●佐々木中著『夜を吸って夜より昏い』/河出書房新社/2013年3月発行
佐々木中の小説四作目。押韻を多用した独特の美文調にはさらに磨きがかかり、それに現代口語が絶妙にからみあう。国語辞典には載っていない古風な語彙を駆使した文体の合間にいかにも今風のくだけた会話体が小気味良く連ねられるのだ。 主人公の賢一はウェブデザインや本の装幀が仕事。彼のクライアントである小説家とのチャットがその誤送信やタイプミスまで含めてそのまま表記される。さらには彼の書くHTMLコードが挿入されたりもする。コードを見た弟の賢三はいう。 ……凄いねえ。……でも、何か詩みたいだね。……ほら、マラルメのとか、あんじゃん。(p28) 示唆されているのは詩に視覚的要素を持ち込んだ《骰子一擲》のような試みなのだろう。あるいはここでベケットの《ワット》のような作品を想起するのも良いかもしれない。いずれにせよ、佐々木は本作で言葉そのもの、あるいは機能に徹した記号表現そのものがもつ優美さについて言及しているようにもみえる。その意味では佐々木の問題意識は並の文学者以上に文学的であり、言語に対して鋭敏といえるかもしれない。 しかしそれだけではない。本作においては現実社会の出来事に触れる箇所が重要な位置を占めている。主人公は弟とともに反原発の官邸前デモに参加するのだ。その顛末にかなりの字数が費やされている。現在進行形の生々しい現実をめぐる描写はこれまでの佐々木作品にはあまり見られなかったものだろう。 夜を吸って夜より昏い。〈三・一一〉後、原子力というものをめぐって体験してきた日本人たちの不安や怒り、昂揚や失望、そのような曰く言い日々のなかでともすれば訪れたであろう昏い夜。本作は、そのような夜を過ごしてきた人々へのエールでもあり、共感でもあり、同時にある種の違和感の表明でもあるといえるだろうか。 本書のキャッチフレーズである「衝撃の結末」について著者自身は述べている。 ……この小説の衝撃の結末というのは「間違い」かもしれない。……純粋な正義とは言えない。僕だったら、「彼」が起こしたことが現実に起きたら批判するかもしれない。でも、過ちでしか知れない真実がある。過ちかもしれない、俺たちのこのみっともない、情けない、かっこ悪い人生の真実というものがある。そういうのは、哲学書では書けない。哲学書は真実しか書いてはいけない、過ちを書いてはいけないから。(※) 哲学と文学の間を往還しながら精力的な執筆活動をつづける佐々木中。そうした活動の企図するところがこの発言から理解できるように思われる。哲学者・佐々木中と小説家・佐々木中。月並みな言い方をすれば、それは車の両輪のようなものであり、両者が佐々木中を形成しているのである。 ※佐々木中『踊れわれわれの夜を、そして世界に朝を迎えよ』(河出書房新社)
by syunpo
| 2014-04-15 22:18
| 文学(小説・批評)
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