡単に日常社会に応用できるものでもない、という。 本書における脳科学風言説への批判はたしかに説得力を感じさせるものだ。にもかかわらず今日の脳科学風言説は真実らしさの衣をまとって人びとに広く受け入れられている。その危なっかしいブームを支えている要因は何か。 ……ある研究結果の一面のみを捉えて大仰に紹介する単純で過大なマスコミ記事とそれに迎合するような「脳科学者」の振る舞い。研究現場におけるプロジェクトの有用性アピール合戦を加速させる研究費獲得競争の激化。……無論、こうした社会状況は何も「脳科学」分野にだけあてはまる問題ではない。興味深いのは何といっても脳科学という学問が独自に孕みもつ問題への言及だ。 ……(分子細胞生物学などの研究成果と比べて)脳と心の関係についてはその詳細なメカニズムを明らかにしたと言える研究はそれほど多くはありません。これは「脳」という物質を実験対象としていながら、その目的は「心」という捉えどころのないものの成り立ちを明らかにするという、科学としてかなり無理な設定に伴う必然的な帰結といえるでしょう。あるいは「心」を目的とすることで避けては通れなくなった要素還元の到達レベルの限界と言えるかもしれません。(p169) 脳を考えるのも脳にほかならない、という自己言及的なサイエンスの困難。その困難と向き合うことにこそ脳科学の醍醐味があるのでは、と私などは思うのだが、そうした基礎的学問に対する社会の要求がより具体的なものへと変化してきたのも事実であろう。ありていにいえば、あらゆる科学に対して実社会への応用や還元を求める気運が高まってきたのである。そしてその波は当然「脳科学」の領域にも押し寄せてきた。その波にちゃっかり便乗する科学者もあらわれた。かくして今日のお手軽な「脳科学」ブームが到来した。 科学のおもしろさは、知的な意味でのおもしろさだと思います。そこにはなんの誇張も脚色もなく、またその実情は単純明快さとは程遠いところにあるがゆえにおもしろいのではないでしょうか。情報発信のあるべき形とは、実際の科学研究をありのままに紹介することではないでしょうか。(p207〜208) 坂井が結論的に述べている見解には奇を衒ったところは微塵もなく、あたりまえゆえに誠実さを感じさせるものだと思う。 ただ、本書の叙述スタイルには疑問がなくはない。 おそらくは編集者かゴーストライター相手に語った内容を文字に起こしたものだろう、繰り返しや重複が多く、推敲の不足を感じさせる粗雑な構成といい、ところどころで顔をのぞかせる弛緩した語り口といい、いささかお手軽につくりあげた本といった雰囲気は否めない。もし著者自身が最初から執筆した原稿ならば、学者としての文章力・構成力に疑問符がつく。いずれにせよマスメディアで活躍する疑似科学者に対して批判的なスタンスをとっている著者であるならば、もう少し精緻な本づくりを目指してほしかった。
by syunpo
| 2010-04-29 10:30
| 脳科学
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