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越境的に生命を考える〜『せいめいのはなし』

●福岡伸一著『せいめいのはなし』/新潮社/2012年4月発行

越境的に生命を考える〜『せいめいのはなし』_b0072887_2020525.jpg 福岡伸一の対談集としては『エッジエフェクト』『動的平衡ダイアローグ』との間に刊行されたもの。相手は内田樹、川上弘美、朝吹真理子、養老孟司の四人。福岡の提唱する「動的平衡」をベースに多角的に生命をめぐる対話が交わされている。

 ただ本書に関してはゲスト側の発言が総じて凡庸で、とりわけ内田、養老の男性二人は粗雑な一般論に流れがちなのが引っ掛かった。そういう展開では福岡の良さもあまり出てこない。このあとに出た『動的平衡ダイアローグ』の面白さに比べると本書の内容はいささか大味という感じがする。

 そのなかで印象に残ったやりとりを書きとめておこう。
 内田との対談のなかで、福岡は周囲の細胞とコミュニケーションできなくなって永遠の「自分探し」を始めた細胞としてガン細胞を擬人化している。ES細胞(胚性幹細胞)も同種のコミュニケーション不全に陥った細胞だと考えられる。そこで福岡はいう。

 細胞分化をコントロールすることは基本的にできないので、ガンをコントロールできる程度にしか、ES細胞を私たちはコントロールできないのです。ES細胞に、バラ色の未来を描くことについて、私は非常に懐疑的です。(p36~37)

 福岡は末尾に添えられたまとめの文章のなかでこの部分に注釈を加えていて、新しい治療を待っている患者の期待を承知したうえで「応用を急ぎすぎるな」と注意を促している。その後の理研のiPS細胞に関する論文撤回騒動などをみていると、福岡の懐疑は一面の真理をついているのではないかと思う。
 ちなみに書名はバージニア・リー・バートンの『せいめいのれきし』へのオマージュがこめられている。
by syunpo | 2014-10-16 20:25 | 生物学 | Comments(0)
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