●大澤真幸著『「正義」を考える 生きづらさと向き合う社会学』/NHK出版/2011年1月発行
明らかにマイケル・サンデル人気を意識した本である。「正義」を考えるにあたって、功利主義、リベラリズム、共同体主義、アリストテレスの倫理学などに言及していくプロセスはサンデル教授の講義にあわせたものだろう。しかしそれだけではない。大澤らしいテクストの自由奔放な読解・分析が類書とは一味違うものにしている。その意味では安易なブーム便乗本と一蹴するわけにはいかないだろう。 大澤は現代の生きづらさの真因を「物語の喪失」に因るものと捉え、その観点から既存の哲学や道徳の限界をみていく手際はそれなりに説得的ではある。共同体の物語に道徳の基盤をおく共同体主義も「資本主義への洞察を欠いている」がゆえに「時代遅れな思想」と斥けられる。むろんそのような批判に対してはコミュニタリアン陣営からいくらも反論がありそうだが、私はおもしろく読んだ。 終盤、デュピュイを参照しつつ結論的な問題提起へといたる大澤の理路に対する評価もかなり割れるのではないだろうか。 歴史の中には過去に規定された有限な選択肢があり、その中から常にベストなものを未来に向けて選択していく──これはわれわれが抱くであろう一般的な考え方である。大澤はこれをライプニッツ的な態度と呼ぶのだが、同時にそれを否定する。 われわれは現在、歴史の目的に関しての積極的な展望を欠いています。これが物語の困難ということでした。歴史の目的、歴史の使命がはっきりしていれば、ライプニッツ的な選択でよいわけですが、われわれは、その肝心な歴史の目的を知らないような状況に置かれています。 しかし、われわれは、どこに向かうべきかについての展望はないとしても、何を回避すべきか、どこに向かってはならないかということについての、消極的・否定的な目的ならば持っています。(p276) デュピュイは、未来において現に破局が起きてしまったと仮定せよ、と考えた。未来に想定した破局の位置から見ると、破局に至る宿命自体がわれわれの実際の現在の自由な選択の所産と見なすことができる。「〈過去(の様相)を変える〉ような選択こそ、ほんものの選択だ」という大澤のテーゼはデュピュイを参照することによって「未来にとっての過去を変える」という形式で現在の自由を行使することを提起するテーゼとなる。 むろんこうした大澤の結論はいささか抽象的なような気がするし、言葉遊び的な印象も拭えない。けれどもそこに至る大澤の思考には深い示唆が含まれていることもまた否定できないように思われる。
by syunpo
| 2012-08-18 19:36
| 思想・哲学
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