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失われた時を求めて〜『日本語の考古学』

●今野真二著『日本語の考古学』/岩波書店/2014年4月発行

b0072887_201310100.jpg 残された文献や木簡などモノを通して日本語の変遷を分析する。これが日本語の考古学だ。ゆえに本書では文献に残された文章の内容以上に、もっぱら文字のかたちや表記、書き方(レイアウト)などが考察の対象となる。

 それぞれの章の標題に沿って本書の問題設定をまとめてみると以下のようになるだろう。
 万葉集はどのような漢字字体で書かれていたか。『源氏物語』の作者は誰か。平仮名の字体はどのように変わってきたか。「書く単位」としての「行」はいつ頃発生したのか。和歌をどのように書いたのか。口頭で語られた言葉をどのように文字化したのか。語構成意識はどのようにして形成されたか。書き間違いはいかに意識され処理されてきたか。正しい日本語とは何か。テキストの完成とは何か。

 本書では以上の課題に対して「考古学」レベルで検討を加えていくのだが、問題そのものは文学者や哲学者の思考にも示唆を与えるような根源的な射程を有しているものも含まれているのではないかと思う。

 私には、日本語の漢字仮名混じり表記という特徴に関する考察がとりわけおもしろく感じられた。漢字は公式の文字、仮名はもっぱら女性などが使った非公式的な文字……というような認識を私は漠然ともっていたのだが、「実は平仮名がどのような場で成立し、発達していったかについて、はっきりとわかっているわけではない」という。そのようなことを考えるための文献がほとんど存在していないからである。

 平仮名が、原則として漢語を使わない和歌を書くということと結びつきながら、また漢語を使うことで表現される「公性」とやや距離をとりながら発達していったとみてよいのであれば、やはり、漢字との併用は(ある時点までは)前提ではなかったといってよい。(p52)

 しかし結果的には平仮名も漢字とともに使用されていくことになった。和歌のように主として平仮名のみで書かれていたテキストの中でも、漢字の使用率は次第に高まっていった。

 また、現代では「ヂ/ジ」「ヅ/ズ」の発音の違いは失われているけれども、かつては区別されていたことが知られている。今野は十六世紀末につくられた「キリシタン版」の正誤表などを参照しながら、こうした音韻変化が十五世紀には始まっていて、十七世紀頃には終わっていたと推察するくだりも興味深い。

「失われた部分」への意識をつねに持ち続けること。今目の前にある日本語がすべてだと思わないこと。そうしたことが、言語の長い歴史を復元していくときに必要な態度ではないかと思う。(p19~20)

 いささか専門的で考察の内容は細かいが、それだけに岩波新書らしい一冊といえるかもしれない。
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by syunpo | 2014-09-09 20:21 | 日本語学・辞書学 | Comments(0)
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