●西沢立衛著『美術館をめぐる対話』/集英社/2010年10月発行
美術館が公金で建てられるとき、それはしばしば「ハコモノ行政」の典型とみなされる。美術館の内容や運営次第では地域社会を活性化する起爆剤となりうるが、逆に財政を圧迫するだけの単なるハコに成り下がってしまうこともある。 美術館とは本来的には「アート」や「町づくり」や「公共性」の接点となるべき公共空間ではないのか。その意味では今日多様な視点からの再吟味が要請されている。あらためて私たちは問い直さねばならない。……美術館はどうあるべきか? そしてアートとは? 公共性とは? そうした問題をめぐって、これまでいくつか美術館の設計を手がけてきた建築家の西沢立衛が五人の関係者と語りあった。対話相手は、青木淳(建築家)、平野啓一郎(小説家)、南條史生(森美術館館長)、オラファー・エリアソン(アーティスト)、妹島和世(建築家)。このうちエリアソンとの対話は電子メールを通じて行なわれた。 全編をとおして西沢たちは美術館を作品を容れるための単なるハコとしてのみ捉えるのではなく、周辺環境や共同体との連関のなかで「開かれた空間」として位置付けようと心をくだき、さらには都市や地域社会の再生の契機として捉えようとしているのが特筆される。 そのような文脈で、西沢が手がけた金沢21世紀美術館や十和田市現代美術館などの具体例が引かれ、それらの美術館がいかに街に溶け込み、地域の活性化に貢献しているかが具体的に語られる。 たとえば、十和田市現代美術館は「(美術館が建つ)官庁通り全体を美術館と見立てる」というコンセプトでコンペティションが行なわれ、通りに広がるアート活動全体の一部として建設されたものだという。開館後には市内に新しくできた病院で展覧会が開かれるといった波及効果も生まれている。 その一方で、海外においては企業の倉庫や発電所、校舎などの古い建物が美術館に転用され成功しているケースが少なくない。「もともと違う目的のためにつくった建物のほうが、結果的に優れた回答になりうるというのは、建築設計の側にとっては皮肉な話」(西沢)だが、そのような事例についても建築家たちが関心を示しているのは注目に値するだろう。 また「公共性」や「公共空間」を行政のみの課題に矮小化することなく、官民を問わず市民たちが能動的につくっていくべきとの認識が繰り返し示されている点も本書の重要な問題提起といえよう。 総じて論者たちの理念が強く押し出された内容になっているが、実例が具体的に紹介されているので、それなりに説得力を伴った議論になっているように思う。
by syunpo
| 2010-11-26 20:34
| 美術
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