●森村泰昌著『対談集 なにものかへのレクイエム 二〇世紀を思考する』/岩波書店/2011年10月発行
森村泰昌は二〇一〇年から二〇一一年にかけて〈なにものかへのレクエイム/戦場の頂上の芸術〉展を開いた。本書はその個展にあわせて行なった対談をまとめたものである。対談相手は、鈴木邦男・福岡伸一・平野啓一郎・上野千鶴子・藤原帰一・やなぎみわ・高橋源一郎。なかなかバラエティに富んだ顔ぶれだ。 特定の展覧会にちなんだ対談ではあるけれど、そこにはおのずと森村の芸術そのものに対する態度や認識が随所ににじみでる。話し相手が様々なジャンルから選ばれたこともあって、多角的に美術家・森村の像が浮きあがってくるような対談集となっている。 森村の作品にはパロディ的なものが多い。それは上野によって「ハイコンテクスト性」「文脈依存性」と言い換えられるわけだが、それに対して森村は「ハイコンテクスト性のないものはない」と言い切る。芸術上のあらゆる創作は文脈依存性を有する、それが程度の差としてあらわれるにすぎないというわけだ。 古いものを懐かしんで「昔はよかった」と懐古するわけでもなく、新しい時代の新しいイメージに追随するのでもない。「古いものと新しいものとの新しい関係を見出すことによって、何かを産み出す」こと。森村が目指すのはそういうものである。 高橋源一郎との対談で森村が大震災後の「シンプル」な言葉の氾濫に異議を唱えているくだりも興味深い。「頑張れニッポン」「社会貢献」「いま私たちに何ができるか」……震災後にあふれた紋切型のフレーズ。イエスかノーかが端的に問われてしまうような風潮に対して「それは本当にあなたの言葉なんですか」と問いかける。 音楽でも美術でも、芸術は人を勇気づけるようなものじゃないとぼくは思っています。「頑張れニッポン」じゃないと思うし、「頑張れキミ」でもない。「私が悪うございました」ってひたすら謝ることに徹するのは芸術の本分じゃないかな。(p179〜180) 「正しさへの同調圧力」に抗う姿勢を隠そうとしない森村の一見自虐的な言葉に美術家としての矜持を見る思いがした。
by syunpo
| 2012-07-02 19:21
| 美術
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