●飯塚真紀子著『9・11の標的をつくった男』/講談社/2010年8月発行
二〇〇一年九月一一日、ニューヨークの世界貿易センタービル(WTC)はテロの標的となって崩壊した。このビルをつくったのは日系二世アメリカ人の建築家であった。ミノル・ヤマサキ。本書は彼の苦難と成功の軌跡を追った初めての評伝である。 ミノル・ヤマサキはシアトルのスラム街で生まれ、叔父の影響で建築家を志し、日系人に対する偏見や差別と闘いながらWTCプロジェクトの仕事を獲得・成就した。完成後も批判が絶えなかったビルのメンテナンスやパブリシティにも気を遣い、またWTCの建設と並行してサウジアラビアでのプロジェクトにも関わった。晩年には日米で宗教建築を手がけた。家族との時間を犠牲にしながら建築家として名を成し、オックスフォードの墓地に遺骨が埋葬されるまでの波乱万丈の生涯が関係者への取材や残された文献などによって再構成されていく。なかなかの労作だ。 ミノルがWTCの主任建築家に起用された理由や背景については、様々な見方や証言がある。 「(クライアントの)ニューヨーク港湾局は、ヤマ(=ミノル・ヤマサキの呼称)がデザインに取り込んできた人間的な要素が、非人間的に感じられる高層ビルの弱点を克服してくれると考えたのでしょう」「ヤマを選んだのは、彼がとてもよくレスポンスしてくれたからです」「ヤマサキはアウトサイダーだったから選ばれたんです。港湾局は著名な建築家にうんざりしていました。彼らは頑固で大きなエゴがあり自己正当化し、一緒に働きにくく、コストもかかった」「港湾局は、有名建築家ではなく、当時、中堅だったヤマサキのような建築家なら操作しやすいと考えたのでしょう」……などなど、元部下、クライアント関係者、批評家たちがヤマサキ指名の理由をそれぞれの立場から分析する声をひろいあげ、結果として当時の米国建築界の潮流や空気までを浮き彫りにしたくだりがとりわけ面白かった。 それにしても、人間的スケールの建築、建物のヒューマニティを志向したミノル・ヤマサキが「ピラミッド以来の最大の建築」と謳われる巨大プロジェクトに参画し、完成後にはそのビルが弱肉強食の米国型資本主義のシンボルとみなされテロリストによって破壊される──何という歴史のアイロニーだろうか。 本書ではさらに、ミノルがイスラム建築から多大なインスピレーションを得ていたことに言及し、WTCもまたイスラム建築風であったことに触れ、「オサマにとって、WTCはおそらく国際的なトレードマークであっただけでなく、間違った偶像だったのだ」という建築家ローリー・カーの興味深い指摘を引用している。 著者がミノルの墓地を探しあてて、その墓石の様子と彼の建築を重ね合わせるエンディングが深い余韻を残して印象深い。 ところで、著者の飯塚真紀子さんとはずいぶん昔、同じ月刊誌で仕事をしていたことがあって、一度だけ編集部で顔を合わせたことがある。当時すでにロサンゼルスを拠点にして仕事をしていたと思う。その後ほどなくして彼女は単行本を続けざまに刊行、私にも報告のポストカードをくれた。『ある日本人ゲイの告白』『キャブにも乗れない男たち』という書名と題材が、会った時の印象や私たちの接点である月刊誌のコンセプトとギャップがあったのでちょっぴり驚いた。 本書は彼女の十年ぶりの単行本ということらしい。海外での煩雑な取材やリサーチを一冊の書物に結実させるには苦労も多いことだろう。変わらぬ精力的な仕事ぶりには拍手をおくりたい。
by syunpo
| 2010-10-31 20:45
| ノンフィクション
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