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ブックラバー宣言

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カフカへの入門的短篇集〜『ノート1 万里の長城』

●フランツ・カフカ著『ノート1 万里の長城』(池内紀訳)/白水社/2006年9月発行

b0072887_21421286.jpg フランツ・カフカは生前、ほとんど無名のまま終わった。死亡した時にはプラハのドイツ語新聞の片隅に小さく報じられただけだった。存命中に刊行された本は七冊あったものの読者の手にわたったのは数百部程度だったらしい。カフカの代表作ともいえる長編三作は多数の短篇とともに未刊のままノートの形で残されていた。友人マックス・ブロートに「死んだら燃やしてくれ」と遺言していたのだが、ブロートはその願いを叶えてやることはなかった。おかげで後世の読書人はカフカを二〇世紀を代表する文学者の一人として読んだり議論したりすることが可能になったのである。

 白水社の《カフカ・コレクション》は、カフカが遺した主要作品をほぼカバーしている。短篇の多くやアフォリズムは『ノート』として二冊にまとめられた。同じ訳者による岩波文庫版『カフカ短篇集』と収録作品が少なからず重複している。

 〈中年のひとり者ブルームフェルト〉はいかにもカフカらしい寓意に満ちた作品で印象深い。一人暮らしの主人公ブルームフェルトが帰宅すると、待っていたのはセルロイドで出来たボール二つ。かわるがわるに上下に飛び跳ねて、捕まえようとするとスルリと逃げてしまう。ボールは常に背後にまわって跳ね続けている。翌朝、出勤する時にボールをうまく洋服箪笥に閉じこめることに成功。家政婦の息子にボールをあげることを思いつき、部屋と箪笥の鍵を別の二人の少女にあずけて出勤する。
 後半は舞台が変わって職場での話。下着の製造工場で中間管理職をつとめるブルームフェルトの気苦労が二人の役立たずの助手との関係を軸にして描出されていく。

 前半と後半で話が一変する分裂的な構成は、ごった煮的なテイストを好むある種の上方落語の演目をも想起させるが、ここでは物語構築上の洗練というか計算も働いているにちがいない。二つのボールと二人の助手は相似的であるようでいて、主人公との関係は対照的ともいえる。ブルームフェルトは最初はボールに扱いに苦慮する様子を見せるものの、その運動には規則性があり、最終的には「それなりに結ばれてはいても互いに相手を邪魔だてしない」関係にたちいたる。二つのボールは「共同生活の煩わしさとひとり者の孤独の両方を解消してくれる理想の相棒」なのだと訳者・池内紀は別の著作で論評している。(※)
 それに対して、職場における二人の助手にはそうした要素は見当たらない。ブルームフェルトはせっかくの「相棒」であるボールを子供にくれてやるが、職場における出来の悪い助手との付き合いは当分続くだろう。
 ちなみにカフカ自身は同じ女性と二度にわたって婚約しながら解消するという苦い経験をしている。この作品はその二度の婚約解消の間に執筆されたという伝記的事実が何やら示唆的である。

 〈墓守り〉は実に面白い戯曲だ。墓守りの苦労は墓を外敵から守ることにあったのではなく、墓の亡霊たちとの取っ組み合いにあったとする展開はいかにもカフカ的という気がする。未完なのは残念だが、それゆえにいっそう読者の想像力を喚起してやまない。

 標題作の〈万里の長城〉は、その名のとおり中国の万里の長城建設をめぐる歴史的報告書のような形式をとった風変わりなテクストである。万里の長城を築くにあたっては「工区分割方式」が採られた。何年にもわたって石を積み続けるような作業では労働の空しさを覚えずにはいられない、そのような空しさや不安を回避するために、早々に完成可能な五百メートルごとの城壁を作っては別の場所に移動する、というやり方が採用されたというのである。
 池内によると、それはそのままカフカの長編《審判》の書かれた過程にもあてはまるのだという。各章はいわゆる「工区分割方式」で書かれた。いずれ長大な「城壁」として長編小説が完成するはずだったのだ。
 その意味ではカフカはここで自身の小説執筆方法をアナロジカルに書こうとしたのかもしれない。〈万里の長城〉もまた完結した作品ではなく、長大な物語の序章にあたるらしいことが明らかになっている。


※池内紀、若林恵著『カフカ事典』(三省堂)を参照。
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by syunpo | 2011-07-16 21:50 | 文学(翻訳) | Comments(0)
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