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島国根性が世界に蔓延する時代の〜『随想』

●蓮實重彦著『随想』/新潮社/2010年8月発行

島国根性が世界に蔓延する時代の〜『随想』_b0072887_825358.jpg 『随想』なる日本語表記の下に慎ましやかに“Essais critiques”とフランス語が記されている。『エッセ・クリティック』——そう、ロラン・バルトが一九六四年に刊行した(和訳の刊行は一九七二年)書物のタイトルだ。とはいえ著者自身は書名をめぐってバルトの名に言及することはなく、本文中で何度かミシェル・フーコーやジャック・デリダとともにその批評方法に関してごくひかえめに触れているのみである。

 それにしても、本書に収められた十五篇の『随想』の標題をみただけで、蓮實のクリティシズムの変わらぬスタイルを確認できて微笑まずにはいられない。……〈文学の国籍をめぐる/はしたない議論の/あれこれについて〉〈オバマ大統領の就任演説に漂っている/血なまぐささには/とても無感覚ではいられまい〉〈つつしみをわきまえたあつかましさ、/あるいは言葉はいかにして/言葉によって表象されるか〉〈「中秋の名月」が、/十三夜と蒸気機関車と人力車の記憶をよみがえらせた/夕暮れについて〉……。

 ノーベル文学賞をめぐる世界規模でのナショナリスティックな報道ぶりの「はしたなさ」や「国民読書年」を主導する組織や人々の「いかがわしさ」を指摘して、文学や言語に関する社会の喧騒を批判する。一方で、エリック・ロメールとクリント・イーストウッドの作品に高齢化社会の「老齢者」にふさわしい表象形態としての映画を見出したり、樋口一葉に「近代小説の重要な部分」の起源を見ようとして、悦ばしき世界をわれわれに提示することも忘れない。

 オバマ大統領の就任演説をめぐる〈オバマ大統領の就任演説に漂っている……〉は、フランスのサルコジ大統領の発言を引き合いに出しつつ、その血なまぐさい語彙への洞察を通して、政治学者や自称米国通などが記した凡百のコメントとは趣の異なった強い印象をもたらす。

 ジーン・クルーパにはじまり、アート・ブレイキー、ケニー・クラーク、チェット・ベイカーなど思いがけずジャズ・プレイヤーの名が書き連ねられる〈退屈な国際会議を終えてから、/ジャズをめぐって成立した/奇妙な友情について〉は、米国映画経由で関心を喚起されることになった米国製「軽音楽」についてのあれやこれやが文字どおり軽妙に綴られた一文。著者のアカデミックな舞台での御機嫌な「セッション」が描かれていて愉しい。

 「随想」をこれだけ面白く読ませる書き手はやはり貴重といわねばならないだろう。
by syunpo | 2010-09-07 08:07 | 文化全般 | Comments(0)
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