人気ブログランキング | 話題のタグを見る

あやしみながら読む本〜『人生の色気』

●古井由吉著『人生の色気』/新潮社/2009年11月発行

あやしみながら読む本〜『人生の色気』_b0072887_18322825.jpg 本書は古井由吉の一人語りの記録である。何日かに分けて行なわれた「聞き取り」では聞き役として佐伯一麦、島田雅彦らが入れ替わり立ち替わり同席した。若き理解者を前に、古井はみずからの戦時体験をはじめ文壇デビューの頃のことや、男女の色気、街の色気、人生の色気などついてざっくばらんに話している。
 私は古井の良き読者ではないのだが、彼を高く評価している人たちの本は何故かしら数多く読んできた。佐々木中の『切りとれ、あの祈る手を』でも本書における古井の言葉が引用されていて、それが著作全体の基調を成していたといってもいいくらいだ。

 ……戦後からの長い教育が妙な形で結実し、いま現在の自分が理解できないものは価値がないという風潮が定着してしまいました。たいがい、文学など落とし穴だらけでしょう。うっかり理解したら大変だという作品が多いです。読んでいて感銘は受けるけど、読み終わると忘れるというのは、自然な自己防御でした。忘れてもまた本を読むんですよ。読んでもちっとも頭に入らないけれど、なんとなく嫌な感じがするという心地が、読書の醍醐味なんです。(p115)

 こういう言葉に触れると、自分がいかに「自己防御」的な読書に勤しんできたことかとがっかりさせられる反面、歯が立たないと思っていたあの本この本にもちょっくら挑戦してみようかという気にもなる。ちなみに古井の言葉はさらに以下のように続く。

 われわれの作品が読まれなくなったばかりではありません。スタンダールでもバルザックでも、古い本も読まれなくなりました。古典とされるほどのものは、逆に、全部理解したら危ないものです。三十五、六の頃、名作をいくら読み込んでも、どうにも理解できないから、頭が悪いのか、センスがないか、文学に向いてないのか、訝しく思ったものです。でも、よくよく考えてみれば、わかってしまう方が大変です。ドストエフスキーがブームだといいますが、読み込んでしまえば生きていられないような文学じゃないですか。(p115〜116)

 男女の出会いの機微に触れたくだりや世評的な発言にはちょっと「理解できない」ところや「頭に入らない」ようなところもあったけれど、そうか、それも読書の醍醐味なのだった。
by syunpo | 2011-01-13 18:40 | 文学(小説・批評) | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 国家的でも市場的でもない〜『闘... イタリアのシュールな童話集〜『... >>