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文学に育てられた季節感〜『季語百話』

●高橋睦郎著『季語百話 花をひろう』/中央公論新社/2011年1月発行

文学に育てられた季節感〜『季語百話』_b0072887_1833952.jpg 温和で四季の変化に富むということは、季節の推移がゆるやかだということだ。推移のゆるやかな季節の中にある人は、あんがい四季の変化に鈍感なのではあるまいか。──高橋睦郎は冒頭でそう述べている。そのような日本人が四季の変化に敏く反応し愉しむようになったのは、ひとえに中国からの影響が大きかったと考えられる。日本人はまず季節の循環を中国から導入した暦で意識化した。そしてそこから言葉を基礎とする文芸によって季節感をみがいてきた。末尾に収録されている花人・川瀬敏郎との対談で高橋は次のように語っている。

(日本人は)そもそも、季節ということ自体を中国から教わったのですから。そのために、まだこれから雪が降るのに、立春になったらもう春だと思わなきゃいけない。まだまだ暑い日が続くのに、立秋だといって「風の音にぞおどろかれぬる」。風の音なんかしないけれども、驚かなきゃいけない(笑)。でも、それが日本人の感覚を過敏なまでに育てたと思うんです。(p220)

 日本人の季節感は文学によって生み出され、育まれてきた。むろんそのようなことはすでに多くの文学者が指摘してきたことではあるだろう。とまれ本書はそうした認識のもとに詩人の高橋睦郎が個々の「季語」について随想風に綴ったものである。日本の古い和歌や発句・俳句のみならず自由詩・訳詩から童謡まで、引用される句歌詩文が幅広い点で類書とは一味違った読み応えを感じさせる。

 たとえば〈牡丹〉の項では正岡子規の短歌「花びらの匂ひ映りあひくれなゐの牡丹の奥のかがよひの濃さ」がリルケの薔薇の詩と比較され、〈樅の木〉では北ドイツの古い民謡の歌詞と蛇笏らの句が並べられるという按配。
 ヒヤシンスが登場するサッポーの訳詩と葛の花を歌った釈迢空の短歌を結びつけた一文もおもしろいし、〈ヒマワリ〉を取り上げた項目でゴッホに言及したあとにその影響を受けた歌人として向日葵をくりかえし詠んだ前田夕暮を紹介しているのも興味深い。
 なお本書は朝日新聞に連載中のコラムを一部修正のうえ書籍化したものである。
by syunpo | 2013-10-07 18:34 | 文学(詩・詩論) | Comments(0)
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