●マルグリット・デュラス、ジャン・コクトー著『アガタ/声』(渡辺守章訳)/光文社/2010年11月発行
デュラスの《アガタ》とコクトーの《声》。この興味深いカップリングは渡辺守章が訳すとなれば必然的なものであっただろう。渡辺は高名なフランス文学者であるが、同時に演出家としても自前の制作会社を持ち、この二篇の戯曲を実際に舞台化しているのだから。 《アガタ》は兄と妹の許されない愛──近親相姦──を主題とする対話劇である。過去の記憶から欲望を現在に甦らせようとする二人の対話にあっては、時制や人称代名詞が一貫せず混淆した状態で言葉が紡ぎだされていく。そこでは真実と妄想の区別さえ必ずしも明瞭とはいえない。それは「対話」というよりも二人の話者による「語り」といった方がふさわしい。いずれにせよ、その「語り」の詩的な趣は充分に魅惑的である。 渡辺による解題は微に入り細を穿ったもので、読者へのよき水先案内人の役割をも果たしてくれているのだけれど、懇切な訳注がかえって読みの勢いをそいでしまう懸念もなくはない。注釈など無視して読み進むのがいいだろう。 《声》は五年間付き合った男から別れを告げられ、絶望とともに電話で最後の会話を交わすという話である。舞台に姿をあらわしているのは受話器を握りしめている女一人で、男の台詞は無論、戯曲には書き込まれていない。つまりは女の一人芝居という形式である。 この戯曲が発表されたのは一九二九年。通話の際には必ず交換手を通したり、電話が混線したり、長いコードをひきずって動き回りながら話す、というスタイルは今となっては古めかしい時代物的な舞台設定に感じられるようになってしまった。それにしても、男が話している間は文字どおりの「間」──沈黙が支配することになり、そうした趣向はこの戯曲の大きな特徴を成しているといえる。電話の長いコードが重要な役割を果たすエンディングをふくめて、やはりコクトーの才気は非凡だったというべきだろう。 ところで、この戯曲はプーランクによってオペラ化されていて、ずいぶん前にNHK教育がヨーロッパでの公演を完全収録したものを放映したことがある。何も知らずに見始めたのだが、途中で退屈してしまってチャンネルをかえてしまったように記憶している。 しかし緻密に構成された戯曲を読んだ今では、演劇であれオペラ化されたものであれ、一度実演に接してみたいという思いが強くなった。
by syunpo
| 2010-12-04 09:34
| 文学(翻訳)
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