●瀬戸内寂聴、鎌田慧、柄谷行人ほか著『脱原発とデモ──そして、民主主義』/筑摩書房/2012年10月発行
三・一一以降、デモに対する人々のイメージは一新されたのではないだろうか。これは脱原発デモにおける文化人の発言や書き下ろしエッセイを集めた本である。デモ参加者の多様なあり方と同様に、本書もまた雑多な内容でごった煮のごとしである。素人の乱の主宰者・松本哉が高橋まこと、山本太郎、柄谷行人と対談しているのをはじめ、宮台真司、飯田哲也、落合恵子、坂本龍一、小出裕章、小熊英二、瀬戸内寂聴らのスピーチやエッセイが収められている。 一連の脱原発デモや記者会見などで積極的な発言を続けている柄谷行人は松本との対談でデモの意義についてあらためて私見を述べているのが目をひく。 憲法における「集会」は、英語のassembly(アセンブリー)の翻訳なんですよ。デモはアセンブリーに含まれる。だから、みんなが寄り合いをすれば、それがデモであり集会です。また、アセンブリーは議会という意味もある。議会は、氏族社会でのアセンブリー(寄り合い)に始まる。だから、デモは議会政治の外にあると思われるけど、デモも議会なんですよ。直接民主主義的な議会です。鍋をつついてわいわい議論しても、議会です(笑)。(p120) これはたとえば國分功一郎がみずからのブログで展開しているデモ論──「デモは民主主義のために行なわれるのではない、むしろ民主主義という制度も含めた秩序の外に触れてしまう、だからこそ体制にとって怖いのだ」──とはかなり異なった認識である。むろん、デモを民主主義の内部に位置付けようが外部に位置付けようが、この際たいした違いはないのかもしれない。両者ともにデモの重要性を認識している点で変わりはないのだから。 そのほか田中優子が江戸時代の百姓一揆と対比させて「デモは怒りの表現であり、求めずにはいられない要求をもっているのだから、明るく楽しいはずはないのだ」と論じている一文はあまり賛同はできないけれど、視点のおもしろさでは出色の内容だと思う。一九六八年の匂いを残した平井玄の硬質な文体によるエッセイも興味深く読んだ。
by syunpo
| 2012-10-23 19:50
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