●高橋源一郎著『国民のコトバ』/毎日新聞社/2013年3月発行
「日本語を読む」ことを生涯のテーマとしてきた作家による日本語のための日本語に関するエッセイ集である。「とびきり面白く楽しい」「不思議な魅力のある」コトバたちが俎上にのせられて、賞賛されたり共感されたり場合によっては批判されたり茶化されたり。 「萌えな」ことばに始まり、「官能小説な」ことば、「相田みつをな」ことば、「幻聴妄想な」ことば、「漢な」ことば、「洋次郎な」ことば、「棒立ちな」ことば、「ケセンな」ことば、「クロウドな」ことば、「こどもな」ことば……などなど標題だけでは俄に理解しがたいことばも含めて実に多彩なことばが取り上げられている。ユルさを装った饒舌が鬱陶しく感じられる箇所もなくはないが、やっぱりそこは高橋源一郎、意表をついたことばの拾い方を含めてそれなりに面白く読ませてくれるのだった。 〈「ケセンな」ことば〉は山浦玄嗣によるケセン語訳聖書をめぐって草された一文。このケセン語訳版は決して奇を衒ったものではないらしい。詳細は省くが高橋が紹介している山浦の聖書解釈はなかなか興味深いものだ。たとえば新共同訳では「悔い改めて福音を信じなさい」とされているフレーズは、ケセン語訳版では「心ォ切り換ァで、/これがらァずっとこの良い便りに/その身も心も委ね続げろ」となる。山浦版では基本的に「よそゆき」の日本語は斥けられ「過剰包装をはずして使えるものにしてくれる」。 これはおそらく聖書の翻訳に関わる問題だけではないだろう。「横のものを縦にしただけ」としばしば揶揄されてきた日本の人文学や思想全般に対する疑義へと拡張されるべき問題なのかもしれない。 「棒立ち」系と呼ばれる昨今の短歌を集めた〈「棒立ちな」ことば〉は高橋の解説はさほどではないけれど個々の作品はなるほどおもしろい。たとえばこんな具合。 「ひも状のものが剥けたりするでせうバナナのあれも食べてゐる祖母」(廣西昌也) 「裏側を鏡でみたらめちゃくちゃな舌ってこれであっているのか」(穂村弘) 「カップ焼きそばにてお湯を切るときにへこむ流しのかなしきしらべ」(松木秀) 同じ趣向の〈「こどもな」ことば〉もなかなか良い。対象となっているのは読売新聞の「こどもの詩」欄に掲載された詩である。たとえばこんな具合。 「ママ」と題された詩。「あのねママ/ボクどうして生まれてきたかしってる?/ボクね ママにあいたくて/うまれてきたんだよ」(田中大輔くん・3歳) 「いえで」と題された詩。「あのね ママ/ぼくさ/なつやすみになったら/じてんしゃ のれるように/がんばるね/それで/のれるようになったら/じてんしゃで/いえでしてもいい?」(胡麻鶴涼くん・6歳) 「朝やけ」と題された詩。「これって/がいこくのゆうやけが/あふれて/ながれてきたんじゃない?/ぼく/ぜったいそうおもうよ」(加藤恭平くん・5歳) 今一つ共感できなかったのは〈「洋次郎な」ことば〉。戦後民主主義的な明るさで男女関係を描いたとされる石坂洋次郎の小説をめぐる批評的な文章だが、性規範が大きく変わった現代の高みからその青さをアイロニカルに論じる高橋の語り口には傲慢さが感じられてあまり愉しめなかった。
by syunpo
| 2013-05-28 20:19
| 文学(小説・批評)
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